「ええ、そんなことがあったのっ?」

昼休み、私は穂花と中庭のベンチでお弁当を食べていた。普段はどちらかのクラスで食事をとるのだが、教室では話しづらいことがある時には、よくここに来ている。

「うん。いやになっちゃうよね」
「それ、ぜっったいやばいやつじゃん。先生には言った?」
「うーん、そんなに大袈裟なことでもないし……」
「いやいや、大袈裟じゃん! 大事件じゃん! 日和、天然なの?」
「穂花に言われたくないって」
「でもさ——」
すっかり会話に熱が入ってしまった彼女は、突然遠くを見つめて「あ」と声を出した。
「永遠、やっほー!」
「え、永遠って」

私が反応する暇もなく、彼女は大きく手を振った。
彼女の視線の先にいたのは、間違いない。うちのクラスの神林永遠だ。
何をしているのか、一人ふらふらと一階の渡り廊下を歩いている。ちょうど、廊下の窓が全開になっていたため、穂花の声に気づいたのだろう。神林はふっと顔をこちらに向けて、小さく手を挙げた。
その仕草が、妙に色っぽくて、不覚にも心臓が鳴った。
神林永遠。普段は大人しくて教室で話しているところをほとんど見たことがない。でも、彼が他人に向ける視線はいつも柔らかく、優しい人なんだろうなとすぐに分かった。
それ以外のことは、ほとんど知らない。
エスニックな顔立ちがかっこいいと言う女子も時々いるが、内面を知らないままかっこいいと思える彼女たちが不思議だ。
神林は、穂花に少し手を振ったあと、すぐに歩いていってしまった。
「まったく、愛想がないなあ」
「穂花、彼と知り合いなの?」
「知り合いっていうか、幼馴染み! 幼稚園から一緒なんだ」
「まじで」
まさかあの神林に幼馴染みなんていう友達がいるとは思っていなかった私は、思わずお箸で掴んだウインナーを落としそうになった。
「マジのマジ。あたしの家は寿司屋じゃん。あいつの親は漁師で、ご近所さんなの。親同士が職業上めっちゃ仲良しで、小さい頃から二人で遊んでたんだ」
確かに、穂花のお父さんがお寿司屋さんの大将をやっていることは知っていた。まだお店には行ったことがないけれど、近所では美味しいと評判のお店らしい。その近くに、神林も住んでいるということか。
「優しいやつなのよ。ぱっと見地味で目立たないけど」
「いや、地味ではないと思うけど」
「そう? ああ、確かに顔は濃いもんね。でもさ、あいつ学校で喋んないでしょ。昔はおしゃべりだったのにさ。思春期ってやつ?」
「そうなんだ」
神林の意外な一面をいま知った気がする。
「あ、そういえば今日、彼犯人にされてた」
「犯人って、どゆこと?」
「さっき話した画鋲事件。絶対遠藤柚乃の仕業なのに、たまたま目が合っただけで神林が犯人だって柚乃が言い出して」
「なんだそれ。ひっでーじゃん。でもあいつどんくさいからな〜。そういうことされても不思議じゃないっていうか……」
「でも、ちょっと可哀想だった。謝ったほうがいいかな?」
「え、なんで。日和は悪くないじゃん。謝るなら遠藤の方でしょ」
「まあそうだけど」
ようやくお弁当を食べ終わった私は、お弁当箱の蓋をしめて椅子から立ち上がった。
「どうしたの?」
「いや、肩凝ってさ」
ぐーっと両腕を耳の後ろで伸ばす。新鮮な空気が肺に流れ込んでくる。教室でどんなに嫌なことがあっても、中庭で穂花と話していると、心がすっと軽くなる。
穂花もお弁当を食べ終わったようで、二人でもう一度伸びをした。

この感じ、失くしたくないなあ。

なぜだか分からないけれど、ふとそう思った。