2年2組の文化祭での出し物が決まったのは一週間後の月曜日だった。昼休みに実行委員長から各クラスの出し物の抽選結果が出たと伝えられたのだ。

「みんな聞いてくれ。俺たちのクラスは『古本カフェ』をすることになった」

さっそく5時間目のHRの時間に神林が内容を発表したところ、クラスはざわめき出した。『古本カフェ』はクラスの第三希望で、案を出したのは神林だ。「メイド喫茶や普通のカフェは人気が高いからちょっと捻りを入れよう」ということで彼が提案した『古本カフェ』は、その名の通りカフェを開きつつ古本を売るというお店だ。

「もし家にいらなくなった本がある人は持ってきてください。また、他クラスの人にも声かけをしてみます。古本はそれで集めましょう」

彼と打ち合わせした通り、クラスメイトに指示を出す。第三希望の出し物になった点について、最初はみんな微妙な表情をしていたが、私たちの淀みない指示によって、「楽しそうだ」と思ってくれたのか、だんだんとクラスが盛り上がり出した。

「それじゃ俺は○ンピース全巻持ってくるぜ!」

「全巻!? もったいないよ」

「実は2セットあるかあらな」

「まじで」

「あたしも昔読んでた絵本とかあるかも」

「雑誌でもいいのかな?」

様々な意見が飛び交い始め、私はほっと胸を撫で下ろした。第一希望ではなかったことに批判をくらったらどうしようという不安があったのだ。
教室の隅で、雪村先生がうんうんと頷きながら私たちの話合いを聞いている。カフェについてもメニュー班、飾り付け班、などの班決めをし、その日の話し合いを終えた。

「ありがとう永遠」

放課後、神林が部活にいく前に声をかける。

あの日——浜港で神林と穂花が楽しそうに歩いているのを見た日から私は彼と話す度に緊張をしていた。その度に「神林は仕事仲間だ」と言い聞かせて余計なことは考えないように努めている。

「これぐらいは当然だよ。委員だし、みんな協力的で良かった」

それもこれも、あなたのおかげなんです。
口から出そうになった言葉を私はひっそりと飲み込んだ。
実行委員を一緒にやってみて、気づいたことがある。神林は私が苦手なクラスのまとめ役も、話し合いの最中における決断役も自ら進んで買って出てくれた。彼の指示や判断は的確で、クラスメイトたちは催眠にでもかかったかのように、すんなりと動いてくれる。

「永遠はすごいよ。こんなふうにみんなをまとめられるなんて。実行委員の相手が永遠で良かった」

何気ない思いを、今度は抑えることができなかった。自然と溢れ出る彼への恋情が、私を思わぬ方向へと連れ去ろうとする。

「……俺はそんなたいそうな人間じゃないさ。それに俺も、日和と一緒で良かったよ。真面目だしさ、穂花みたいなんだったら話まとまんなさそうだし」

穂花という名前が彼の口から出てきたことで、ぐらりと視界が揺れた気がした。もちろん気のせいだ。そんなことは起こらない。私が彼を見る目が変わってしまっただけなのだ。
穂花、穂花、穂花。
頭の中を支配する彼女の気配に、胸が打ち砕かれそうになる。小さな針で何度も心臓を刺され続けると、大きな穴が空く。それが勘違いだろうとなんだろうと、痛みだけは本物だった。

「ねえ」

「どうした?」

あの日と同じように、西日が教室に差し込んでいた。でも、潮の匂いはしない。海風も吹かない。

「私たち、このままの関係でいられるよね」

「このままの関係って?」

「クラスメイト。私は永遠のこと、大切な友達だと思ってる」

「そりゃ……もちろん」

私が突然訳のわからないことを口走り始めて、彼は明らかに困惑しているようだった。その顔を、必死に記憶に焼き付ける。私が好きなあなたの顔を、忘れないようにと刻み付ける。

「ありがとう。じゃあまた明日ね」

ぽかんと口を開けたまま固まってる彼を教室に残したまま、私はカバンを持って歩き出した。振り返りたい気持ちを必死に抑えながら、振り返らずに進んでいく。
とっくに限界には達していた。
見て見ぬ振りをして、傷つかないように逃げていたのは自分だった。穂花の気持ちを優先したいという偽善的な理由を並べ立てて気づかないフリをして。
歩きながら、目尻から溢れそうになる涙がこぼれないように拭った。校舎を出るとポツポツと雨が降り出した。傘を持ってきていない私は、濡れながら早く家に帰ることだけを考えた。デジャヴだ。梅雨の時期に濡れながらバスに乗って帰り熱を出した日のことを思い出す。あの日から一歩も歩き出せていない。成長していない。あの時も神林と話した後で学校を飛び出していた。でもあの時と違うのは、もうすぐ彼への苦しい感情を失ってしまうということだ。
なんとか土砂降りにならないうちにバスに乗り込んだ。一番後ろの席が埋まっていて、一番前の一人掛けの椅子に座った。
カバンからスマホを取り出して、『SHOSHITSU』アプリを開く。
ずっと不思議だった。なぜ『SHOSHITSU』は私のスマホに現れたんだろうと。
でもようやくその理由を理解した。私には、消失させなければならないものがあったのだ。失わなければこの先上手く生きていくことができないものが。

『あなたが消したいものを、入力してください』

震える右手の指を左手で押さえながら、入力画面に切り替える。
そうしてこれまでずっと自分を苦しめてきた感情をゆっくりと打ち込んだ。

『消したいものは、神林永遠への恋心』

失わなければ戻ってこない心の平穏がある。
取り戻せない日常がある。
これで明日から、私は永遠への恋情を忘れられるのだ。
彼と普通に接して穏やかに過ごすことができる。穂花の恋を心から応援することができる。

『了承しました。では、明日から“神林永遠への恋心”が消えた世界をお楽しみください——』

涙が頬を伝った。車窓の外で、空が私のために泣いてくれているようだった。