しかし、中年の男性はそのことに気がつかなかったのか「そっか! よかったー」と安堵の表情を浮かべた。
「愛美ちゃん。遠いところからよく来たね。今日から君の住む家の主の近江由吉です。おっと、名前が『ゆきち』だからって、お金を持ってるって思わないでくれよ。毎月お小遣い制の厳しいサラリーマンなんだから! はーはっはっはっ…………」
駅のホームに中年男性の笑い声が木霊して、改札に向かう人たちが怪訝な目を彼に向けていた。
もちろんわたしも例外なくその1人となっていた。
彼もその様子に気づいたのか、調子よく笑っていた声がしだいに小さくなり、表情をひきつらせ始めると、急いでポケットから携帯を取り出してどこかに電話し始めた。
「……あっ、もしもし久瑠実さん? どうしよう、僕の鉄板ギャグが愛美ちゃんに全然通じなかったんだけど! えっ、そんなことでわざわざ電話してこないで、って? うん、うん、それはほら……渋滞とか色々あって、愛美ちゃんも怒ってないみたいだし……わかった、それじゃ、愛美ちゃんと一緒に帰るね」
電話口にそう告げた後、もう一度頭を下げてきた。
「ごめんね愛美ちゃん。このギャグ結構ウケるんだけど……中学生からしたらセンスがなかったのかな?」
あっ、あれはギャグだったんだ。
気づいてあげられなくて、申し訳ないことをしてしまった。
まぁ、愛想笑いもできないわたしは、どっちみち場の空気を乱してしまっていたことだろうけれど。
「迎えが遅れちゃったお詫びってわけじゃないんだけど、駅前に美味しいクレープ屋さんがあるってこの前、憂が教えてくれたんだ。愛美ちゃんにごちそうするよ」
と、私の返答を聞く前に、彼は私の手を握って先導してくれた。
久々に握られた手の感触は、温かくて、わたしよりもずっと大きな手だった。
でも、それをわたしは、まるで異世界人と触れ合ったような、そんな気持ち悪さを感じてしまったのだった。