花火は約40分間ひっきりなしに打ち上げられていた。人ごみの中立ちっぱなしで40分はかなりキツイはずなのに、終始花火に心を奪われていたため、時間が一瞬に感じられた。
「はあ〜綺麗だった」
美しすぎてため息しか出ない、とはこのこと。最後の花火が連続で打ち上がったあと、会場は拍手喝采の嵐に包まれていた。花火の火が消えてからも、みんなすぐには動き出さず、しばらく感動の余韻に浸っていた。
「最高だったな」
「うん」
ようやく神林が私から手を離す。花火の魔法が解けてしまったみたいだった。けれど、明らかに彼は自分の意思で私の手を握り続けてくれていた。それが分かっていたから寂しくはなかった。
「まだ帰りたくないけど電車も混みそうだし、歩きますか」
「そうだな」
今度は駅へと向かってく人の波に乗って、私たちはゆっくりと歩き出す。3人とも、何も言葉は発しなかった。花火で刻みつけた感動を、適当な言葉で台無しにしたくなかった。
おそらく穂花も神林も同じ気持ちなのだろう。
私たちの間に流れる沈黙は決して気まずいものではなく、言いたいことは分かっている、という暗黙の了解からくるものだった。
駅前はお祭り帰りの人たちでごった返していた。
「これ、帰れるかな」
「臨時の電車が出てるみたいだよ」
「そっか。それなら大丈夫か」
時刻は21時過ぎ。親には祭りに行くと言っているので多少遅くなっても問題はないだろうが、あまりに遅れるようだと連絡を入れないといけない。
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん」
改札を潜ろうかという時になって、神林がお手洗いへと去っていく。見れば男性用トイレもかなりの列をなしており、少し時間がかかりそうだった。
今日、穂花と二人きりになるのはこれが初めてだということに気づく。浴衣姿の穂花はいつもと違って色気がある。本人は気づいていないだろうけれど、学校で穂花は男の子たちに人気があるのだ。穂花のクラスメイトが今の彼女を見れば、きっと心奪われてしまうに違いない。
「んー楽しかったね」
「ほんと、花火もお祭りも良かった。誘ってくれてありがとう」
穂花が大きく伸びをする。ようやく俗世間に戻ってきたという空気だ。
「永遠とも仲直りできたみたいで良かった」
「別に喧嘩してたわけじゃないよ」
「そう? でもずっと気まずい雰囲気みたいだったからさ」
「それ、神林が言ってたの?」
「うん。気まずいっていうか『春山さんとどう話したらいいか分からない』ってしょげてたよ」
あのときのあいつの沈み具合は見ものだった、と笑い飛ばす穂花。しかしその表情の端にやはり陰が見えた。さっき、ラムネを買って戻ってきた彼女が見せたのと同じ表情だ。
「日和は、永遠のことが好き?」
唐突な問いだった。かつて私も彼女に聞いたことがある。そのときの穂花は、「好きなわけないじゃん」と笑い飛ばしていた。だから私も、彼女と同じように笑い飛ばそうとした。でも、真っ直ぐな目で見つめてくる彼女の瞳に射竦められてどんどん顔が硬っていく。頬の筋肉が動かない。
彼女の白い首筋と、一定のリズムで前後する胸が、自分にはない特別なもののように思えた。その顔は、思春期の女の子なら誰もが憧れる煌きを湛えていた。潤んだ瞳とぷっくりと膨らんだ唇が、果たして本当に穂花のものなんだろうかと疑ってしまうくらいに。今日、初めて彼女のことを色っぽいと認識する。私が知らない穂花が私の本心を聞き出そうとしていた。
「私は……」
とっさに浮かんだのは、「答えたくない」と拒絶する気持ちだ。同時に、自分の神林に対する想いに気づいてしまった。
私は、神林のことが好きだ。
分かっていたようで、きちんと受け入れられてはいなかった。でも、これまでの自分の感情の変化を思い返せばそうとしか考えられない。彼と初めてまともに言葉を交わした日、屋上で背中を誘ってくれた日、屋上での出来事を忘れてしまったと告白された日。
嬉しかったり悲しかったり、彼のこととなればまるでジェットコースターみたいに気持ちが浮き沈みしていた。誰かを好きになったことのない私にはすべてが初めてだったから、分からなかったのだ。
「……分からないよ」
穂花に嘘をついた。分からない、なんてことはもうなかった。今日、彼が私の名前を呼び手を繋いでくれたことは今でも私の胸を熱したままなのだから。
「なーんだ。そうなんだ」
ほっとした様子の穂花。私には痛いほど彼女の気持ちが理解できた。
もし、親友が自分の好きな人と同じ人に恋をしていたら?
穂花はきっと、いや間違いなく神林のことが好きなのだ。だから、私の神林への気持ちを確かめたかった。いつもはヘラヘラと調子の良いことを言っているが、彼女だって内面は可愛い女の子。普通に恋をするし、その相手が幼馴染みだったとして、なんの不思議もない。
彼女の恋路を邪魔しているのは私だ。
神林と出会ってまだ1年も経っていない。穂花が彼と築いてきた時間や思い出と比べれば、私たちの関係はあまりにも儚い。
脳裏に焼き付いた花火の光景がフラッシュバックした。あの瞬間、繋いだ手から伝わっていた温もりがまぼろしだったのではないかと錯覚する。私と彼の秘密は、夏の花火のように儚く消えてしまうだろう。
いや、きっと私は消してしまうだろう。
目の前で女の表情を浮かべる穂花には勝てやしないから。
「待たせてごめん」
後ろから声をかけられて振り返る。神林はすまなそうに両手を合わせていた。
「すごい混んでたね」
先ほどまでの会話はなかったかのように、穂花は彼に向かって微笑んだ。私も曖昧に笑って見せる。
「どうした二人とも。なんかあった?」
「ううん、なんでもないって」
そう、なんでもない。
大丈夫だよ、穂花。
私は彼のことを奪ったりしないから。
二人が駅の改札に向かって歩き出した後をそっとついていく。いつかのテスト勉強会の帰りみたいに、私は揺れる二人の背中を見つめていた。私よりも背の高い穂花は、彼と並ぶととても絵になる。白いうなじも最高に色っぽい。
いつの間にか、彼女は私のずっと前を歩いていた。
「はあ〜綺麗だった」
美しすぎてため息しか出ない、とはこのこと。最後の花火が連続で打ち上がったあと、会場は拍手喝采の嵐に包まれていた。花火の火が消えてからも、みんなすぐには動き出さず、しばらく感動の余韻に浸っていた。
「最高だったな」
「うん」
ようやく神林が私から手を離す。花火の魔法が解けてしまったみたいだった。けれど、明らかに彼は自分の意思で私の手を握り続けてくれていた。それが分かっていたから寂しくはなかった。
「まだ帰りたくないけど電車も混みそうだし、歩きますか」
「そうだな」
今度は駅へと向かってく人の波に乗って、私たちはゆっくりと歩き出す。3人とも、何も言葉は発しなかった。花火で刻みつけた感動を、適当な言葉で台無しにしたくなかった。
おそらく穂花も神林も同じ気持ちなのだろう。
私たちの間に流れる沈黙は決して気まずいものではなく、言いたいことは分かっている、という暗黙の了解からくるものだった。
駅前はお祭り帰りの人たちでごった返していた。
「これ、帰れるかな」
「臨時の電車が出てるみたいだよ」
「そっか。それなら大丈夫か」
時刻は21時過ぎ。親には祭りに行くと言っているので多少遅くなっても問題はないだろうが、あまりに遅れるようだと連絡を入れないといけない。
「ちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん」
改札を潜ろうかという時になって、神林がお手洗いへと去っていく。見れば男性用トイレもかなりの列をなしており、少し時間がかかりそうだった。
今日、穂花と二人きりになるのはこれが初めてだということに気づく。浴衣姿の穂花はいつもと違って色気がある。本人は気づいていないだろうけれど、学校で穂花は男の子たちに人気があるのだ。穂花のクラスメイトが今の彼女を見れば、きっと心奪われてしまうに違いない。
「んー楽しかったね」
「ほんと、花火もお祭りも良かった。誘ってくれてありがとう」
穂花が大きく伸びをする。ようやく俗世間に戻ってきたという空気だ。
「永遠とも仲直りできたみたいで良かった」
「別に喧嘩してたわけじゃないよ」
「そう? でもずっと気まずい雰囲気みたいだったからさ」
「それ、神林が言ってたの?」
「うん。気まずいっていうか『春山さんとどう話したらいいか分からない』ってしょげてたよ」
あのときのあいつの沈み具合は見ものだった、と笑い飛ばす穂花。しかしその表情の端にやはり陰が見えた。さっき、ラムネを買って戻ってきた彼女が見せたのと同じ表情だ。
「日和は、永遠のことが好き?」
唐突な問いだった。かつて私も彼女に聞いたことがある。そのときの穂花は、「好きなわけないじゃん」と笑い飛ばしていた。だから私も、彼女と同じように笑い飛ばそうとした。でも、真っ直ぐな目で見つめてくる彼女の瞳に射竦められてどんどん顔が硬っていく。頬の筋肉が動かない。
彼女の白い首筋と、一定のリズムで前後する胸が、自分にはない特別なもののように思えた。その顔は、思春期の女の子なら誰もが憧れる煌きを湛えていた。潤んだ瞳とぷっくりと膨らんだ唇が、果たして本当に穂花のものなんだろうかと疑ってしまうくらいに。今日、初めて彼女のことを色っぽいと認識する。私が知らない穂花が私の本心を聞き出そうとしていた。
「私は……」
とっさに浮かんだのは、「答えたくない」と拒絶する気持ちだ。同時に、自分の神林に対する想いに気づいてしまった。
私は、神林のことが好きだ。
分かっていたようで、きちんと受け入れられてはいなかった。でも、これまでの自分の感情の変化を思い返せばそうとしか考えられない。彼と初めてまともに言葉を交わした日、屋上で背中を誘ってくれた日、屋上での出来事を忘れてしまったと告白された日。
嬉しかったり悲しかったり、彼のこととなればまるでジェットコースターみたいに気持ちが浮き沈みしていた。誰かを好きになったことのない私にはすべてが初めてだったから、分からなかったのだ。
「……分からないよ」
穂花に嘘をついた。分からない、なんてことはもうなかった。今日、彼が私の名前を呼び手を繋いでくれたことは今でも私の胸を熱したままなのだから。
「なーんだ。そうなんだ」
ほっとした様子の穂花。私には痛いほど彼女の気持ちが理解できた。
もし、親友が自分の好きな人と同じ人に恋をしていたら?
穂花はきっと、いや間違いなく神林のことが好きなのだ。だから、私の神林への気持ちを確かめたかった。いつもはヘラヘラと調子の良いことを言っているが、彼女だって内面は可愛い女の子。普通に恋をするし、その相手が幼馴染みだったとして、なんの不思議もない。
彼女の恋路を邪魔しているのは私だ。
神林と出会ってまだ1年も経っていない。穂花が彼と築いてきた時間や思い出と比べれば、私たちの関係はあまりにも儚い。
脳裏に焼き付いた花火の光景がフラッシュバックした。あの瞬間、繋いだ手から伝わっていた温もりがまぼろしだったのではないかと錯覚する。私と彼の秘密は、夏の花火のように儚く消えてしまうだろう。
いや、きっと私は消してしまうだろう。
目の前で女の表情を浮かべる穂花には勝てやしないから。
「待たせてごめん」
後ろから声をかけられて振り返る。神林はすまなそうに両手を合わせていた。
「すごい混んでたね」
先ほどまでの会話はなかったかのように、穂花は彼に向かって微笑んだ。私も曖昧に笑って見せる。
「どうした二人とも。なんかあった?」
「ううん、なんでもないって」
そう、なんでもない。
大丈夫だよ、穂花。
私は彼のことを奪ったりしないから。
二人が駅の改札に向かって歩き出した後をそっとついていく。いつかのテスト勉強会の帰りみたいに、私は揺れる二人の背中を見つめていた。私よりも背の高い穂花は、彼と並ぶととても絵になる。白いうなじも最高に色っぽい。
いつの間にか、彼女は私のずっと前を歩いていた。