「皆の者、聞いてほしい。今日より無期限で、苺苺を妾の宮に招待することにした」
 朝餉を終えたあと。
 木蘭は紅玉宮の女官を一堂に集めてそう告げたかと思えば、隣に立つ苺苺の腰辺りに、遠慮なくぎゅうっと抱きついた。
(ひえっ! 木蘭様が、木蘭様がっ)
 朝の支度を整えるために若麗が寝室を訪れるまでの間、木蘭から『お泊まり会によって歳の離れた妃たちが親密になった様子を演出する』とは聞いていたが、抱きしめるとは聞いてない。
 木蘭と紫淵は完全なる別の生き物と捉えている苺苺は、ただひたすら朝から強制過剰摂取させられる可愛さに頬を染めて悶える。
(目がぐるぐる回って、頭がくらくらします〜〜〜!)
「ふ、ふつつか者ではございますが、皆様どうぞよろしくお願いいたしますッ」
 やっとの思いで挨拶を言い切り、苺苺は遠慮がちに木蘭をきゅっと抱きしめ返す。
「ふふっ。苺苺お姉様と一つ屋根の下で過ごせるなんて、妾は幸せものです」
(あああっ、木蘭様とこんなに仲良くなれるだなんて、紫淵殿下に怒られないでしょうかっ)
 その紫淵が木蘭であることなど、もうすっかり忘れてしまった苺苺である。
「お待ちください、木蘭様! 白蛇妃を無期限で招待って……それはいったい、どういうことですか!?」
 筆頭女官の隣に立っていた苺苺と同じ年頃の勝気な相貌の女官が、キッと眉を吊り上げる。
「お泊まり会を延長ということでしょうか?」
「まあ、それは良いわね。紅玉宮がもっと明るくなるわ」
 若麗と、先ほどの勝気な女官とは反対側に立っていた背の高い年嵩の女官は、顔を見合わせて柔和に微笑む。
「ちょっと若麗様、怡君(イージュン)様、なに和んでるんですか!『白蛇の娘』を紅玉宮預かりにするなんて縁起が悪いです。それも無期限なんて! 木蘭様と紅玉宮に障りがあったらどうするつもりですか!?」
春燕(チュンエン)様の言う通りだわ」
「そうね、木蘭様がいくら姐姐と懐いていても……『白蛇の娘』だわ」
「一泊二日だけだったらまだしも、ずっとなんて」
 勝気な女官、春燕の言葉を皮切りにして他の女官たちもざわざわと話出し、口々に不信感をあらわにする。
 年上の妃に甘える幼妃の演技に徹していた木蘭は、総勢十五人の女官を見渡す。
 なあなあな理由で煙に巻けたら御の字と考えていたが、やはり一筋縄ではいかなかったか。
 そう考えながら木蘭はむっとした顔をすると、抱きついていた苺苺から離れた。
 いつものお澄まし顔をして、ぱんぱんっと手を叩く。
「静粛に」
 幼い、けれどどこか凛とした木蘭の声で、紅玉宮は一斉に静まり返った。
 しんと静まり返った中、苺苺もつられるようにして、慌てて背筋を伸ばす。
「皆が知っての通り、妾は先日あやかしに襲われた。そのあやかしを退け、命を懸けて助け出してくれたのが白蛇妃、白苺苺だ。……若麗、そうだな?」
「はい。私もしかとこの目で拝見しました」
 筆頭女官の若麗が木蘭の付き添いとして事件現場にいたことは周知の事実。その若麗の証言を聞いて、反対していた女官たちは押し黙る。
「どうして苺苺が妾を助けられたのか。それは『白蛇の娘』である彼女に、あやかしを退ける異能(・・・・・・・・・・)があるからだ」
「あやかしを……?」
「そんな異能が……?」
「『白蛇の娘』の異能の噂は本当だったのね……」
 ざわめき出す女官たちに、木蘭は再び「静粛に」と言い放つ。
「過去後宮で起きた事件に、『白蛇の娘』がなんらかの関わりがあった可能性が指摘されているのは妾も知っている。だが、皆の者が恐れているのは、伝説や歴史書に描かれた物語の中の『白蛇の娘』に他ならない」
 木蘭はキリリと目を細め、貴姫としての風格を見せつける。
「つまり! ここにいる白苺苺の異能は、妾たちが恐れるものではない!」
 その言葉に、女官たちは困惑げにそれぞれ顔を見合わせて、「そうかも」と頷きあう。
「今後また、先日のあやかしが紅玉宮を狙わぬとも限らない。そのために苺苺には、妾をあやかしから守護する『異能の巫女』として、護衛や夜警をしてもらう。紅玉宮の皆のためにもなるだろう。……苺苺、皆に異能の説明を」
「はい。ええっと、わたくしの異能は、わたくしの血を使ってあやかしを退けるというもの……です。宦官の方々は妖術だと騒がれておりましたが、ただの退魔の術だとお考えください。ど、どうぞよしなに」
(それだけがわたくしの異能ではありませんが、すべて開示することはできませんので、どうかご容赦くださいませ……!)
 頭を下げた苺苺は、ぎゅっと目を瞑ってやり過ごす。
「そういうことだ。あやかしが再び現れない確証を得るまで、苺苺には妾のそばにいてもらう。紅玉宮は白蛇妃を歓迎し、貴賓としてもてなすように。いいな?」
「――御意」
 それぞれの胸中に思う気持ちはあるが、事の次第を理解した女官たちは木蘭の命令に一斉に応じると、一糸乱れずに恭しく(こうべ)を垂れた。


 ◇◇◇


 ――時は少し遡り、朝日が昇りきった木蘭の寝室にて。
 最上級妃・貴姫と最下級妃・白蛇による今後の話し合いは行われていた。
『木蘭様も朝の身支度があるでしょうから、わたくしは一度失礼させていただきますね』
 そう言って一度退出しようとした苺苺だったが、そんな苺苺をムッとした顔で通せんぼしたのが木蘭である。
『どうせなら、同じ寝台で眠って〝お泊まり会を満喫しまくったふたり〟を演出するために、あえて女官たちが来るのを待とう。苺苺、女官が来るまでは話し合いを続けるぞ』
 木蘭はそんな提案して、再び寝台に腰掛けるよう苺苺の手を引いた。
 そうして提案されたのが、紅玉宮への無期限滞在だったわけだが――。
「これ以上、木蘭様にご迷惑をおかけするのはわたくしとしても心が痛みますッ。秘密は死守しますので、夕餉を終えてからお泊まり会にだけご訪問させていただくというのは……!?」
「却下だ。夜だけ紅玉宮に来るだなんて、事情を知らない女官や宦官の間で変な噂が立つだろう。ただでさえ木蘭暗殺未遂の容疑で投獄されていたのに」
「うぐっ。確かに『白蛇妃が木蘭様を毎日呪いに通っている』なんて噂されそうです。ですがわたくしにも、立派な水星宮がございます。白蛇妃として管理をせねば!」
 現在、苺苺は大反対の真っ最中である。
 なぜなら推しに迷惑をかけないのが、推し活を嗜む者の流儀だからである。
「水星宮の実態は調査させている。あんなところに住まわせて悪かった。これからは心置きなく、妾の紅玉宮で過ごしてくれ」
「いえ、あんなところだなんて! わたくしだけ離れだなんてむしろ好待遇、極楽お気楽自由気ままな刺繍道楽〜な毎日を過ごさせていただいておりましたわ! 鼻歌も歌い放題ですし」
「湯船は三尺の木桶。厨房は茶の湯が沸かせる程度。煎餅かと見間違う褥が敷かれた下女用の寝台。窓枠はどこもがたがきているし、日が暮れたら隙間風で冷えたはずだ。なにより、部屋が一室しかない。なんだあれは、馬小屋か? 誰が造った? 馬鹿なのか?」
「木蘭様、水星宮は歴史的建造物なのですっ。なにより一室にぎゅぎゅっと全てが整えられた画期的設計! むしろ時代の最先端やもしれません! 単身者向け一室住居(風呂、御手洗完備、厨房無し)ですっ」
 頭を抱える木蘭に、苺苺はふんすと鼻息荒く力説して詰め寄る。
 木蘭は「はあ?」と幼妃に似合わぬ呆れた声を出して、「とにかく」と苺苺の額を指先で小突いて押し返した。
「妾が自分の怪異に掛かりきりだった弊害だ」
 青年から幼女になるという怪異のせいで、青年の時間には天藍宮に籠もって溜まりきった多くの執務をこなさなければならず、幼女の時には妃らしくあるために授業がある。
 しかも後宮に入ってからは悪意による体調不良にも見舞われていた。
 そのせいで身動きが取れなかったというのもあるが、最も東八宮を調査しなかった理由は――。
 罪悪感と後悔が鬩ぎ合う。
「栄養たっぷりの朝晩の食事に八つ刻(三時)の茶菓子、燐華国十三大銘茶も苺苺のためだけに取り寄せる。美肌に効くという薔薇もすでに用意させた、湯浴みも妾の湯殿で好きなだけしてくれ。寝台も苺苺にふさわしいくあるよう、昨日のうちに十分に整えさせてある。犯人探しの時間以外は、ぐっすり昼寝をしてて構わない」
「な、なんと。豪華薔薇風呂と三食昼寝つき……!?」
「どうだ。好条件だろう?」
 ふふん、と木蘭は胸を張る。
 その仕草のあまりの可愛さに思わず胸がそわそわした苺苺だったが、
「はっ、自分を見失うところでした」
とぶんぶんと首を振る。
(それに、栄養満点の朝晩の食事とお茶の時間は魅力的ではありますが、わたくしは日がな一日刺繍をしているので、昼寝の時間はあまり意味はありません。薔薇風呂は、その、ほんの少し興味はありますが……やはり湯浴み時間を長く使っては刺繍ができませんし、本末転倒です。わたくしは木蘭様を全力でお守りするためだけに、後宮へ参ったのですから)
 苺苺は寝台に三つ指をついて深く頭を下げる。
「あ、ありがたいお申し出ですが、辞退させていただきます」
 得意顔をしていた木蘭は、すっと表情をなくして閉口した。
「〝異能の巫女〟として紅玉宮でのお勤めは果たさせていただきます。ですが、やはり日中にはお暇を……」
「なぜだ」
「木蘭様にご迷惑をおかけしたくないからです」
「それは最初に聞いた。迷惑じゃないと言っているだろう。……ここにいてくれ、苺苺」
「で、ですが……」
 真剣な表情でこちらを見上げてくる木蘭が、そっと小さな両手を苺苺の頬に添えた。
 あたたかい。紫水晶の大きな瞳に吸い込まれそうだ。
 何も答えぬ苺苺に焦れたのか、木蘭の瞳は徐々に捨てられた子犬のような眼差しになる。
 苺苺はぐるぐると目が回り動悸が激しくなるのを感じた。
(ううっ。かわゆすぎます、木蘭様の命じられるままに、ここは)
と芯がぶれぶれになったところで、
(それでは推し活を嗜む妃として示しがつきません!)
と脳内の荒ぶる苺苺がお怒りの様子できゃんきゃんと叫び出したせいで、なんとかぎりぎりで踏みとどまる。
(そうです。それに水星宮には大事な、養うべき家族もいます!)
「わたくし、水星宮の庭で野苺を育てているのです。今朝には果実も赤く色づいているやもしれません。お世話をしに帰らなくては――」
「は?」
 紫淵は自分が今、木蘭の姿だということを忘れて、地獄の底から出たような低い声を出した。
 ――俺より野草が大事、だと?


 ◇◇◇


「宵世、盆器はこちらに」
「かしこまりました」
 普通の宦官よりも上質な官服をまとった青年、宵世が大きな古盆器を両手に室内へ入ってくる。
 侍女たちに朝の支度を手伝ってもらった木蘭は、堂々と皇太子付きの筆頭宦官に指図を出した。
 貴姫という立場上、東宮補佐官を呼び捨てても許されるようだ。
 宵世も当然といった表情だが、彼こそが紫淵が幼い頃から信頼している腹心の臣下のひとりだというから納得である。
「え、ああっ」
 同じく朝の支度のために紅玉宮で与えられた部屋に一度戻り、女官の手を借りずに身支度を自分で行った苺苺は、目まぐるしい展開に今だについていけていない。
 寝室での話し合いから宵世がやって来るまで、木蘭が本当になんでも決めてしまったからだ。
 苺苺はどうして良いのかわからずに、木蘭の一歩うしろでおろおろと動き回る。
 そして宵世が手に持っている古盆器に植えられていた緑の正体を知り、目を見開いた。
「あ、あ、わたくしの野苺ちゃんが……!」
 御花園で雑草抜きをしていた宮女たちが、ぽいっと投げてきた洗濯桶。それをありがたくもらってきて、寄せ植えにしていた野苺を栽培していた。
 洗濯桶栽培の野苺も見慣れると味があって乙なものであったが、……今はなぜだが、燐華国の千年の歴史を感じさせる上等な古盆器に植え替えられているではないか。
「まったく。僕に野草の植え替えを命じるなんて、どこのどいつですかね」
 窓際の日差しが丁度良い飾り机の上にそれを置きながら、小言を呟いた宵世がぎろりと苺苺を睨む。
(ひえええ。東宮補佐官様、申し訳ございません! ですがこの事態はわたくしも不本意でして……!)
 獰猛な黒狼に睨まれた生まれたての白蛇のごとく、苺苺は「すすすすみません」と小刻みに震える。
「ふむ、完璧だ。苺苺、これで妾より大切なものなどないな?」
 木蘭が満足げな表情で腰に手を当てながら、策士の笑みを浮かべる。
「もちろんでございます……っ」
 えぐえぐと悲喜こもごもの涙を流した苺苺は、「ありがたき幸せ」と完璧な礼をとる。
 こうして苺苺は紫淵の〝異能の巫女〟として、紅玉宮での無期限住み込みが正式決定した。

 苺苺が滞在する部屋は、昨日のお泊まり会決定の際、若麗たち女官が苺苺のために用意してくれた場所をそのまま使用することになった。
 木蘭の住まう本殿の隣にある、二番目に豪華な建物だ。
 この場所を女官たちが用意したのは、苺苺の妃の位や、一応ではあるが木蘭の安全を考えてのことだろう。
 建物同士は廻廊で繋がっているので、犯人探しの計画上にはなにも問題はない。
 その後は筆頭女官に呼ばれるがままに木蘭と一緒に優雅な朝餉を取り――あの、木蘭が『苺苺お姉様』と呼んだ、女官たちへの説明に至るのである。
 女官への説明を終えたあと。紅玉宮預かりとなった白蛇妃、苺苺の部屋にはふたりの上級女官が来ていた。
 勝気な十六歳の少女、紅玉宮の侍女の中で第参席を務める春燕(チュンエン)
 そして、おとなしく控えめな十四歳の少女、鈴鹿(リンルー)
 どちらも皇太子宮解禁の際に女官登用試験を勝ち抜き、若くして貴姫・木蘭妃付きの上級女官になった、見目麗しく器量も好しの後宮の花だ。
「なんで私たちが『白蛇の娘』の世話なんか……」
「白蛇妃様なのです、春燕」
「だあって! ……私たちは木蘭様の侍女なのに。仮とはいえ最下級妃の侍女なんて、左遷もいいとこよ」
「白蛇娘娘(にゃんにゃん)、お許しください。本心ではないのです」
「勝手に謝らないで鈴鹿! 本心よ!」
 春めくような容貌と陽の気をまとう春燕と、冬の静けさを思わせる容貌の陰の気をまとう鈴鹿は対照的ではあるが、ふたりの掛け合いからは仲がすこぶる良好らしいことがうかがえる。
「大丈夫ですよ。(いわ)れもなく嫌われるのには慣れていますので」
「うっ」
 苺苺がにこにこと笑顔で対応すると、元気の良かった春燕が(ひる)んだ。
 苺苺はぴかぴかの笑顔でにこにこし続けながら、ふたりを観察する。
「ちょっと、なんなのあいつ! ……ごほっ、ごほっ」
「白蛇妃様なのです。ほら、興奮しすぎは身体に毒なのです。大丈夫なのです?」
「興奮なんかしてない。ちょっと咳き込んだだけ。いつものやつよ」
 ふん、と春燕がそっぽを向く。
(……不覚にも眠ってしまった昨晩でしたが、『恐ろしい女官発見器』と化したぬい様に変化はありませんでした)
 犯人である女官が木蘭への悪意を抱くのをやめた、と判断するのは時期尚早だろう。
 隠密に犯人探しをしたかったが、どうやら苺苺の存在事態がなんらかの抑止力になっていて、『恐ろしい女官発見器』に引っかからなくなってしまったようだ。
 苺苺は女官ふたりのやりとりを眺めつつ、頭の中では今朝方の木蘭と宵世との作戦会議を思い出す――。

 朝方、水星宮にある野苺の寄せ植えを古盆器に植え替えて紅玉宮へ運んでくるという任務を終えた宵世は、堂々と室内に居座り、「どういう風の吹きまわしです?」と心底不服そう木蘭に問いかけた。
「警戒はできています。僕の得意分野ですから」
 ――事情を洗いざらい話せ。でなければここから出ていかない。
 そう言外に含んだ問いかけに、頑固だなと言いたげな顔をした木蘭が、昨晩からの事情を語り出す。
 宵世は少しだけバツの悪そうな顔をしながら苺苺に向かって、「木蘭様をお守りする仲間なので、東宮補佐官じゃなくて〝宵世〟でいいです」と言い捨てると、今度こそ堂々と居座ることにしたらしい。
 こうして、「頭痛が痛い、みたいなひどい状況だ」なんて頭を抱えた宵世が、恐ろしい女官探しの仲間に加わった。
「ということは、『白蛇の娘』の異能を警戒して鳴りを潜めることに徹底していたか……。わたくしの存在のために、木蘭様に対して悪意を抱く必要がなかったと考えられます」
 昨晩は【お泊まり会をする】という内容の文を皇太子殿下宛に出すように、木蘭がわざわざ女官たちに命じている。
 狙いは〝皇太子殿下が駆けつけたりしない密室を作り出すことで、好機と捉えた犯人が悪意を持った計画を練るのをうながす〟ためであったが、逆に皇太子殿下の訪問はないと知って、寵妃へ抱く悪意の溜飲が下がった……なんて可能性も考えられる。
「その、呪毒(じゅどく)でしたっけ? それを生じさせるまでに精製された殺意を持っていて、なおかつ、あやかしを虐げてけしかけるほどの残忍な女官なのでしょう? 今さら計画を変更するわけがない。相手は今も木蘭様を殺す気です」
 言葉も選ばずに宵世が厳しく言い放つ。
「妾もそう思う。呪毒が食事に混じり始めたのは清明節以前なのだから、今さら計画の変更はないだろう。あやかしをけしかけるくらいだ、足がつきやすい毒殺や刺客を放っての暗殺はしない主義に違いない」
「呪毒を生じさせるほどの悪意を抑え込めるだなんて、自己感情の制御も得意な方です。長期戦を覚悟しなくてはいけませんね。この調子では安易には尻尾を掴ませてはくれないやも……」
「裏で糸を引くのが得意な陰湿な性格の女でしょうね。まさに紫淵様が嫌いな典型的な後宮の女だ」
「宵世、余計なことを言うな。……こほん、とにかく。ここに来て苺苺に警戒しているというのなら、あえて苺苺の手札を晒して(おび)き寄せるしかないな」
「わたくしの手札、ですか?」
「ああ。嘘も方便というやつだ」

 そんな作戦会議があり、木蘭の策略で『苺苺はあやかしをその血によって退けられる〝異能の巫女〟である』と、女官たちに情報開示されることになったわけである。
(確かに一部の手札を晒したことで、紅玉宮内を動きやすくなりました)
 苺苺を歓迎していない女官は春燕を代表して多くいるみたいだが、今後は朝だろうが真夜中だろうが、『あやかしがいないか警戒している』とひとこと言うだけで反対派の女官たちをも黙らせることができる。
(わたくしにあやかしを退ける力しかないと知ったら、相手の気も多少は緩むはずです)
 そうでなくては困る。
 木蘭は再度確認をするため、朝餉の準備を整える女官も昨晩とは違う顔ぶれにした。十五人の女官を、明言はせずに三つの班に分けたのだ。
 お茶会の準備を行った筆頭女官が率いる侍女五人、そして夕餉を準備した古参の女官五人、今朝の朝餉を担当した年若い女官五人。
 暗殺を謀った犯人をさらに絞るため、今後はその三組の体制で徹底的に給仕にあたらせるそうだ。
(女官の皆様は順当という反応でしたね)
 当初は苺苺にお礼をするためのお茶会を予定していただけだったので、それを最も木蘭に近しい上級女官の侍女たちが準備するのは当然である。
(急遽決まったお泊まり会の準備を侍女の方々、そして夕餉を古参の女官の方々がするのも納得の配置です)
 最下級妃の白蛇の位といえど、苺苺は妃。
 貴賓を迎える準備に女官歴の長い上級女官たちが腕を振るうのは、木蘭からの信頼の証である。彼女たちにとっては名誉だったはずだ。
(そして中級女官の皆様。朝餉の準備は夕餉に比べると簡単ですし、普段はしないはずの仕事を任せていただけたのは、『紅玉宮は素晴らしい女官ばかりなのだと木蘭様が自慢したいからだわ』と、満更でもないご様子でした)
 上級女官見習いという立場の、普段は紅玉宮の掃除を専門に行う中級女官たちだ。
 慣れない給仕をしながら、嬉しそうにクスクス笑い合いながら喋っていたのは聞こえていた。
(けれどもこの給仕で、本当に確定してしまいましたわ。木蘭様の五人の侍女のどなたかが、呪毒をもたらす悪意を秘めていると)
 結果、監視や行動把握がしやすいよう、木蘭は五人の侍女をふた組みに分けた。
 木蘭付きには侍女頭・若麗(ジャクレイ)、侍女頭補佐・怡君(イージュン)、第伍席の侍女・美雀(メイチュエ)
 そして、苺苺付きとなったのが第参席の侍女・春燕(チュンエン)と第肆席の侍女・鈴鹿(リンルー)である。
(春燕さんは正真正銘の木蘭様推しみたいですし、とっても仲良くなれそうな気がするのですが……。残念ながら、目の前にいるどちらかが、呪毒を秘める恐ろしい女官の可能性もあるのですね)
 今もまだ、怒りがおさまらないのか、春燕は鈴鹿に噛みついている。
「異能があるからなんだっていうの?」
「あやかしから木蘭娘娘を守ってくれるのです」
「あやかしなんて見たこともないし、もう出ないに決まってる。――『白蛇の娘』なんて、絶対に追い出してやるんだから」
「春燕」
「左遷なんてまっぴらごめんよ! 左遷先がなくなったら、戻れるんだから!」
 部屋の隅でフンッとそっぽを向いている春燕と、しずしずと控える鈴鹿を観察していても、怪しい様子は見当たらない。
 ――追い出したいくらい、『白蛇の娘』を厄介に思っているところを除いては。