実際、彼女自身もそのことは自分で分かっているようだけど。

 おそらく、他薦というよりは『こいつなら断ることはないだろう』くらいの、多数決というよりは削除式の採決がとられたのだろう。

 自分はなりたくないけれど、誰になっても文句はいわないという、一般的な考え方だ。

 だけど、残念ながらわたしは倉敷さんを慰めるような台詞は言わずに、逆に彼女を責めるような口調で、言い放った。

「ちゃんと断らないあんたが悪いんじゃない?」

「あははー、厳しいなぁ。遠野さんは」

 しかし、わたしのそんな台詞に対して、倉敷さんは気まずそうに笑うだけだった。


 どうやら、自分の非は自覚しているらしい。

 わたしは、そういう人間が嫌いじゃない。


「もしかして、遠野さんって、『いじめっていうのは、いじめられる人間に問題がある』って考えているタイプ?」

「そんなわけないでしょ」

 咄嗟だったから、口調が荒っぽくなってしまったけれど(もう随分と前に彼女には自分の『正体』を見せているので今更感は否めないが)、さすがにわたしでさえ、そこまでの極論を持ち合わせてはいない。

 いじめっていうのは、いじめる奴が悪い。

 たとえそれは、どんな理由があっても、だ。

 あいつらは、自分の正当性を他人に押し付ける愚か者どもで、唯一わたしが家族以外で自分より下のヒエラルキーに位置する人間だと思っている。

「そっか。でも、わたしはね、いじめられる人にも、責任がないわけじゃあないと、思っているんだ」

 しかし、倉敷さんには珍しく、自分の意見の主張を続ける。ネットで発言すれば炎上間違いなしの思想だが、彼女にとってはそれが真実なのだろう。

 それはまるで、自分を断罪しているような発言だった。

 その理由も、わたしじゃなくても気付く人間は多いだろう。

 念のため、答え合わせをするためにわたしは倉敷さんに聞いてみた。