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 それからしばらくして、新久郎は大黒町の長屋に来ていた。
 考えても答えが出ないなら、考えても無駄だ。
 自分がしたいようにして、あとはなるようにしかならない。
 武士なら迷わず切り込むのだ。
 と、勇んで来てはみたものの、ぬかるんだ路地をあちこち行ったり来たりするばかりで、千紗の長屋までは行けずにいた。
「あら、お侍さん」
 洗い物の桶を抱えた女房に声をかけられる。
「ああ、やっぱり。この前、惣兵衛さんのところに来ていたお侍さんだろ」
「小田崎新久郎と申します」
「ひょろりと背が高いからすぐに分かったわよ」と、女房がじろじろと新久郎を品定めする。「よく見るとなかなかいい男じゃないのさ」
 よく見ないと分からないらしいが、ここで褒められてもしょうがない。
「千紗ちゃんに会いに来たんだろ」
 新久郎がうなずくと、女房が耳打ちしてきた。
「あたしが千紗ちゃんを呼んでやるから、向こうから回って川端で待ってなよ」
 女房が指さす方から長屋をぐるりと回って川端で待っていると、あたりを見回しながら千紗が姿を現した。
「新久郎様」と、胸に飛び込んでくる。
 彼も精一杯腕を広げて愛しい相手を抱き留めた。
「久しぶりだな、千紗殿。もう会えぬかと思っておったぞ」
「会いたかった」
 細い体のどこにそんな力があるのか、息が苦しくなるくらいしがみつく千紗の頭を撫でながら、新久郎はあらためてこの娘を幸せにするのだと思った。
 いざ話すとなると、伝えたいことはいくらでもあるのになかなか言葉が出ない。
「千紗殿」
「はい」
 顔を上げた千紗の目をまっすぐに見つめる。
「私はそなたと夫婦(めおと)になって、必ず江戸へ連れて行く」
 千紗の頬が赤く染まる。
「めおと……でございますか」
「ああ、そうだ。必ずそなたを妻にする」
 と、力強く言ってみたものの、新久郎まで顔が熱くなる。
 揺れる柳の枝の中で二人は見つめ合っていた。
 そっと千紗が目を閉じる。
 たじろぐ新久郎に千紗が唇を突き出す。
 薄い唇に見入っていた新久郎も覚悟を決めて目を閉じたときだった。
「ちょっと、惣兵衛さん帰って来ちゃったよ」
 女房が千紗を呼びに来た。
「じゃあ、行きます」
 名残惜しそうに手を振る千紗に新久郎は声をかけた。
「必ずだ。武士に二言はない。私を信じてくれ」
 長屋の路地に入る千紗が、微笑みながらうなずいてくれた。
 風が吹く。
 柳の葉が彼の頬を撫でる。
 必ず、必ずだ。
 新久郎は拳を握りしめて誓いを新たにするのだった。