わたしは家族なんて嫌いだ


「あー、パパそこ邪魔だからどいてー」

 ふと、そんなことを考えてしまっていたところに、女の子が聞こえてくる。

 廊下には、髪型をボサボサにしたまま下の階に向かおうとする(ゆう)ちゃんが横切るのがみえた。

 しかし、何かに気付いた憂ちゃんは、一度通り過ぎたわたしの部屋に再び戻ってきた。

「ん? っていうかパパ! また勝手に愛美お姉ちゃんの部屋に入ってるじゃん! ママに怒られても知らないからねっ!」

「うげっ、そっ、それは困る! 愛美ちゃん! それじゃ下の階で待っているから!」

 そう言い残して、由吉さんは急いで下の階へと戻っていった。

 全く、朝から慌ただしい人たちだ。

 さて、わたしもリビングに向かう準備をしたほうがいいだろう。

 昨日のうちに久瑠実さんが用意してくれた学校の制服に着替えてから、洗面台にいって自分の顔をみる。

 鏡の中の自分の顔を殴りたい衝動を今日も抑えながら顔を洗ったのち、リビング前のドアを開けると、すでに一家団らんという具合に、近江一家が席についていた。

「おはよう愛美ちゃん。さぁ、みんなでご飯、いただきましょう」

 朝からでも、久瑠実さんのおっとりとした笑顔は健在だった。

 そして、わたしの姿をみると、空いている席に座るように促した。

 だけど、しばらくわたしはその場で固まってしまうことになる。


「愛美お姉ちゃん?」

 そんなわたしを不思議そうに見てくる憂ちゃん。

 そして、わたしは絞り出すような声で近江(おうみ)一家に尋ねる。

「あの……、みなさん、まだご飯……、食べていないんですか?」

 わたしは、食卓に料理が並べられているというのに、誰一人として手をつけていないという光景に、疑問を呈するほかなかった。

「んー? そんなの決まってるじゃないか、愛美ちゃん」

 だが、そんなわたしの質問に、あっけらかんと答えてくれたのは、由吉さんだった。

「食事は、みんなで食べるもんだよ」

 由吉さんの発言に続くように、蓮さんが言葉を紡ぐ。

「これが、父さん……、近江一家の掟みたいなものなんだよ」

「ほらほらー、愛美お姉ちゃんも早く席に着きなよー」

 今のわたしと同じ制服を着た憂ちゃんがわたしを呼ぶ。

 そういうもの、なのだろか? 

 わたしの記憶の中には、もう誰かと一緒にご飯を食べるというものが存在しなかったので、これには衝撃というか、一種のカルチャーショックのようなものを与えられた気分だった。

 だけど、郷に入れば郷に従え、か……。

 わたしは昨日、同じように夕食を食べた自分の席(らしい)に座って、朝食を摂る。

 食卓にはロールパンとベーコンエッグが並んでいたが、昨日の夜と同様、それぞれに配分されてはおらず、一カ所に集められたバケットと皿の中から手を伸ばしていく方式だった。

 ホテルのバイキングみたい、という突っ込みをどうにか飲み込んで、わたしは遠慮がちにロールパンをひとつだけ頂いて、乱暴に牛乳で流し込んだのだった。


 公立宿木(やどりぎ)中学校。

 それが、わたしが新しく通う、中学校の名前だ。

「それじゃ愛美お姉ちゃん! がんばってねー」

 わたしを職員室まで案内してくれた憂ちゃんは、元気いっぱいに手を振って去っていった。

「んー、あの子、君の妹?」

 頭をかきながら、セーターを着た男性教員がわたしにそう尋ねてきた。

「……いえ。あの子はわたしが……お世話になっている親戚の家の子、です」

 そして、わたしは覚束ない口調で返事をした。

 妹だったら一緒にここに残るでしょ? と、余計なことを言いそうになったところで、「ふーん、そう」という、さもどうでも良さそうな返事があって、それで憂ちゃんの話題は終わってしまい、男性教員は自分の自己紹介を始めた。

 まぁ、わかっていたことだが、彼はわたしの担任の先生で、クラスは2年A組ということらしい。

 クラスの人数は30人。おおよそ男女半々という、わたしには全く興味のない情報が先生の口から次々と発せられた。

 そして、「じゃ、HRでみんなの前で挨拶してね」と言われて、わたしは先生の後ろについていって教室へと案内される。

 すでにチャイムは鳴っていたので、廊下には生徒がおらず、わたしと先生だけが歩いている。

 っていうか、憂ちゃんは遅刻にならなったのだろうか?

 チャイムと同時に座っていなければ遅刻扱い、なんて校則の厳しい学校じゃなければいいのだが……。

 いやいや、今は憂ちゃんの心配より、自分の心配をしなくては。

「じゃ、ここで待っててね」

 そう言われて、わたしは二年A組の教室の廊下の前に1人にされる。

 教室に入った先生は、「今日からこのクラスの仲間が1人加わります」なんてお決まりの挨拶をする。

 男子生徒の声で「男子ですか!? 女子ですか!?」なんて、これまたお決まりの返答をして教室をざわめかせていた。

 おいおい、ハードルあげるなよ。と、眉間にしわを寄せたところで、「おーい、遠野(とおの)」と、わたしの名前を先生が呼んだ。

 まぁ、これぐらい、どうってことはない。

 大丈夫。自己紹介なら、近江一家の前でもやったじゃないか。

 そう自分に言い聞かせて、わたしが教室の扉を開けた瞬間、クラス一同の視線が一斉に集まった。


 ――うわっ、これって思ったよりもキツいかも…………。


 荒くなりそうだった呼吸を整えて、わたしは教卓の前に立ち、緊張している女子生徒という立場を保ちながら、言った。


「遠野……愛美です。これからどうか……よろしくお願いします」

 わたしは最低限の挨拶だけして、ちらっと先生を見た。

 先生は「えっ、それだけか?」という表情をしていたが、わたしがこれ以上は何も言わないことを察してくれたようで「……それじゃ遠野は、一番後ろの席を使ってくれ」と告げてHRを再開した。

 席について、ふっ、と肺に溜まった空気をすべて吐き出す。

 少しまごついたかもしれないが、おそらく許容範囲だろう。

 このクラスの人間は、わたしのことを普通の転校生だと思ってくれたはずだ。

 注目が集まっているのは今だけで、その好奇心もすぐにはがれていくだろう。

 そうすれば、わたしは空気のように、ただ当たり前にそこにいるけれど、認識はされない存在になるように努めよう。



 これからの学校生活は、誰とも関わらないと決めている。

 だからこそ、わたしはみんなの前で、「仲良くしてくださいね」なんていう社交辞令を、口が裂けても言わなかった。


 新しいクラスメイトが増えたことによって、教室がちょっとしたお祭り騒ぎになっていた。

 転校生が来ることはわかっていたはずだから、その間に「どんなやつが転校してくるんだろう?」と、皆が少なからず興味をもっていたのだろう。

 その証拠に、休み時間になると、まずは女子グループの何組かが声をかけてくる。

 わたしからすれば、迷惑極まりない話だ。

 どこから転校してきたのか?

 前の学校は何が流行っていたのか?

 部活動には入る予定なのか?

 そんな質問が、次から次へとぶつけられる。

 わたしは、できるだけ声の抑揚を抑えて、まだ緊張して上手く話せない転校生を演じてその場を乗り切った。

 きっと、わたしをグループに入れようと目算したのだろうが、残念ながらわたしにその意思はない。

 わたしは、ただただ1人で、学校生活を静かに送りたいだけなんだ。

 ほっといてくれ、と叫びそうになるが、もちろんそんなことは言わない。

 わたしだって、いくら自分が社会不適合者だと認識していても、蔑まれたいわけじゃない。

 ちゃんと、馴染めないなら馴染めないなりに、ひっそりと生きていくつもりだ。

 かわいそうなやつ、なんて絶対に思われたくない。

 死にたくなる。

 クラスに友達はいないけど、浮いているわけじゃない。

 それくらいの立ち位置が、今のわたしが欲しているベストポジションだ。

 だから、何人かの女の子に「今日一緒に遊びにいかない?」と誘われても、「ごめんなさい。まだ引っ越し作業が終わっていなくて……」と、さも申し訳なさそうに辞退した。

 1回断ってしまえば、次は誘いにくくなるのが人間というものだ。

 そうやって、少しずつ、クラスメイトたちと距離をとろう。

 そんな感じで、クラスの子たちからの誘いを断ったところで、無事、放課後を迎えた。

 そして、わたしはこのまま近江家へと帰っていく。

 ――はずだったのだが。


「おーい、まなみおねえちゃーん! いっしょにかーえろ!」

 教室から出た瞬間、廊下に響いたわたしを呼ぶ声。

 嘘でしょ……、と頭の中で呟いたが、そんなわたしの心の声が聞こえるはずもなく、わたしを呼んだ張本人、(ゆう)ちゃんがぴょんぴょんはねながら、わたしのところへやってきた。

「愛美お姉ちゃん! 一緒に帰ろうっ」

 わたしの前まできた憂ちゃんは、先ほどと同じ台詞を言った。

 唯一の救いは、今度は叫ばずに内容を伝えてくれたことだ。

「うっ、うん。そう…………だね」

「よーし、それじゃ出発!」

 わたしの手を引いて、憂ちゃんが廊下を走る。

 慌てるわたしなんて、完全に無視だ。

 そして、無邪気な憂ちゃんは、そのままわたしを学校の外まで連れ出した。

 この子、もしかして意外に体育会系? なんて言葉が頭に浮かんだところで、憂ちゃんが子供らしい無邪気な笑顔でわたしを見て、こう告げた。

「ねぇねぇ、愛美お姉ちゃん! プリクラ撮りに行こうよ!」

「プリクラ?」

 プリクラって……あれだよね? 

 お金を払って写真をとって、それをシールに加工するやつ。

 しかし、何故また急にこの子はそんなことを言い出したのだろう?

「あたし、愛美お姉ちゃんとツーショットのプリクラ欲しいんだー! ねぇーいいでしょー?」

「……うん、別にいいけど」

 ここで駄目って言っても、憂ちゃんは多分わたしが「いいよ」って言うまで解放してくれないことは火を見るよりも明らかだった。

 昔やった、選択肢があるにも関わらず『いいえ』を押し続けても、一向に場面が展開しないゲームを思い出す。

 正直、写真やプリクラみたいに、自分の姿を写させるという行為は、わたしにとってかなりのストレスなのだけれど(小学校の卒業アルバムを貰ったその日にゴミ箱に捨てるほど、わたしは写真が大嫌いなのだ)嫌なことは早めに終わらしておくべきだろう。


「わーい! やった! それじゃ早速、ゲームセンター行こう!」
 わたしの気分とは正反対の憂ちゃんは、上機嫌で手を握ってきて、再び走り出した。

 やっぱりこの子、体育会系だ。
 
 
 繁華街にやって来たわたしたちは、プリクラ専門店に入って、写真を撮影した。

 しかし、プリクラ専門店なる店があるなんて驚きだ。

 わたしの以前住んでいた街にも、こんなものがあったのだろうか?

 プリクラなんて全く興味のなかったわたしが、知るはずもない話なのだけれど。

 そして、気付いた時には、あっという間に撮影会は終了していた。

 初心者のわたしは、とにかく呆然と憂ちゃんの指示に従うだけで、ただその場にずっと立ち尽くしていただけだった。

 言われるがままに、ピースサインなんていう屈辱的なポーズまでしてしまったけど、それは不可抗力ということで仕方がなかったんだと自分に言い聞かせて納得させた。

「わぁー、可愛く撮れたね! 愛美お姉ちゃん!」

 嬉しそうにする憂ちゃんとは裏腹に、わたしは疲労感で倒れ込んでしまいそうだった。

 この子の相手は、正直肉体的にも、精神的にもキツイ。

 幸いなのは、本人である憂ちゃんが楽しそうにしていることぐらいか。

 実際、憂ちゃんはプリクラの出来栄えが相当気に入ったらしく、早速、自分の手帳のようなものにペタペタと貼り付けていた。

「ねぇねぇ、次は2人で衣装も借りて撮影しようよ。このお店、可愛い洋服をレンタルして撮影もできるんだよ~」

 マジか。絶対にやりたくない。

 瞬時にそう思ったわたしだったけど、ウキウキな憂ちゃんの心に傷をつけるのも嫌だったので、適当な言い訳を取り繕うことにした。

「う~ん。そっか……」

 わたしの返事を聞いて、残念そうにする憂ちゃんだったが、すぐに別のアイディアを提示してきた。

「じゃ、せっかくだから今日はいっぱい遊んで帰ろうよ! ここらへんはあたしの縄張りだから、色々紹介してあげるよ!」

 そう言って、プリクラ専門店を後にしたわたしに待っていたのは、憂ちゃんによる街ぶらロケだった。