あまりにも衝撃的な告白に、私は息を飲んだ。呻くように告白をする彼の額にじんわりと汗が滲んでいる。『SHOSHITSU』アプリは枯れていた人の心に新鮮な水を垂らしたかと思えば、最後には毒をさす。
私は、神林と出会ってから今までのことを思い出していた。
初めて話した日から彼とは波長が合っていて、楽しかった。それまで彼のことをあまり知らなかった私にとっては新たな発見だった。それから、私の悩みを優しく聞いて包み込んでいた彼、花火大会の日に手を握ってくれていた彼。そのすべてが私に潤いと喪失感を与えた。穂花に譲ろうと決意し、恋を捨てた。

でもそれは最初から間違っていたというの? 

彼と出会ってから今までの積み上げて来た思い出はすべてつくりものだったの……?

本当は彼はどんな男の子なんだろう。
私には分からない。だって、アプリを使ってからの彼としか関わっていないから。
元に戻っても好きになれるかなんて、そんな保証はどこにもないのだ。
突然、足元から地面が崩れ落ちていくような感覚に襲われた。私がここに安心して立っていられる根拠が、根底から消えていく。
お互いがお互いにアプリを使って、本当の自分を偽っていた。
もう何が本当で何が偽物かさえも分からない。元に戻ったら、私たちの関係は確実に変わる。

……いや、本当にそうだろうか?
彼の顔をもう一度しっかりと捉える。苦痛に歪んだその顔の後ろで、夕日が傾いていく。
私が何も言わないのを答えだと察したのか、彼は一歩後ろへと下がる。何をしようとしているのか聞かなくても分かった。待って、待ってよ。まだいかないで。

「そうだよな、急にこんなこと言われても無理だよなぁ……。ごめん」

苦しそうに笑う彼の顔が、まっすぐに目に飛び込んでくる。
彼は苦しかったのだ。ずっとずっと、思い通りにならない自分の性格と向き合って来たに違いない。それなのに私は気づいてあげることができなかった。表面的な彼の格好よさに目を奪われて、本当の彼の心をすくいとってあげられなかった。アプリを使って積極的な性格になった彼をまんまと好きになり、友達に譲ろうだなんて傲慢な考えに至り、彼への恋を消し、彼を絶望の淵へ突き落とした。
その結果彼は今、私の手の届かないところに行こうとしている。
やるせない気持ちと、自分を許せない気持ちが胸いっぱいにこみ上げる。
彼はまた一歩後ろへと下がる。右足が宙に浮きかかる。限界だった。私はとっさに手を伸ばす。彼が落ちるところを想像なんてしたくない。たとえ目の前にいる彼が偽りだったとしても。

「待って!」

重い。すでに全身が投げ出されそうになっていた彼の身体を、柵のこちら側から引き寄せるようにして掴んだのはいいが、柵がなければ私の身体が持っていかれそうだった。
だけど、ここで負けるわけにはいかない。
落ちかかっている彼の身体を絶対に離したくない。

「気づけなくてごめん。永遠が苦しんでたことに気づけなくて本当にごめんっ。私は何も見えてなかったんだね。きみのことを知ろうとしていなかったんだね……。永遠が元に戻ったって、私は永遠のこときっと好きになるよ。だっていくら性格が変わったって、永遠は永遠でしょう。これまでの人生で築いてきた考え方や心の根っこは変わらない! そう信じてる」

私自身、アプリを使った人間だからこそ分かるのだ。
どんなに消したいものを消しても、心は変わらなかった。良い意味でも悪い意味でも、私は私でしかない。一つのことでうじうじ悩んだり舞い上がったり、母とぶつかって仲直りしたり、もう頑張りたくないと諦めたり立ち直ったり。
結局は私のままだ。見栄を張ることもできない、ただの私のままなんだ——。
腕が限界だ。もうちぎれてしまうかもしれないと本気で思った。柵が壊れてしまうかも、とも。
握っていた彼の腕と私の手首が真っ赤になり、力が抜けて離してしまいそうになったとき。
彼はもう一方の手で自ら柵を掴んだ。
そのまま自分の身体を持ち上げ、投げ出されかけた身体が戻って来た。反動で私は後ろへと倒れる。

「いっ……」

鈍い衝撃がお尻や背中に走る。

「日和っ」

肩で息をしている彼が、ひょいと柵を乗り越えてこちら側へ来た。私の身体を抱きかかえ、泣きそうな瞳をこちらに向ける。
夕日が彼の頭の向こうに隠れて、私は彼の濡れた目をしっかりと目にした。

「……戻って来てくれた」

胸がはちきれそうだった。生きている彼がここにいる。私がいかないでと言ったから、戻って来てくれたんだ。

「ごめん、日和」

「ほんとだよ。心臓止まるかと思った! もうどこにもいかないで」

私は自然と彼の胸に顔を埋める。恥ずかしさはどこにもなかった。彼にしがみついて、洋服に染みをつくる。そのまま声をあげて泣いた。不安が安堵へと変わる瞬間に、彼は私の頭をそっと撫でた。

「そうだな。もうどこにもいかない。元の俺に戻って日和を迎えにいく」

「私も、あなたを好きな気持ちを取り戻したい……でも」

「でも?」

「元に戻せば、永遠が私のことを好きだって言ってくれた気持ちがなくなっちゃうかもしれない」

いや、「かもしれない」じゃない。
なくなるのだ。
その意味はアプリを使っている彼も重々理解しているはず。

「それが代償っていうことか?」

「……うん」

そうか、としばらく彼は黙り込んだ。果てしなく長い時間だった。脈がどんどん速くなる。「そういうことなら元に戻すのはやめてくれ」と言われるんじゃないかって覚悟してぎゅっと目を瞑った。

「目が覚めたよ。日和の言う通り、俺は俺だ。性格なんていくらでも変えてやる。俺の性格が元に戻っても、日和の恋が元に戻っても、俺が日和を好きなことは変わらない」

ずきん、と胸が疼いた。
日和が好きなことは変わらない。
もし私が自分の恋心を元に戻せば、きみからは私への気持ちが失われる。
それでも彼は大丈夫だと言う。
それほど私のことを想ってくれているということが、私の気持ちを強くした。

「永遠の代償はなに? 性格を元に戻したら何が失われるの?」

「それは——秘密だ。でも、そんなに大したことじゃないから安心して」

そう言って彼はニカっと歯を見せて笑った。秘密だなんて、そんなのありなのかと問いたかったけれど、彼のまっすぐな瞳が何を失っても大丈夫だと語っていた。

「俺、今から『取り消し』を実行する。だから日和も一緒にやろう」

「……分かった」

不安なことは変わらない。でも、彼の方も同じくらい不安なのかもしれない。一人では勇気が出なかったことが、二人ならやれる気がした。
私はポケットからスマホを取り出してアプリを開く。
彼も同じようにスマホに指を滑らせる。

「じゃあいいか?」

「うん」

私たちはそれぞれのスマホの「取り消し実行」ボタンを見つめる。
これまで二人でつくってきた思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
大丈夫、消えたりしない。思い出も心も変わらない。私が私である限り、彼が彼である限り。
夕日が山の奥に沈んでいく。後夜祭の始まりを告げるアナウンスが遠く校庭に響いている。生徒たちが校舎から出て校庭に集まっていく声が耳に心地よい。この後キャンプファイヤーを囲んで、青春の一ページを彩るのだ。好きな人と踊ったり友達とはしゃいだり、かけがえのない時間が流れ出す。
私たちは空いている方のお互いの手を握って、スマホの画面を見つめた。
後夜祭が始まった。
「取り消し実行」ボタンを、親指の腹で静かに押した。