お猿はわたしを先導し、深い山の中を進んでいきます。
枝から枝を渡り、岩場を軽やかに飛び越え、草の繁る獣道を苦もなく進んで行く。けれど人の身のわたしには、それらは過酷な道でした。

仁雷さまと義嵐さまであれば、わたしの体力を推し測ってくださったでしょう。けれどその心配りは、それが狗神さまのお使いである、あの方々の“お役目”だから。

ーーーわたしはどれほど護られていたのでしょう。

着物も肌も土に汚れ、汗が()()無く吹き出し、脚は痛くて今にも千切れそう。
前を行く一匹のお猿は、わたしが姿を見失わないように、一定の距離を保ってくださっています。
誰の手も借りず、わたし一人の力で試練に挑む…。きっと、こういうことなんだわ。

「………はぁ、はぁ……。っ…。」

息を切らしながら、わたしはお猿の白い体毛を目指します。

…けれどどうしても、疲れは歩みを妨げます。
木に手をついてしゃがみ込み、わたしは荒い呼吸を繰り返しました。
いけない。まだ幾許(いくばく)も進んでいないのに…。お猿はわたしを見限ってしまうかしら…。
前方を見遣れば、

「……?」

お猿がある場所で座り込みました。
そこは一本の木の根元でした。木を多い尽くすほどの葉が茂っています。目を凝らせば、どうやら別の植物の(つる)が、木に巻きついて繁殖しているようです。蔓からは、たくさんの紫色の果実が成っているのが見えました。

「……あれは、木通(あけび)の実…?」

わたしは吸い寄せられるように、その立派な果実のそばへ。
お猿が、木に成っている実をじっと見つめます。

「これが欲しいの…?」

お猿は何も言いません。口を引き結び、実を見つめ、それからわたしの顔へと視線を移します。

わたしにはお猿の言葉が分からないけれど、さもそうすることが正解であるかのように、木通の実をひとつ両手で握り、そっと茎からもぎました。
瑞々しく熟れて、縦に割れた淡紫色の外皮。その中に覗く、白く柔らかな果肉。初めて嗅ぐ甘い香りに、お腹が空いて喉も乾いていたわたしは、思わずごくりと生唾を飲みました。

「……これを、食べるの…?」

お猿は口を閉ざしたまま。なおもわたしの顔を見ています。

爪の先で果皮を優しく剥き、その中に潜む実にそっと唇を寄せます。
滑らかな果肉をひと()みすると、味わったことのないトロトロとした食感と、爽やかな甘さに包まれました。

「……!」

思えば、野生の実をもいで食べるのは初めてのことでした。
屋敷で、誰かの手を介することで美しくなる料理とはまた違う。山の、野の本来の味が、そこにありました。
わたしはお行儀のことも忘れ、木通の実を夢中で食べました。口の中に溜まった種をひと噛みすると思いの(ほか)苦くて、(はした)ないと思いながらも、種を一粒…二粒…と、口から足元へと落とすのでした。


時間をかけて実をひとつ食べ終える頃には、お猿は再び獣道を先導し始めていました。
どうやら疲れ切ったわたしを見かねて、束の間の(いこ)いを与えてくださったようです。

「……お待たせしました。」

わたしは袖で口元を拭い、少し元気を取り戻した脚を、前へ前へと進めます。
お腹が満ちたからかしら。不思議と、胸の中に渦巻いていた不安や焦りは薄らいでいたのです。