そして、わたしが包丁を持ったまま、キッチンを立ち去ろうとしたときだった。
「なにしてるの? 愛美ちゃん」
……やっぱり、一筋縄では、いかないよ、この人は。
「蓮さん。おはようございます」
わたしは、いつもと同じように挨拶をした。自分でも驚くくらい、ニュートラルな声質だった。
「『おはようございます』じゃないでしょ?」
蓮さんが、そんな返答をしてくる。スウェット姿は、初めて見たけど、服装だけじゃなくて、こんなに怖い顔をした蓮さんを見るのは初めてだった。
それでも、わたしは、怯むことなく、蓮さんと対峙する。
蓮さんは、そんなわたしの態度を見て、眉間に皺を寄せる。
「まずは、その持ってるものを元のところへ戻そうか」
「……嫌だって言ったら、どうしますか」
「わかった。まずは話を聞く」
「わたしから話すことなんて、何もありません」
「悪いけど、僕は君に聞きたいことだらけなんだよ。でも、しいて一つだけ聞かせてほしいことがあるとすれば……」
一息区切ったあと、蓮さんは告げる。
「愛実ちゃん。君は、その包丁でなにをするつもりだい」
わたしは、思わず笑いそうになるのを堪えて、蓮さんを睨みつけながら、答えた。