わたしが健吾くんのことを好きだったことを知っているのは那央くんだけだし、那央くんの亡くなった恋人のことを知っているのも、彼が雨の日が苦手なことを知っているのも、生徒のなかではたぶんわたしだけ。

 フロントガラスを打つ雨を見つめて震えていた那央くんや、夕夏さんのことを思い出して切なげな目をしていた那央くん。この学校の生徒の誰も知らないはずの彼の弱さを少しだけ垣間見てしまった分、笑った顔や真剣な横顔が、特別綺麗に見える。

 スマホで動画を再生しているのを忘れて那央くんの横顔に見入っていると、デスクにペンを置いた彼が両手を組み、「んー」と、天井のほうに腕を伸ばした。

「終わった。おれ、そろそろ帰るから。この部屋、閉めていい?」

 伸びをしながら振り向いた那央くんと目が合って、ドキリとする。無邪気に笑いかけてくる那央くんは、わたしが彼に見入っていたことに全く気付いていない様子だ。

 デスクから立ち上がった那央くんが、化学準備室の窓の戸締りをひとつひとつ確認していく。その背中を視線で追いながら、「那央くん」と呼びかけると、彼が窓の鍵に手をかけたまま振り向いた。

「ん、どうした?」
「あの、さ。途中まで、一緒に帰っていい?」

 那央くんにはたくさんワガママを言って、何度も醜態を晒してきているのに、そのひとことを言うのが緊張した。

「どうした、今日は。淋しがりな日?」

 最後の窓の鍵を閉めた那央くんが、わたしをからかうように笑う。

「そうかも」

 視線を左右に泳がせながらボソリとつぶやくと、デスクに戻ってきた那央くんが、わたしの髪をグシャッと撫でた。

「いいよ、途中までな」
「いいの?」
「どうせ、途中まで同じ方向だしな」

 視線を上げると、那央くんがにこっと笑いかけてくれる。笑顔で受け入れてもらえたことを嬉しく思いながら、わたしは那央くんに触れられた髪を手でさりげなく整えた。