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大黒町の長屋では、父親から町の外に行くことを禁じられていた千紗が、ぬかるんだ路地にしゃがみこんで円を描いていた。
でもここは近所のおばちゃんたちが通るし、乾いた砂地と違って図形がぐちゃぐちゃになる。
新久郎と会えない日を数えてみても、それにも増してため息の数が増えるだけ。
算術って、こんなにつまらなかったっけ。
と、そこへ歓声を上げながら腕白小僧達がやってきた。
千紗は道を空けるために家に入ろうとした。
「お姉ちゃん」
呼ばれて振り向くと、天神様で見かけた子供達だった。
「あら、あなたたち……」
「遊ぼうぜ」
「私は……」
と、後ろの方から赤子を背負った女の子がそっとカルタの札を差し出した。
なんだろう、これ。
「お侍さんから」と、女の子がそっとささやく。
――新久郎様!?
札を見た千紗は、そこに書かれている歌の意味を理解した。
でも、返事を書きたくても紙も筆もない。
おまけに、中にいた父親が障子を開けて出てきてしまった。
「おい、おまえら、うるせえぞ。こんな狭苦しいところじゃなくて、よそで遊べ」
「うるせーよ、おっさん。どこで遊んだっていいだろう」
「なんだと、おまえら」
腕まくりをする惣兵衛に向かって、男の子達が舌を出したり尻をたたきながら逃げていく。
千紗は読み札を女の子に返して、そっと耳打ちした。
「お願い。『六十二』と伝えて」
女の子がうなずくと、父親が戻ってきた。
「お、どうした?」
「拾ってくれてありがとうございました」
女の子は千紗に向かって会釈すると、握っていたカルタの札を背負った赤子に持たせて、子守歌を歌いながら去っていった。
「なんでえ、あいつら」と、父親はぼりぼりと頬をかきながら中へ入った。
うまく伝わるかな。
胸に手を当てながら千紗は新久郎のことを想った。