「ねえ、日和どうしたの?」
昼休みには4組の教室で一緒にお弁当を食べていた穂花から顔を覗き込まれてようやく、自分が唐揚げをお箸で掴んだままぼうっとしていたことに気がついた。
「ううん、なんでもない」
「なんでもなくはないでしょ。どこの世界に唐揚げを食べる寸前で固まる女子高生がいるのよ」
「ここに」
「もう、日和ってば変なの」
穂花は自分のお弁当の白ごはんを口に運んだ。そういえば彼女にも、遠藤柚乃が消えた話をしていた。だとしたら、穂花も覚えていないのだろうか?
ねえ、遠藤柚乃って知ってる?
私が穂花にアプリのことで相談したの覚えてる?
「ねえ」
もぐもぐと口を動かすことに集中している穂花に、私は尋ねた。
「……神林のこと、本当はどう思ってるの?」
いま、本当に聞きたいのはアプリのことだ。遠藤柚乃を知っているかどうか。柚乃をもとに戻すべきか相談したことを覚えているかどうか。
でも、真正面からそれを聞く勇気がなかった。もし彼女の口から「知らない」という言葉が出てくれば、私は自我を保っていられなくなるかもしれない。
だからもう一つの気になっていることを聞いた。
土曜日に、穂花と神林と3人でカフェで過ごした時間を思い出す。息ぴったりの二人の会話を、帰ってから何度も反芻した。想像すればするほど、自分が二人の間に入り込む隙間なんてこれっぽっちもないんじゃないかって思えた。
「どうって、どういうこと?」
一点の曇りもない瞳が、私の目を捉えた。その目を見ていると、罪悪感に駆られる。私は彼女にこんなことを聞いて、何をしたいんだろう。
「そりゃ、好きとか、とういうの」
女子高生の会話なんて、ほとんどが色恋話だ。だから私が親友の恋愛事情について聞いたって決しておかしくはない。今までだって何組の誰それが格好いいだの話してみたいだの、散々穂花の口から聞いてきたんだ。
それなのに、胸に押し寄せるこの不安は何なのだろう。強く風が吹いて、荒波が押し寄せてくるような心地がする。走ってももう逃げることはできなくて、一瞬で波にのまれてしまいそうだった。
穂花は一瞬パチパチと瞬きをして、それからぷっと吹き出した。
「へ? 好きなわけないじゃん。何言ってんの、日和。おっかしー!」
きゃははは、と元気に笑い飛ばす穂花。こちらの不安とは真逆の反応が返ってきて、私はどうも感情を落ち着けることができな
い。
「そうなんだ。二人、すごく仲が良くてびっくりしたから」
「あー、この間のこと? あれはいつも通りだよ。幼稚園から付き合いあるんだから、もうほとんど家族って感じだよね。それに
してはあいつちょっと口悪くない? って思うこともあるけど」
「そっか。てっきり相思相愛なのかと」
「もしそんなことがあるなら、とっくの昔にそういう関係になってるって」
穂花はそう言って目を伏せるとまたお弁当の卵焼きを掴んで食べ始めた。彼女の後ろに見える教室の窓に、朝よりも激しい雨がボ
タボタと打ち付けている。それが、彼女の全身を濡らしているみたいで、私は思わず目を背けそうになった。
その時、ふと窓の外に視線が釘付けになった。
「あれ、誰かいる」
教室からは運動場が見えるのだが、端っこに数人の女子生徒の姿があった。見れば一人の女子を取り囲むように4人の女子が立っている。その構図は、まるで「弱い者いじめ」をしている輩そのものだ。しかも、取り囲んでいる女子たちは傘をさしているのに、囲まれている一人の女子は傘を持っていない。ずぶ濡れの制服姿だ。
「本当だ。どうしたんだろ?」
穂花も気になったのか、後ろを振り返って運動場の方を見た。私たちは目を凝らして、彼女たちが何をしているのかを確認しようとする。
「あの子、2組の遠藤さんじゃない?」
「え?」
穂花の口からさらっと柚乃の名前が出たことにビクッと肩を揺らしながら、私はより深く彼女たちを観察した。確かに、囲まれている方の女子は茶髪の長い髪の毛が水を吸い込んで身体にへばりついている。身長も、ぼんやりと見える顔も、言われてみれば遠藤柚乃に違いなかった。
「どういうことなんだろう。あの傘をさしてる人たち、顔は見えないけどさっきちょっと見えたスカーフの色からして、三年生かな」
この学校の生徒は、学年によって女子はスカーフの色、男子は校章の色が違っている。女子のスカーフは一年生が赤、二年生が青、三年生が緑だ。
「本当だ、緑のスカーフ」
私も穂花に言われて傘の隙間から見える彼女たちのスカーフを見たが、間違いなく緑だった。
「これって、いじめ……?」
「……そうみたいね」
「部活の先輩とか、そういうのかな」
「たぶん、そうだと思う……」
確か柚乃はバレー部に所属している。いま視覚から読み取れる情報としては、柚乃が三年生から嫌がらせをされていること。その
人たちはもしかしたらバレー部の先輩かもしれないこと。その2つだけ。
「どうする? 先生に言う?」
「待って、確証がないのに先生に言うのはちょっと」
「それもそうだね。遠藤さんと話ができればいいけど。日和、同じクラスだし遠藤さんと話せない?」
「私が彼女と?」
「そうだよ。何か問題でもある?」
正義感の強い穂花の瞳が、私に語りかける。穂花は私が柚乃にされていたことを知らない。もう完全に分かってしまった。アプリで柚乃を消す前のこと、代償を払って柚乃を元に戻したことが彼女の記憶にはないのだ。
はっきり言って、問題しかなかった。
私は柚乃と普通に会話をすることに抵抗がある。いくら今の彼女が以前の彼女と違うかもしれないからといって、おいそれと話しかけるなんてかなり勇気がいる。しかもとんでもなくデリケートな内容だ。想像するだけで頭が痛くなる。
「遠藤さんとはそれほど仲良くなくて……。急に話しかけたりしてびっくりされないかな」「なんだ、そんなこと気にしてる
の? あたし去年ちょっとだけ話したことあるけど、案外普通だったよ。まあちょっとプライドは高いみたいだけど。なんなら一緒に行く?」
穂花の中では、柚乃が校庭で上級生に詰め寄られているのを見て見ぬ振りをする、という選択肢はまったくないらしい。もし私一
人だったら、何もせずにその後の様子を見守っていただけかもしれない。そういうところが、私と穂花では全然違う。穂花は、自分が正しいと思う方へずんずん突き進む。時々私は彼女に追いつけない。私の臆病さが、彼女との距離を広げていく。
私も、もう少し積極的にならなければいけない。柚乃の存在を消し、彼女の大切な猫を奪い、安易に元に戻すという選択をしたのは私だから。
「……いや、大丈夫。二人で行くとなんか威圧的だし、同じクラスメイトとして私が話してみるよ」
「分かった。ありがとう!」
穂花はほっとしたように表情を崩した。彼女の正義感はきっと山よりも高い。私には真似できない、穂花のいいところだ。
もしかしたら神林も、穂花のこういう曇りのない心を好いているのかもしれない。どちらかと言えば何事にもうじうじと悩んで前に進めなくなる私とは違って、彼女は夏の日に肌に降り注ぐ太陽の光みたいに真っ直ぐだから。
昼休みには4組の教室で一緒にお弁当を食べていた穂花から顔を覗き込まれてようやく、自分が唐揚げをお箸で掴んだままぼうっとしていたことに気がついた。
「ううん、なんでもない」
「なんでもなくはないでしょ。どこの世界に唐揚げを食べる寸前で固まる女子高生がいるのよ」
「ここに」
「もう、日和ってば変なの」
穂花は自分のお弁当の白ごはんを口に運んだ。そういえば彼女にも、遠藤柚乃が消えた話をしていた。だとしたら、穂花も覚えていないのだろうか?
ねえ、遠藤柚乃って知ってる?
私が穂花にアプリのことで相談したの覚えてる?
「ねえ」
もぐもぐと口を動かすことに集中している穂花に、私は尋ねた。
「……神林のこと、本当はどう思ってるの?」
いま、本当に聞きたいのはアプリのことだ。遠藤柚乃を知っているかどうか。柚乃をもとに戻すべきか相談したことを覚えているかどうか。
でも、真正面からそれを聞く勇気がなかった。もし彼女の口から「知らない」という言葉が出てくれば、私は自我を保っていられなくなるかもしれない。
だからもう一つの気になっていることを聞いた。
土曜日に、穂花と神林と3人でカフェで過ごした時間を思い出す。息ぴったりの二人の会話を、帰ってから何度も反芻した。想像すればするほど、自分が二人の間に入り込む隙間なんてこれっぽっちもないんじゃないかって思えた。
「どうって、どういうこと?」
一点の曇りもない瞳が、私の目を捉えた。その目を見ていると、罪悪感に駆られる。私は彼女にこんなことを聞いて、何をしたいんだろう。
「そりゃ、好きとか、とういうの」
女子高生の会話なんて、ほとんどが色恋話だ。だから私が親友の恋愛事情について聞いたって決しておかしくはない。今までだって何組の誰それが格好いいだの話してみたいだの、散々穂花の口から聞いてきたんだ。
それなのに、胸に押し寄せるこの不安は何なのだろう。強く風が吹いて、荒波が押し寄せてくるような心地がする。走ってももう逃げることはできなくて、一瞬で波にのまれてしまいそうだった。
穂花は一瞬パチパチと瞬きをして、それからぷっと吹き出した。
「へ? 好きなわけないじゃん。何言ってんの、日和。おっかしー!」
きゃははは、と元気に笑い飛ばす穂花。こちらの不安とは真逆の反応が返ってきて、私はどうも感情を落ち着けることができな
い。
「そうなんだ。二人、すごく仲が良くてびっくりしたから」
「あー、この間のこと? あれはいつも通りだよ。幼稚園から付き合いあるんだから、もうほとんど家族って感じだよね。それに
してはあいつちょっと口悪くない? って思うこともあるけど」
「そっか。てっきり相思相愛なのかと」
「もしそんなことがあるなら、とっくの昔にそういう関係になってるって」
穂花はそう言って目を伏せるとまたお弁当の卵焼きを掴んで食べ始めた。彼女の後ろに見える教室の窓に、朝よりも激しい雨がボ
タボタと打ち付けている。それが、彼女の全身を濡らしているみたいで、私は思わず目を背けそうになった。
その時、ふと窓の外に視線が釘付けになった。
「あれ、誰かいる」
教室からは運動場が見えるのだが、端っこに数人の女子生徒の姿があった。見れば一人の女子を取り囲むように4人の女子が立っている。その構図は、まるで「弱い者いじめ」をしている輩そのものだ。しかも、取り囲んでいる女子たちは傘をさしているのに、囲まれている一人の女子は傘を持っていない。ずぶ濡れの制服姿だ。
「本当だ。どうしたんだろ?」
穂花も気になったのか、後ろを振り返って運動場の方を見た。私たちは目を凝らして、彼女たちが何をしているのかを確認しようとする。
「あの子、2組の遠藤さんじゃない?」
「え?」
穂花の口からさらっと柚乃の名前が出たことにビクッと肩を揺らしながら、私はより深く彼女たちを観察した。確かに、囲まれている方の女子は茶髪の長い髪の毛が水を吸い込んで身体にへばりついている。身長も、ぼんやりと見える顔も、言われてみれば遠藤柚乃に違いなかった。
「どういうことなんだろう。あの傘をさしてる人たち、顔は見えないけどさっきちょっと見えたスカーフの色からして、三年生かな」
この学校の生徒は、学年によって女子はスカーフの色、男子は校章の色が違っている。女子のスカーフは一年生が赤、二年生が青、三年生が緑だ。
「本当だ、緑のスカーフ」
私も穂花に言われて傘の隙間から見える彼女たちのスカーフを見たが、間違いなく緑だった。
「これって、いじめ……?」
「……そうみたいね」
「部活の先輩とか、そういうのかな」
「たぶん、そうだと思う……」
確か柚乃はバレー部に所属している。いま視覚から読み取れる情報としては、柚乃が三年生から嫌がらせをされていること。その
人たちはもしかしたらバレー部の先輩かもしれないこと。その2つだけ。
「どうする? 先生に言う?」
「待って、確証がないのに先生に言うのはちょっと」
「それもそうだね。遠藤さんと話ができればいいけど。日和、同じクラスだし遠藤さんと話せない?」
「私が彼女と?」
「そうだよ。何か問題でもある?」
正義感の強い穂花の瞳が、私に語りかける。穂花は私が柚乃にされていたことを知らない。もう完全に分かってしまった。アプリで柚乃を消す前のこと、代償を払って柚乃を元に戻したことが彼女の記憶にはないのだ。
はっきり言って、問題しかなかった。
私は柚乃と普通に会話をすることに抵抗がある。いくら今の彼女が以前の彼女と違うかもしれないからといって、おいそれと話しかけるなんてかなり勇気がいる。しかもとんでもなくデリケートな内容だ。想像するだけで頭が痛くなる。
「遠藤さんとはそれほど仲良くなくて……。急に話しかけたりしてびっくりされないかな」「なんだ、そんなこと気にしてる
の? あたし去年ちょっとだけ話したことあるけど、案外普通だったよ。まあちょっとプライドは高いみたいだけど。なんなら一緒に行く?」
穂花の中では、柚乃が校庭で上級生に詰め寄られているのを見て見ぬ振りをする、という選択肢はまったくないらしい。もし私一
人だったら、何もせずにその後の様子を見守っていただけかもしれない。そういうところが、私と穂花では全然違う。穂花は、自分が正しいと思う方へずんずん突き進む。時々私は彼女に追いつけない。私の臆病さが、彼女との距離を広げていく。
私も、もう少し積極的にならなければいけない。柚乃の存在を消し、彼女の大切な猫を奪い、安易に元に戻すという選択をしたのは私だから。
「……いや、大丈夫。二人で行くとなんか威圧的だし、同じクラスメイトとして私が話してみるよ」
「分かった。ありがとう!」
穂花はほっとしたように表情を崩した。彼女の正義感はきっと山よりも高い。私には真似できない、穂花のいいところだ。
もしかしたら神林も、穂花のこういう曇りのない心を好いているのかもしれない。どちらかと言えば何事にもうじうじと悩んで前に進めなくなる私とは違って、彼女は夏の日に肌に降り注ぐ太陽の光みたいに真っ直ぐだから。