「那央くん……」

 思いきって一歩前へと踏み出すと、那央くんのシャツの袖を摘まんで引っ張る。

「雨が降ったときは、わたしのこといつでも呼んでいいよ。今日はお礼のコーヒー忘れちゃったから。その代わりに、那央くんが動けなくなったときはわたしがすぐに駆けつけてあげる」

 何度もわたしを助けてくれた那央くんのこと、今度はわたしが助けてあげたい。

 熱っぽいわたしの眼差しから僅かに視線を外した那央くんが、首の後ろを撫でながら眉を下げる。

 直接的に「好きだ」と伝えたわけじゃない。その言葉を伝えるつもりもない。だけどきっと那央くんは、わたしの言葉の裏に潜む、燻り始めた劣情に気が付いただろう。

「ありがとう。その言葉だけで充分」

 優しく笑った那央くんは、わたしの頭に手を置いて、彼とわたしのあいだにしっかりと境界線を引く。

 わかっていたはずなのに、公正だと思っていた那央くんの手のひらの温かさが、今は苦しくて切なかった。