「ねえ、灰谷さん」
すると、静かな舞台袖で織矢くんが私の名前を呼ぶ。
「僕の我が儘に付き合ってくれてありがとう。これで……僕も胸を張って演劇部の先輩たちに報告できるよ」
そう言った織矢くんの表情は、はっきりとは見えなかったけど、声からは少しだけ寂しそうな印象を受けた。
私たちは、この文化祭の公演を目標にして頑張ってきた。
だけど、今日の舞台が終わってしまえば、私たちも一般的な受験生に戻ってしまう。
僅かな時間だったかも知れないが、そのことが寂しいと思ってしまうくらいには、私も今日まで織矢くんたちと過ごした時間を大切だと思っている。
「……織矢くん、あのね」
だから、私もほんの少しだけ、彼の前で素直になることにした。
「私、織矢くんが誘ってくれなかったら、ずっと自分の気持ちから逃げ続けていたと思う」
この公演が終われば、多分私は、過去の自分と決別できる。
「ありがとう、織矢くん。私を、シンデレラにしてくれて」
そうなれば、ようやく私も、前へ進んで生きていくことができるかもしれない。
「灰谷さん……あのさ……」
しかし、織矢くんは何か言いたげに唸ったのちに、私に告げる。
「僕は、この公演が終わっても、灰谷さんに演劇を続けて欲しいッ!」
「織矢くん……」
「これも僕の我が儘かもしれないんだけど……僕は、舞台の上に立つ灰谷さんの姿をまだまだ見たくて……」
そして、最後は少し声のトーンを落としながら、私から目を逸らす。
全く、本番前にこんな話をしてくる空気の読めなさは、彼らしいといえば彼らしい。
だけど、そんな織矢くんの言葉が、今の私には嬉しく思ってしまう。
「ごめん……僕がそんなことを頼める立場じゃないけど……」
「いいよ」
「うん、そうだよね……えっ?」
顔を見なくても、彼が目を見開いている様子がありありと浮かんだ。
「ちょっとだけ、考えてみる」
だけど、その決断をする前に、やらなくてはいけないことがある。
「まずは、今日の舞台を完璧にこなさないとね」
「う、うん!」
私が発破をかけると、織矢くんからも気合がこもった返事が返ってきた。