それから二人は暗くなって文字が読めなくなるまで算術の本を見て語り合っていた。
「そなたのおかげで私も算術が好きになったぞ。また明日もここで会えるか?」
 千紗はコクリとうなずいた。
「明日はまた別の本を持ってくるからな」
 新久郎が千紗の手を取って立ち上がる。
「もう遅いから、そなたの家まで送っていこう」
「いえ、近いですから」
「なら、なおさらじゃ」と、新久郎は手をつないだまま、社殿に頭を下げて境内を出る。
 町人の娘が武家の男と歩くなど本来なら許されることではない。
 千紗は人目を気にして陰になるように歩いたが、新久郎はまるで意に介していないようだった。
「一番星じゃな」
 新久郎が西の空を指さす。
 千紗もその方角を見上げた。
 青白い星がキラキラと瞬いている。
 ふと、気がつくと新久郎が千紗を見下ろしていた。
「算術をしているときのそなたの目もあのように輝いておるな」
 耳が熱くなって思わず肩をすぼめて顔を背ける。
 ちょうど大黒町の角まできていた。
「すぐそこですので、ここで」
「おう、そうか」と、新久郎が手を離す。「では、また明日な」
 大きく手を振って去っていく新久郎に向かって、胸の前で小さく手を振る。
 その手は控えめに瞬く星のようであった。
 新久郎の姿が見えなくなるまで見送ると、千紗はパタパタと草履を鳴らしながら家に向かった。