翌日、突然ベッドテーブルにありったけのフライドポテトを置かれた。

 
「いや蓮実くん、点滴してる人間にポテトフライ出すかな、普通」
「いや、うまいんで。一回食べてみてくださいって。クソうまいんで」
「私は脂っこいものを食べてもいいのだろうか」
「まずいっすね」
「じゃあ勧めちゃだめだよね、私余命間もないんだよ蓮実くん」
「さぁさ、グイッと」
「蓮実くん」


 うい、と可愛らしい籠にわんさか入れられたものは、愛妻クッキーでも、愛妻サンドイッチでも、ましてやフルーツバスケットでもない。仕事でも殺伐とした交友関係を築いていたせいで自分が入院(こう)なってから、見舞いにきた人間の一人もいない。そんな自分に初めてあてがわれたのは、ほくほくの焼き立てポテトフライだった。

 ひとつ指にとり、つまんでみる。若い頃、それは何度と口にした味だ。とは言っても、私の年代の頃そうまだ日本にファーストフード店のチェーンはメジャーではなく、寄るのはシャッター街にある30円のコロッケ屋だった。昔、恋慕ったマドンナを、親友の作郎(さくろう)とどっちが落とせるか、そんな話で競っていた。高嶺の花で、名門の女子高校に通う彼女の姿を街中で見ることができるのは火曜日の16時、彼女が花の稽古に出るために学校に迎えに来た車に乗り込む瞬間だ。それを、作郎と二人で遠くから眺めて、やれ今日は自分を見ただとか、やれ自分に惚れているだとか、そんな話をするのが乙だった。

 彼女が結核で亡くなったと聞いた年、親友の作郎もまた、工場の製鉄所の炉に落ちて跡形もなくこの世から去ってしまった後だった。


「私は、いつも気付くのが遅いんだ」

「ほう、何に」
「何もかもさ。取り返せないまま、すべて取りこぼしている」
「は、出たよ年の功。つかいーからポテト食ってくださいよ。冷めるんで」


 ポテトを一口齧る。油っぽく、塩気が強い。まるで今に打ち勝とうとする若者が求める味そのもののように思えて、その生命力に一瞬、頬を打たれた。
 ひとつ、手を伸ばす。塩っけが強い。それでもまた手を伸ばした。口に運んでいく。


「ケチャップいるすか?」

「いいよ、いらない」
「ばちくそ食うじゃん、なら病院食食えって師長に自分がドヤされるんすが」
「ポテトフライ持ち込んだこと、言うの?」
「言わなきゃ半分自分が板持さんの寿命削ってるんでね」
「意外と真面目だ」
「後の人間は知らんけど」