陽さまとともに、鳥居をくぐった。

 そこに広がる世界は、息を呑むほどの美しさだった。

 鳥居の前にも桜は咲いていたけれど、鳥居をくぐったなかの世界は更に桜でいっぱいだった。
 どこまでも続く桜並木が、静かに花びらを散らし続けている。
 高くなってきたお日さまが、桜の花びら一枚一枚をびい玉のように輝かせる。

 空は高く青く澄み渡り、桜を一層、輝かせていた。

 両側には格調高い瓦屋根の家々が並ぶ。家々の前には上品なお着物を身にまとった――咲き誇る桜にも負けないほど美しいひとびとがずらりと並んで、一斉に、流れるように礼をする。……みなさま、なにか籠のようなものを持っていた。
 私もつられて頭を下げかけたのだけれど――こらこら、ひな、顔を上げなさいと、呆れた感じなのに優しい陽さまの言葉に従って、顔を上げた。

「みな、ひなのために頭を下げているのさ。ひなが頭を下げてしまったら駄目だろう?」
「私のために……ですか?」

 意味がわからなかった。

「そうだよ。ここは龍神の暮らす郷。彼らは龍神に仕える精霊たち」

 精霊さま……。
 見た目には人間に見えるけれど――端正な美しさはたしかに芸術品みたいで、人間離れしていた。

「そして俺は龍神で、ひなは龍神の花嫁なのだから――畏まられては、みなのほうが困ってしまうよ」

 眩しく、陽さまは笑う。
 こんなに美しい方々のなかにいても。
 ……陽さまの。輝くばかりの美貌は、圧倒的だ――。

 頭を下げたことはいっぱいあっても、下げられたことはなかった……。
 だから、現実味がなさすぎる。

 熱をもったかのようにぼんやりしていると、陽さまが手を伸ばしてきた。

「手をつなごう」
「そ、そんな……」
「いいから」

 躊躇する私の手を、嬉しそうに陽さまは取る。
 陽さまの手は、すべてを包み込んでくれるほど大きくて、ずっとつないでいたいほど温かかった。

 陽さまと手をつないで、精霊さまたちがずらりと並んでくれている桜並木の真ん中に、踏み出そうとする。
 鳥居からまっすぐに伸びる石畳の道……真ん中は神様の通り道だ。
 龍神様でいらっしゃる陽さまはともかく、私は端を歩かねばいけないのではないだろうか。

「あの、陽さま」
「なんだい、ひな?」
「龍神様でいらっしゃる陽さまと違い、神でもなんでもない私は――道の端を歩かねば、いけないのではないでしょうか?」

 ぎゅっ、と。
 陽さまは、私の手を握る力を込めた。

「そんなこと、ないよ。……ぜんぜん、ない」

 はじめて見た、何かを嚙み締めるような、複雑そうな横顔だった。
 私の視線に気がつくと、すぐにこちらを向いてにこりと笑顔になったけど……。

 精霊さまたちが深く頭を下げているので、私もやはり頭を下げそうになってしまう……。
 でも陽さまは、やはり何かを噛み締めるように、深く心に響く声で私に言うのだ。

「頭は下げなくていい。堂々としていて、俺の花嫁」

 難しかったけれど、どうにか頭を下げずに足を踏み出すと――。

「ご結婚おめでとうございます! 陽さま、巫女姫さま!」
「おめでとうございます!」
「我々は陽さまの花嫁でいらっしゃる巫女姫さまのひなさまを、心より歓迎いたします!」

 精霊さまたちは、それぞれ手にしていた籠から、色の違う――濃くて桃色のようだったり真っ白だったり、ふんわりとした桜の花びらを、次々と、投げては散らす。

 きれいにお辞儀をしていたきっちりとした印象から、一転――精霊さまたちは、砕けた親し気な様子になって、どなたもにこにこと嬉しそうな笑顔で……。

 私は少しだけあっけにとられて、きょとんとしてしまった。

「ね? 意外と、気のいいやつらなんだよ」

 もともと桜の咲き誇る道が――ますます桜で彩られて、吸い込まれてしまうのではないかと思うほどに甘くて爽やかな香りと華やかな春の花の色に、満たされる。
 歩けば歩くほど、桜が深まる――。

「お礼を申し上げないと……」
「ひなが幸せでいてくれることが、なによりの礼になるよ。龍神の郷は花嫁を待望しているんだ――早く来てくださらないか、来てくださらないかと、みな気が気ではなかったのだから」
「私などを……?」

 信じられない気持ちで陽さまを見上げたけれど、もちろん、ひなをだよ、と陽さまは自信たっぷりに言い切る。

「ひなだからだよ。生涯を龍神に捧げてくれた、心の清い……報われるべき、花嫁」
「そんな……そんなことは……」

 こんなに、桜の花びらに満たされているのに。
 ――私はふいに思い出してしまった。

 それはもう、呪いだった……自分の深い深い根深いところに、こびりついている呪い。
 ――私の生涯は汚かった。けがれていた……とても、お天道さまに顔向けできるようなものでは、なかった。

「それに、ここに来たひなはもう礼を言うなんて、そこまで礼儀正しくなくていいんだよ。ひなは小さな小さな、可愛い女の子なんだから……少しは幼子らしくわがままになってくれなくちゃ、俺たちもやりがいがないよ」
「そ、そんな、わがままだなんて……」
「わがままに過ごしてほしいよ――生涯を、耐えたぶん」

 私は、うつむいてしまった。
 ……わがままなんて。
 言ったことも、やったこともない――幼少のことから、ずっと。

「俺の花嫁はとっても良い子だね」

 桜の花びらが絨毯のように積もる石畳を、じっと見つめていたつもりだったのに――ふわりとふいに、視界が変わった。高くなって、上がって……。

 視界に満ちるのは空の青と、青を埋め尽くす吹雪のような桜。
 ほかになんにも濁りのない景色――。

 なにが起こったかわからなかったのだけれど、一瞬のちに悟る。
 どうやら私は陽さまに持ち上げられたようだ――。

 理解が遅れたぶん、声が出るのも、一泊遅れて。

「ひゃわああ」

 自分でもいやになるくらい変な声を出してしまい、……赤面する。

「良い子のひなには、高い高いだ!」

 それ、そーれ、と陽さまのそれはそれは楽しそうなかけ声とともに、ふわりふわりと私の身体が宙に浮く。というより、空を舞う……ひとは空など決して飛べないはずなのに。

「わ、わ、わわわ」

 喉から思わず漏れる声は、本当に変な声だ。
 罵られても嘲られても仕方がないほど変なのに――。

「どうだい? 高い高いは、楽しい?」

 陽さまは村人たちのように暴力や悪口の素振りなどまったく見せず、ぽーんと高く投げた私をふわりと確実に受け止めて、大きな胸で抱いたまま、それはそれはきらきらした目をしている。

「ここでは、ひなが我慢することなんて、なにもない」

「嬉しかったら笑えばいいし、そうだな、びっくりしたら声を上げればいいんだ。……さっきの、ひゃわわわわって可愛い可愛い声みたいにね」
「……ひゃ、ひゃわわわわとは言ってないです、……ひゃーって……」

 ……言いながら、自信がなくなってきた。
 ひゃわわわわではなかったけれど、ひゃーでもなかったかもしれない……。
 ひゃわああとか、わ、わわわ、とか、なんかそんな感じの……。

 ――って。私。口答えするなんて、なんたること。
 私はそう思ったのだけれども――。

「そうそう、その調子だね!」
 
 陽さまは、とってもとっても嬉しそうだった。
 大事そうに、小さくなった私の身体を抱きかかえたまま――。

 ……にわかには、信じがたいけれど。
 まるで、まるで。

 私などを励ましてくれている、みたいだった。