「春山さんごめんね。嫌だった?」

帰りのHRの前に柚乃が私に声をかけてきた。先ほどの推薦のことを言っているのだというのはすぐに分かった。

「ううん。びっくりはしたけど大丈夫。でもどうして私を?」

「良かった〜。だって春山さんは真面目だし、私が学校に来られなくなった時に助けてくれて、いちクラスメイトのことをこんな
に思いやられる人なんだって気づいたから」

柚乃の言葉は、実行委員の仕事に多少なりとも不安を覚えていた私の心に、明るい灯火を点けてくれた。
誰かに自分の行いを認められるということは、こんなにも清々しく嬉しいものなんだな。平穏な高校生活を望み、できるだけ目立たぬように生きてきた私には新たな発見だった。

「そんなふうに思ってくれてたんだ」

もはや彼女にいじめられていた時の記憶の方が間違っているんじゃないかというぐらい、彼女に対する気持ちは清々しい。人って
こんなふうに変われるんだ。それもこれもアプリのおかげだというのは間違いないが。
実行委員なんて自分に務まるか不安だと思っていたが、柚乃の話したことで前向きな気持ちになれた。
2日後、第一回目の実行委員会が開かれるというので、放課後に私と神林は会場である理科室に向かった。黒板に各クラスの配置が書かれており、2年2組の席に座る。初めての委員会で緊張しているのか、集まりは早く、喋っている者はほとんどいなかった。

「あれ、日和も実行委員?」

聴き慣れた声がした方を振り返ると、そこには穂花がいた。前髪が前よりも短く、眉上で切り揃えられている。私だったら絶対に幼く見える前髪が、彼女にはよく似合っていてむしろ大人の色気が増しているのは不思議だった。

「なりゆきでなっちゃったの。穂花も4組の実行委員なんだね」

「永遠と相談して実行委員やろうって約束してたんだ。ね、永遠」

「ああ。こいつがどうしてもって言うから」

「何よその言い方。ノリノリだったくせに」

「断ると面倒だからな〜」

この時初めて、二人が事前に話し合って実行委員になったということを知った。神林が自ら表に立とうなんてちょっと意外だったのでやっと合点がいく。そうか、穂花に誘われたんだ。穂花に誘われたならそりゃ積極的になれるよね。だって神林は穂花のことが——。

「日和、どうかした?」

「え、あ、なんでもない」

止まらなくなる嫉妬まみれの思考の流れを堰き止めて、私は無理やり微笑んだ。貼り付けた笑顔は穂花に「そう」と言わせるには十分だったらしい。まんざらでもないという神林は私たちの会話には入ってこない。彼は今何を考えているんだろう。時々分からなくなる。
しばらくして実行委員たちが全員集まったところで、委員長により実行委員会が始まった。クラスの出し物の候補を来週までに決めて提出すること。提出後、各クラスの希望を鑑みて最終決定をすること。文化祭までの準備期間と流れ。意外と時間がないのでクラス全体に呼びかけて準備を滞りなく進めるように努力すること、など。
高校生ということもあって、出し物さえ決まればあとは生徒の自主性に重んじる風潮らしい。去年は実行員ではなかったのであまり分からなかったが、委員会自体は実に簡潔で淡々としていた。最後に質疑応答があり、今日のところはお開きとなった。

「おつかれ! 永遠はこれから部活?」

ガタガタと椅子を引いてそれぞれの委員たちが立ち去る中、穂花は私たちの方へとやってきた。

「ああ。体育館に直行する予定だけど」

「それじゃあそこまで一緒に行く」

「え? ま、いいけど」

てっきり私の方が「一緒に帰ろう」と言われるものだと思っていたので、穂花の提案に私も神林も驚いた。体育館までの道のりがどれほど短かろうが、穂花は神林と一緒にいる時間を少しでも稼ぎたいらしい。

「日和、文化祭のことまた今度話し合おう」

「分かった」

本当はちょっとだけでもいいからすぐに神林と話し合いをしたかったのだが、思うようにはいかない。穂花は「ごめん日和」とジェスチャーで手を合わせた。その言葉の裏に「分かってくれるよね」という気持ちが見え透いていて、私はこっくりと頷いた。それが、はっきりとした宣戦布告のようにも見えて、全身から力が抜けていく。

「日和、またね」

「うん。ばいばい」

「また明日」

二人は体育館の方へと遠ざかっていく。一つしかない廊下で同じ道を歩かなければ階段までたどり着かないのだけれど、私はすぐには歩き出せなかった。

「ていうか永遠、身長伸びた?」

「まだまだ成長期だからな。そりゃ伸びるだろ。バスケやってるし」

「うわ、皮肉だ。あたしゃもう伸びないよ。昔はあたしの方が背高かったのに!」

「残念でした」

穂花と神林が至近距離で並んで去っていく姿を見るのは何度目だろうか。その度に胸が疼き、そろそろ痛みに慣れて欲しいのに思うようにはいかない。そういえば毎年受けているインフルエンザのワクチン接種ではいつも針が刺さるのが怖かった。今でもそう。注射なんて生きてきて何度も打っているはずなのに毎回緊張するし、しっかり痛いと感じる。
穂花の隣にいる神林は私と話している時よりもずっと自然体に感じて痛かった。針は容赦なく怪しげに光り、無防備な身体に突き刺さる。

「穂花が好きなんだね」

二人の背中が見えなくなってから口から一人呟いた。実行委員は全員帰ってしまったから誰も私の言葉など聞いていない。それで
良かった。聞かせたかったのは自分自身に他ならないから。私という、臆病な人間にだけ知らしめたかっただけだから。