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二人は天神様の境内で毎日のように会って算術の勉強に励む仲になっていた。
新久郎は千紗に本を読み聞かせ、千紗は新久郎にその意味を教えた。
千紗はしだいに漢字を覚えていき、自分で本が読めるようになっていった。
新久郎の算術はあまり進歩はしなかったが、探求心はより熱を蓄えていっていた。
算術の書物だけでなく、菓子を土産にするのも忘れていなかった。
まんじゅう、団子、草餅と、痩せこけていた千紗の笑顔もしだいにふっくらとしていくのだった。
雨の多い季節になると、お堂の屋根の下で語り合っていた。
ある日、しとしとと降り続く雨の音を聞きながら、ぼた餅を食べ終わった二人が算術の本を眺めていると、ふと、雀の鳴き声が聞こえてきた。
顔を上げると、雲の切れ間から光が差し込み、虹が現れていた。
「ほう、きれいなものだな」
そこへツバメがツイッと現れて二人の前を軽やかに横切っていった。
千紗はその姿を目で追っている。
「弓矢のようだな」
新久郎のつぶやきに千紗が口を真一文字に結んでうつむいたかと思うと、また空を見上げた。
「どうした?」
こういうときは、千紗が何かを思いついたのだということを新久郎は知っている。
「ツバメが空を飛ぶ様子と虹の円弧に共通点があるとするなら、そこにある数の道理は何なのかと」
「なんじゃ、やはりまた算術のことであったか」
微笑みかける新久郎に千紗は口をとがらせる。
「いけませんか?」
「いやいや、すまん。そういうことではない。そなたは何にでもその向こうに数が見えるのだなと感心しておったのだ。で、それはどのようなものだ?」
「分かりません」
「そなたでも分からぬことがあるのか」
「見えるのですが、それを人に伝える方法が分かりません」
「なるほど」と、新久郎は腕組みをして深くため息をついた。「もどかしいものだな。自分の考えたことが伝わらないのは相手にも受け皿がないといけないのだろうからな」
と、新久郎が頭を下げた。
「すまん。私の頭が足りないのがいけないようだ」
千紗はふるふると首を振った。
「だがな」と、新久郎は千紗の目を見つめた。「そなたの見える物が私も見てみたいのだ」
コクリと頷く千紗を新久郎は抱き寄せた。
「それまで、待っていてくれるか」
はい、と彼の腕の中で少女はうなずいた。
「あ、いや、待たなくていい。私が追いつかねばならぬのだからな。そなたはどんどん先へ行くのだ。私はその道を追う。時々振り返って手を振ってくれれば、私もそなたに向かって一生懸命腕を振って答えるからな」
はい、と千紗は新久郎の胸に顔を埋めた。