強い風が吹いて、ひゅっと私の髪を揺らした。だいぶ伸びた髪は、神林の顔にふりかかる。

「ごめん」

「大丈夫」

慌てて私は髪の毛を耳にかけた。神林の息遣いが、先ほどよりも近く心臓の動きは余計に速くなる。視界に映るもくもくとした雲が、風に押されて流れていく。変わらないようで少しずつ変化していく空模様。二人の間を流れる空気も、彼と仲良くなる前とは違っている。
そこで私はようやく決心がついた。

「柚乃にいじめられてた。夢じゃない、現実で」

口にすると目尻から涙が溢れそうになって、私はまた膝に顔を押し付けた。やだ、どうして泣きそうなんだろう。しかも、よりにもよって彼の前で。
流れてくる涙を堰き止めるように強く膝に顔をあて、歯を食いしばった。
そっと、背中に温かいものが触れた。彼の手だった。その手は小さな子供が泣いているのをあやす時みたいに、ゆっくりと上下に動いていた。背中をさすられた私は、余計に溢れる涙を止められなくなる。こんなことになるなんて思ってなかった。彼の前で泣くなんて、格好悪くて情けなくて。耳の裏まで熱が上がっていくのを感じた。

「辛かったな。いまは泣いてもいいと思う」

泣いてもいい。
待ち望んでいた言葉がそのまま降ってきて、次の瞬間には声を上げて泣いていた。これまで自分が抑えていた感情が、一つの塊になって散らばっていく。屋上の隅々まで、空の向こうまで。
神林は、私が泣き止むまで背中を撫でてくれていた。幼い頃から両親には厳しく育てられてきた。家の中で笑っていると「何遊んでるの。勉強しなさい」と怒られることもあった。そのせいか表情が少なくなり、泣きたい時に思い切り泣いたこともない。
彼の優しさが、これほどまでにダイレクトに胸に突き刺さるなんて。
長い間枯れていた涙を出し尽くしたあと、私はゆっくりと顔を上げた。きっといま、ひどい顔をしている。目が腫れているのが分かった。

「気は済んだ?」

「……うん。ほんとごめんね」

「いやいや、春山さんが謝ることじゃない」

「ありがとう。柚乃はさ、私のせいで消えちゃったんだよね」

自分でも驚くほど素直に、“本当のこと”を神林に切り出していた。

「どうしてそう思うの? 何か理由があるんだよね」

私の話を完全に信じたわけではないはずなのに、神林は優しく問いかけてくる。
彼にアプリのことを話そうか、正直迷った。およそ現実離れした話に、彼がどこまで本気で聞いてくれるか分からない。
私は、真剣にこちらを見つめる彼の目を見た。瞳の奥に、一点の曇りもない。いまこの瞬間、彼は全身全霊で私の次の言葉を待っている。絶対に聞き逃すまいと、岩陰から獲物を狙うハンターのように息を潜めていた。
流れる雲を目で追いながら、私はようやく決心がついた。