能面の女と赤いお面の男は何も言わず、僕たちを体育館へと案内する。すでに彼らに会っていたコーセーとミーシャは憎らしい目を向けて緊張していた。
がらんとした体育館に入れば、床に座り込んだ大志がすぐに目に入った。あまりにも疲弊して魂を抜かれたような姿に、僕たちは驚いて思わず走り寄って近づく。
「大志、大丈夫か?」
コーセーが声をかけた。
大志はぐっと堪えていた喉の下の何かを震わせ、一気にそれを吐き出したように激しくひっくひっくさせて目を潤わせた。
はっきり言って情けない顔だった。一体何があったのだろう。コテンパンにやっつけられたみたいに大志は泣いていた。
僕たちは、申し訳ないような、罪悪感を持った困った顔をして彼を見ていた。
「ほら、立てる?」
和泉が最初に大志に手を差し伸べ、大志はゆっくりと立ち上がった。
「来てくれて、ありがとう」
大人しく素直に礼をいう大志。見放そうとしていた僕とコーセーは顔を見合わせ苦笑いになってしまった。
「でも無事でよかったよ」
ミーシャは軽く大志の背中を叩く。
一瞬よろっとした大志をショーアが咄嗟に支えた。
「いい友達を持ったね、大志君」
「えっ、あの、誰……ですか?」
知らない顔に大志は戸惑っていた。
「この人は一年先輩のショーアさん。僕たちと同じ境遇さ」
僕は簡単に紹介した。それ以上どのように説明していいかわからなかった。僕と佐野以外、誰もショーアが幽霊だなんて思ってもみない様子だ。
「俺たちの他にもここに来てたんだね」
大志はショーアを見て軽く挨拶する。
「さてここから、どうやって教室に戻ろう。教室に戻れたら、私たちは元の世界に戻れるかもしれない」
和泉の言葉に大志は反応する。
「元に戻る方法がわかったのか?」
「ええ、あとは実行すればいいだけ」
そういえばいつの間にか能面も赤いお面も見当たらない。
「あれっ、体育館には誰もいなくなった。今なら走って教室に戻れるかも」
僕はがら空きの体育館の出口を見つめた。
「あっ」
その時、佐野が舞台の方を見て驚く。僕たちも同じ方向を見れば、ゆっくりと緞帳が上がっていた。横一列に立つ足が見え、それは徐々に姿を現す。逃げることも忘れるほど圧倒された。
左端から順に、能面、赤いお面、スクリーム、石仮面、ハゲの博士、くノ一がぴしっと背筋を伸ばしてドドドドドドと立っていた。
「何なの、あれ」和泉は唖然とし、「えっ、石仮面!?」コーセーも僕もびっくりし、「はぁ?」とミーシャは呆れ、大志は「あいつらめ」と怨み、佐野とショーアは訳がわからないまま息を飲んでいた。
僕は我に返る。
「今がチャンスだ。みんな、出口まで走るんだ」
今なら逃げられるかもしれない。だが、開いていた出口は独りでにばたんと閉まってしまった。何だか怖い。
六人は舞台から降りこちらへ近づいてくる。
「まだそんなに慌てて逃げなくてもいいじゃない。私たちと勝負をしましょう」
ハゲの博士が言った。
「またクイズなの?」
和泉が答える。
「いいえ、体を張った勝負をするの。どちらかが生き残るまで」
それを聞いて僕たちはぞっとする。
「もしかして、あいつらオレたちをナイフで刺しに来るんじゃ」
「ちょっとコーセー、縁起でもないことヘラヘラした顔で言わないで」
ミーシャがぺしっとコーセーの頭を叩いていた。
僕たちが不安になっていると、くノ一が走って床に落ちていたバレーボールを拾って投げてきた。
バレーボールは弧を描き、そして落ちて二、三度はねてから転がってくる。
「ほら、それをとれよ。これから地獄のドッジボール大会だ」
石仮面がそういうと、僕たちは「えっ?」と耳を疑った。
「俺たちに勝ったら、お前たちは自由だ」
あいつらはすでにコートの陣地に入り、ハゲの博士が相手側のコートの周辺に立った。向こうはすでに準備が出来ていた。
「何をしている。早く準備しろ」
石仮面がせかした。
「ちょっと、どうするの?」
和泉はどこか浮かない顔をしている。
「やるしかないじゃん。やってやろうじゃないの」
大志はやる気になっている裏で、やり返してやりたい恨みが見える。ボールを拾いコートに向かった。
「そうよ、こっちは七人、ひとり多いわ。きっと勝てる」
ミーシャも自信に溢れていた。
大志もミーシャも運動神経がいい。すばしっこく逃げられて、怖がらずにボールに向かっていけるだろう。
「やるしかないのかな」
コーセーは諦め気味に覚悟を決めた。
「ドッジボールなんて、かなり久しぶりだ」
ショーアは自分が幽霊と思っているからこの状況で暢気だった。
「どうしよう。足でまといにならないかしら」
佐野は不安そうだ。
僕は困った。手首を激しく動かす運動は骨折して以来した事がないし、力が入らない分、一番不利だ。
だけど、みんながコートの中に入ったらついていくしかなかった。
「よし、俺が外から攻撃して、倒していく。みんなはそれまでなんとか陣地に残れよ」
大志は鋭い視線を相手チームに向けて、所定の位置につく。残りの僕たちも陣地に入っていった。
「もし、オレたちが負けたらどうなるの」
コーセーがふと訊いた。
「もちろん、お前たちの命を貰う」
赤のお面が答えると、僕たちはハッとする。
「ちょっと、嘘でしょ」
和泉が驚き、ミーシャも眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
「ええー」
コーセーは急に怖じ気ついてしまった。
僕も無意識に右手首に触れていた。
「みんな、しっかりしよう。私たち絶対勝てるって」
それを言ったのは佐野だった。
「そうだよ、力を合わせて勝とう」
ショーアの顔を見たら、生き生きとしている。彼にとって最後のこの瞬間をしっかり生きようとしているように見えてならなかった。
「そうだ、弱気になっちゃだめだ。絶対勝とう」
僕も全力を尽くす覚悟を決めた。
後には引けない。それこそ命がけで挑まないと。僕は一度死に掛けた。それでも助かった。その意味することは、僕はこの先も生きなきゃならないんだ。
「分かっていると思うが、一応ルールの説明だ。コートの中の者にボールを当てて外に出すだけだ。ボールに当たってそれが地面に落ちた時点でアウト。コートから出てもアウトだ。制限時間はなし。どちらかのチームのメンバーが最後まで残っていたら勝ちだ」
石仮面が説明した。
「それじゃ、試合開始だ」
それを言ったのは大志だった。いきなりオーバースローを投げて、油断しているところを狙った。ボールは石仮面めがけて飛んでいく。
ずるいけど、手段を選んでられない。これで石仮面に当たれば――。
石仮面はくるりと振り返り、ものの見事にボールをつかんだ。
「くっそ!」
大志は悔しがっていた。
しかし、そのしわ寄せが僕たちに降りかかる。僕たちは慌ててコートの端へと逃げた。石仮面は素早くボールを投げてくる。大志と同じオーバースローだが、足の重心を上手く利用して、体全体に力をかけて飛ばした。
それが和泉に向かっていた。
かなり低めに飛んできたボールは掴みにくい。だが和泉はいきなりそれをレシーブし、空中に高く飛ばした。そして落ちてきたものをあっさりと掴んだ。
「ナイス! 和泉」
コーセーが掛け声を掛けた。
こんなのありなんだろうか。でも相手チームは何も言わなかった。
「私、バレーボールなら得意なの」
そして口を一文字にきーっと結んで力いっぱいオーバースローさせて敵地に投げた。それは能面に向かっていたが、きわどいところでするっと避けていた。
「やるわね、あの能面」
ミーシャが感心していた。
ボールはまた大志に渡る。素早く投げたけどもまだ誰にも当たらない。まだどちらも機敏に動き回り、確実に取れるボールしか手を出さなかった。
ドッジボールは持久戦だ。疲れが出てくると動きも鈍くなってくる。まだ始まって間もないが、コートの中を行ったり来たりして、緊張が続くと体力を消耗するのが早く感じる。このまま動きっぱなしだといつかは疲れてくるのが目に見えていた。
そんな時、和泉がまたボールをレシーブした。だけど今回は当たり所が悪く斜めに飛んでしまった。
「任せて」
ミーシャが走って上手くそれを掴んだ。ぶつかったボールが地面に落ちなければ、別のものが掴んでもセーフだ。
誰もが安心してた時だった。
「アウト!」
くノ一が叫んだ。
「誰が取ろうと、地面に落ちなければいいじゃない」
ミーシャは抗議するが、くノ一は首を横に振った。
「足がコートから出てるの。だからアウト」
くノ一の言う通りだった。ミーシャの片足がコートからはみ出していた。
「しまった」
ミーシャは悔しがる。和泉も自分の失敗を悔やんでいた。
「これはボールが当たったものと、コートから出たものふたりアウトとする」
石仮面が言った。
「ええ、そんな」
コーセーが嘆いた。
「仕方ないわね」
和泉は潔く受けいれた。
「大丈夫だから。外からの攻撃で必ず倒すから」
ミーシャは気を取り直し、残っている僕たちを励まそうとする。
これで僕たちのチームは一度にふたり失った。
「大丈夫よ。ふたり減ったけど、私たちのチームの方がひとり多かったんだから」
佐野の言う通りだ。四対五と考えたらまだ大丈夫だ。
僕たちは気を取り直し、試合に挑む。絶対に勝たなくては僕たちに明日はない。
今度は外からミーシャの攻撃が始まった。アウトになって悔しかったミーシャの一撃は、誰かにぶつかれと思いっきり投げられた。力んだために高めに弧を描いて飛んでいく。誰も掴む事ができずに、僕の方へとやってきた。
その時、逃げようとしていたスクリームがバタッと僕の目の前でこけた。どうやら纏っていた布の裾が長くて自分で踏んづけたようだ。なんと間抜けな。
今がチャンスだと思った僕は、ボールを掴み、スクリームに向かって投げた。力があまりなくとも、ボールは立ちあがろうとしていたスクリームの背中に命中した。
「やった!」
僕が叫ぶと、みんなも興奮して一緒になって飛び跳ねて喜んだ。
「広瀬君、やったね」
ショーアが僕の肩を軽く叩いた。
「広瀬、その調子だ!」
敵陣地の向こうからも大志が叫んでいた。
他のみんなも僕を持ち上げていた。なんだか照れる。
スクリームはしぶしぶとコートから出て行く。ざまーみろ、なんて心で思ってしまう。
喜びも束の間、その後コーセーが能面に当てられてしまった。しかも思いっきり頭を狙われて、コーセーはくらくらしていた。
「おいおい、手加減してやれよ」
赤のお面が能面に忠告していた。
「好きにやらせてよ」
能面はかなり気ままなようだ。
これで僕、佐野、ショーアの三人と、能面、赤のお面、石仮面、くノ一の四人が残り、三対四だ。気が抜けない。
ボールを持ってコーセーが外に出ると、ミーシャが何か耳打ちしていた。
「よし、いくぞ」
コーセーが投げた時、ボールが高く宙に上がる。みんなは虚を突かれてそれを見ていると、横からミーシャがばしっとアタックした。
それが見事に能面の顔に命中した。
「やった! コーセーの仇だ」
ミーシャはコーセーと手を叩きあって喜んだ。
能面は何も言わず、コートから出て行く。それを静かに赤のお面は見ていた。
これで三対三だ。
試合はまだまだ続く。今のところ、僕たちのチームは逃げ、攻撃は外のみんなに任せた。
どちらもしぶとく、暫く当てる事ができないでいた。
ハゲの博士がボールを投げた時、それが佐野に向かっていた。佐野は「あっ」と驚きながら、上手い具合にそれを体で受け止め掴んでいた。僕も見ていてホッとした。
佐野はそれをくノ一に向かって投げた。佐野らしい控えめな投げ方だった。これは取られると思ったとき、くノ一はタイミングを逃してうまくつかめずに落としてしまった。
「やった、佐野!」
僕は自分の事のように喜ぶと、佐野ははにかんで照れていた。コートの向こうでもみんなが喜んでいた。
くノ一が頭巾に触れながらコートを出る。どうやらずれてしまって視界が悪くなっていた様子だ。
「広瀬君、私、今最高に楽しいと思った」
「ああ、この調子で頑張ろうぜ」
「あのね、広瀬君……」
佐野が何かを言おうしたが、試合はまだ続行だった。
「佐野、油断は禁物だ。ボールが来るぞ」
外に出たくノ一がボールを投げた。僕たちは無難に逃げ見送る。ボールは相手コートに入って石仮面が取った。
石仮面は手ごわい。僕たちは緊張しコートのギリギリまで逃げる。ボールが飛ばされるとまた反対側に逃げる。コートを端から端まで行ったり来たりしてしまう。僕たちがここでボールを取らないと、攻撃ができない状態だ。
そろそろ体の動きも鈍くなってくるのがわかる。そんな時、逃げ送れた佐野が外からの攻撃でボールに当たってしまった。
「あっ」と思ったときにはアウトだった。僕が残念がっていると佐野はにこっと微笑んだ。
「大丈夫。必ず勝てる。自分を信じて」
ボールに当たってしまった佐野だったけど、表情はとてもすっきりして清々しい。それなのに佐野の様子が変だ。なんていうのか、とても薄くなって透明感を帯びていた。
「佐野?」
佐野も自分の状態がおかしいことに気がついた。
「あれ、体が消えていく」
「佐野さん!」
ショーアも呼んだ。
佐野はショーアに何か言おうと口を動かすが、すでに声が出なくなっていた。
「佐野!」
僕は走って佐野の腕を取ろうとしたが、スカッと空振りした。そして佐野は完全に消えてしまった。
「そんな、佐野が消えた。佐野!」
僕は取り乱す。コートの向こうのみんなも様々に佐野の名前を呼んでいた。
「広瀬君、佐野さんは多分元のところへ戻ったんだと思う」
「戻った?」
「佐野さんだけふたつに分離したみたいになってたんだよね。それが正常に戻っただけなんだと思う。元の世界で広瀬君を待っていると思うよ」
「おい、いつまで試合を中断する気だ。まだ終わってないぞ」
石仮面が催促する。佐野が消えたことなど気にも留めていなかった。
「ああ、そうだ。まだだったな」
ショーアが答えた。そして僕に真剣な眼差しを向けた。
「広瀬君、この試合必ず勝って元の世界に戻るんだ。君たちは絶対に戻れる」
そうだ、戻らないと。ここで諦めたら僕は佐野に二度と会えなくなってしまう。僕は気持ちを入れ替えた。何が何でも勝ってやる。
佐野が消えたために、ボールはコートの中だった。僕はそれを拾い、赤のお面を狙った。視線を外さずじっと睨みこむ。自分の右手首が以前骨折していたことも忘れ、力いっぱいサイドスローさせ体を回転して低めに飛ばした。僕が狙ったのは足だ。
「当たれ!」
何事も投げやりだったのに、真剣になっていた僕がいた。
その僕の気迫はボールに乗り移り、上手い具合に変化球となって赤の仮面に命中する。
「やった!」
みんなも僕の名前を呼んで歓喜していた。
「佐野君。あとひとりだ」
ショーアが言った。
残るは石仮面だけとなった。
石仮面はひとりになっても動じることはなかった。とても冷静にコートの中で機敏に動く。
先ほど夢中で投げた右手首が、今になって鈍く痛み出す。しかしここで負けるわけには行かない。気にしないようにしていたが、真正面に来たボールを受け取った時、それは誤魔化しきれない痛みとなった。
必死になって投げるも、力が入らずふわっと飛んでいく。石仮面はそれを掴んだと思うや否や、すぐさま突進してきて動きの鈍くなった僕の足を狙ってきた。
ぶつかると思ったときはすでに遅かった。足に痛みを感じていた。
「あっ、広瀬君」
ショーアが嘆いていた。
「ショーアさん。すみません。あとよろしくお願いします」
僕はボールを持って素早くコートに出る。そして石仮面を狙わず、ショーアに高くパスした。僕の意図を読んだショーアはそのボールを掴んですぐ、石仮面目掛けてサイドスローする。
「ボクは絶対に君たちを守ってみせる」
ショーアが腹の底から叫んだ言葉に、石仮面の動きが止まった。不思議なほどそれは無抵抗でただ突っ立っていたように見えた。ボールは石仮面にぶつかり、その後床にバウンドしてからコロコロとどこかへ転がっていく。石仮面はまだじっとしたままでショーアを見つめていた。
僕はどういうことだろうと違和感を覚えるも、周りのみんなが素直に喜びショーアの元へと走っていく。僕もその後を追った。
「ショーアさんありがとうございます」
和泉が丁寧に礼をいい、他のみんなも感謝の気持ちを好き好きに言っていた。
「これで俺たちは自由だ。そうだろ、石仮面」
大志が叫ぶ。
石仮面が無言で大志の前にやって来た。
「な、なんだよ」
「ああ、いつだってお前は自由だ」
石仮面が大志を抱きしめた。というより、羽交い絞めだ。
「おい、やめろよ」
大志がジタバタしていると、佐野と同じように透明になって消えていった。
「大志!」
僕たちは驚き、また血の気が引いていく。やはりこいつらは僕たちを最初から殺すつもりだ。
だが、気づくのが遅かった。僕たちはすでに取り囲まれていた。
和泉はハゲの博士、コーセーは赤のお面、ミーシャは能面、そして僕はスクリームに捉えられた。彼らに体をがんじがらめに強く羽交い絞めされる。
気が遠くなるように体が急に軽くなり浮いていく。消えているのを実感していた。
暫くして手足の感覚が戻り、気がつくと僕は教室の黒板の前に立っていた。目の前にはおしょうや動かないクラスメートたちがいる。
「おい、みんな大丈夫か」
大志の声が聞こえた。
「えっ、どうなってんの?」
コーセーの声だ。
「えっ? 元に戻れたの」
和泉が呟く。
「ちょっと、何なのこれ」
ミーシャが自分の体を確認していた。
「僕たちは自分たちの恐れに勝ったんだ。僕たちが消えたんじゃなくて、あいつらが消えたんだよ」
少なくとも僕はそう解釈した。
「みんな、自分の席に座って。今ならきっと元に戻れるはず」
和泉が言った。
僕たちはそれぞれの席に向かう。
「おい、座る時はみんな同時だ、一、二の三で行くぞ。いいな。準備はいいか?」
大志が言うと、「オッケー」「いいよー」とみんな答えていた。
僕は隣の席の佐野を見る。佐野が一足先に帰っている事を強く願った。
「そんじゃ、みんないいか。一、二の三!」
大志の掛け声の後、僕たちは一斉に椅子に座った――。
がらんとした体育館に入れば、床に座り込んだ大志がすぐに目に入った。あまりにも疲弊して魂を抜かれたような姿に、僕たちは驚いて思わず走り寄って近づく。
「大志、大丈夫か?」
コーセーが声をかけた。
大志はぐっと堪えていた喉の下の何かを震わせ、一気にそれを吐き出したように激しくひっくひっくさせて目を潤わせた。
はっきり言って情けない顔だった。一体何があったのだろう。コテンパンにやっつけられたみたいに大志は泣いていた。
僕たちは、申し訳ないような、罪悪感を持った困った顔をして彼を見ていた。
「ほら、立てる?」
和泉が最初に大志に手を差し伸べ、大志はゆっくりと立ち上がった。
「来てくれて、ありがとう」
大人しく素直に礼をいう大志。見放そうとしていた僕とコーセーは顔を見合わせ苦笑いになってしまった。
「でも無事でよかったよ」
ミーシャは軽く大志の背中を叩く。
一瞬よろっとした大志をショーアが咄嗟に支えた。
「いい友達を持ったね、大志君」
「えっ、あの、誰……ですか?」
知らない顔に大志は戸惑っていた。
「この人は一年先輩のショーアさん。僕たちと同じ境遇さ」
僕は簡単に紹介した。それ以上どのように説明していいかわからなかった。僕と佐野以外、誰もショーアが幽霊だなんて思ってもみない様子だ。
「俺たちの他にもここに来てたんだね」
大志はショーアを見て軽く挨拶する。
「さてここから、どうやって教室に戻ろう。教室に戻れたら、私たちは元の世界に戻れるかもしれない」
和泉の言葉に大志は反応する。
「元に戻る方法がわかったのか?」
「ええ、あとは実行すればいいだけ」
そういえばいつの間にか能面も赤いお面も見当たらない。
「あれっ、体育館には誰もいなくなった。今なら走って教室に戻れるかも」
僕はがら空きの体育館の出口を見つめた。
「あっ」
その時、佐野が舞台の方を見て驚く。僕たちも同じ方向を見れば、ゆっくりと緞帳が上がっていた。横一列に立つ足が見え、それは徐々に姿を現す。逃げることも忘れるほど圧倒された。
左端から順に、能面、赤いお面、スクリーム、石仮面、ハゲの博士、くノ一がぴしっと背筋を伸ばしてドドドドドドと立っていた。
「何なの、あれ」和泉は唖然とし、「えっ、石仮面!?」コーセーも僕もびっくりし、「はぁ?」とミーシャは呆れ、大志は「あいつらめ」と怨み、佐野とショーアは訳がわからないまま息を飲んでいた。
僕は我に返る。
「今がチャンスだ。みんな、出口まで走るんだ」
今なら逃げられるかもしれない。だが、開いていた出口は独りでにばたんと閉まってしまった。何だか怖い。
六人は舞台から降りこちらへ近づいてくる。
「まだそんなに慌てて逃げなくてもいいじゃない。私たちと勝負をしましょう」
ハゲの博士が言った。
「またクイズなの?」
和泉が答える。
「いいえ、体を張った勝負をするの。どちらかが生き残るまで」
それを聞いて僕たちはぞっとする。
「もしかして、あいつらオレたちをナイフで刺しに来るんじゃ」
「ちょっとコーセー、縁起でもないことヘラヘラした顔で言わないで」
ミーシャがぺしっとコーセーの頭を叩いていた。
僕たちが不安になっていると、くノ一が走って床に落ちていたバレーボールを拾って投げてきた。
バレーボールは弧を描き、そして落ちて二、三度はねてから転がってくる。
「ほら、それをとれよ。これから地獄のドッジボール大会だ」
石仮面がそういうと、僕たちは「えっ?」と耳を疑った。
「俺たちに勝ったら、お前たちは自由だ」
あいつらはすでにコートの陣地に入り、ハゲの博士が相手側のコートの周辺に立った。向こうはすでに準備が出来ていた。
「何をしている。早く準備しろ」
石仮面がせかした。
「ちょっと、どうするの?」
和泉はどこか浮かない顔をしている。
「やるしかないじゃん。やってやろうじゃないの」
大志はやる気になっている裏で、やり返してやりたい恨みが見える。ボールを拾いコートに向かった。
「そうよ、こっちは七人、ひとり多いわ。きっと勝てる」
ミーシャも自信に溢れていた。
大志もミーシャも運動神経がいい。すばしっこく逃げられて、怖がらずにボールに向かっていけるだろう。
「やるしかないのかな」
コーセーは諦め気味に覚悟を決めた。
「ドッジボールなんて、かなり久しぶりだ」
ショーアは自分が幽霊と思っているからこの状況で暢気だった。
「どうしよう。足でまといにならないかしら」
佐野は不安そうだ。
僕は困った。手首を激しく動かす運動は骨折して以来した事がないし、力が入らない分、一番不利だ。
だけど、みんながコートの中に入ったらついていくしかなかった。
「よし、俺が外から攻撃して、倒していく。みんなはそれまでなんとか陣地に残れよ」
大志は鋭い視線を相手チームに向けて、所定の位置につく。残りの僕たちも陣地に入っていった。
「もし、オレたちが負けたらどうなるの」
コーセーがふと訊いた。
「もちろん、お前たちの命を貰う」
赤のお面が答えると、僕たちはハッとする。
「ちょっと、嘘でしょ」
和泉が驚き、ミーシャも眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
「ええー」
コーセーは急に怖じ気ついてしまった。
僕も無意識に右手首に触れていた。
「みんな、しっかりしよう。私たち絶対勝てるって」
それを言ったのは佐野だった。
「そうだよ、力を合わせて勝とう」
ショーアの顔を見たら、生き生きとしている。彼にとって最後のこの瞬間をしっかり生きようとしているように見えてならなかった。
「そうだ、弱気になっちゃだめだ。絶対勝とう」
僕も全力を尽くす覚悟を決めた。
後には引けない。それこそ命がけで挑まないと。僕は一度死に掛けた。それでも助かった。その意味することは、僕はこの先も生きなきゃならないんだ。
「分かっていると思うが、一応ルールの説明だ。コートの中の者にボールを当てて外に出すだけだ。ボールに当たってそれが地面に落ちた時点でアウト。コートから出てもアウトだ。制限時間はなし。どちらかのチームのメンバーが最後まで残っていたら勝ちだ」
石仮面が説明した。
「それじゃ、試合開始だ」
それを言ったのは大志だった。いきなりオーバースローを投げて、油断しているところを狙った。ボールは石仮面めがけて飛んでいく。
ずるいけど、手段を選んでられない。これで石仮面に当たれば――。
石仮面はくるりと振り返り、ものの見事にボールをつかんだ。
「くっそ!」
大志は悔しがっていた。
しかし、そのしわ寄せが僕たちに降りかかる。僕たちは慌ててコートの端へと逃げた。石仮面は素早くボールを投げてくる。大志と同じオーバースローだが、足の重心を上手く利用して、体全体に力をかけて飛ばした。
それが和泉に向かっていた。
かなり低めに飛んできたボールは掴みにくい。だが和泉はいきなりそれをレシーブし、空中に高く飛ばした。そして落ちてきたものをあっさりと掴んだ。
「ナイス! 和泉」
コーセーが掛け声を掛けた。
こんなのありなんだろうか。でも相手チームは何も言わなかった。
「私、バレーボールなら得意なの」
そして口を一文字にきーっと結んで力いっぱいオーバースローさせて敵地に投げた。それは能面に向かっていたが、きわどいところでするっと避けていた。
「やるわね、あの能面」
ミーシャが感心していた。
ボールはまた大志に渡る。素早く投げたけどもまだ誰にも当たらない。まだどちらも機敏に動き回り、確実に取れるボールしか手を出さなかった。
ドッジボールは持久戦だ。疲れが出てくると動きも鈍くなってくる。まだ始まって間もないが、コートの中を行ったり来たりして、緊張が続くと体力を消耗するのが早く感じる。このまま動きっぱなしだといつかは疲れてくるのが目に見えていた。
そんな時、和泉がまたボールをレシーブした。だけど今回は当たり所が悪く斜めに飛んでしまった。
「任せて」
ミーシャが走って上手くそれを掴んだ。ぶつかったボールが地面に落ちなければ、別のものが掴んでもセーフだ。
誰もが安心してた時だった。
「アウト!」
くノ一が叫んだ。
「誰が取ろうと、地面に落ちなければいいじゃない」
ミーシャは抗議するが、くノ一は首を横に振った。
「足がコートから出てるの。だからアウト」
くノ一の言う通りだった。ミーシャの片足がコートからはみ出していた。
「しまった」
ミーシャは悔しがる。和泉も自分の失敗を悔やんでいた。
「これはボールが当たったものと、コートから出たものふたりアウトとする」
石仮面が言った。
「ええ、そんな」
コーセーが嘆いた。
「仕方ないわね」
和泉は潔く受けいれた。
「大丈夫だから。外からの攻撃で必ず倒すから」
ミーシャは気を取り直し、残っている僕たちを励まそうとする。
これで僕たちのチームは一度にふたり失った。
「大丈夫よ。ふたり減ったけど、私たちのチームの方がひとり多かったんだから」
佐野の言う通りだ。四対五と考えたらまだ大丈夫だ。
僕たちは気を取り直し、試合に挑む。絶対に勝たなくては僕たちに明日はない。
今度は外からミーシャの攻撃が始まった。アウトになって悔しかったミーシャの一撃は、誰かにぶつかれと思いっきり投げられた。力んだために高めに弧を描いて飛んでいく。誰も掴む事ができずに、僕の方へとやってきた。
その時、逃げようとしていたスクリームがバタッと僕の目の前でこけた。どうやら纏っていた布の裾が長くて自分で踏んづけたようだ。なんと間抜けな。
今がチャンスだと思った僕は、ボールを掴み、スクリームに向かって投げた。力があまりなくとも、ボールは立ちあがろうとしていたスクリームの背中に命中した。
「やった!」
僕が叫ぶと、みんなも興奮して一緒になって飛び跳ねて喜んだ。
「広瀬君、やったね」
ショーアが僕の肩を軽く叩いた。
「広瀬、その調子だ!」
敵陣地の向こうからも大志が叫んでいた。
他のみんなも僕を持ち上げていた。なんだか照れる。
スクリームはしぶしぶとコートから出て行く。ざまーみろ、なんて心で思ってしまう。
喜びも束の間、その後コーセーが能面に当てられてしまった。しかも思いっきり頭を狙われて、コーセーはくらくらしていた。
「おいおい、手加減してやれよ」
赤のお面が能面に忠告していた。
「好きにやらせてよ」
能面はかなり気ままなようだ。
これで僕、佐野、ショーアの三人と、能面、赤のお面、石仮面、くノ一の四人が残り、三対四だ。気が抜けない。
ボールを持ってコーセーが外に出ると、ミーシャが何か耳打ちしていた。
「よし、いくぞ」
コーセーが投げた時、ボールが高く宙に上がる。みんなは虚を突かれてそれを見ていると、横からミーシャがばしっとアタックした。
それが見事に能面の顔に命中した。
「やった! コーセーの仇だ」
ミーシャはコーセーと手を叩きあって喜んだ。
能面は何も言わず、コートから出て行く。それを静かに赤のお面は見ていた。
これで三対三だ。
試合はまだまだ続く。今のところ、僕たちのチームは逃げ、攻撃は外のみんなに任せた。
どちらもしぶとく、暫く当てる事ができないでいた。
ハゲの博士がボールを投げた時、それが佐野に向かっていた。佐野は「あっ」と驚きながら、上手い具合にそれを体で受け止め掴んでいた。僕も見ていてホッとした。
佐野はそれをくノ一に向かって投げた。佐野らしい控えめな投げ方だった。これは取られると思ったとき、くノ一はタイミングを逃してうまくつかめずに落としてしまった。
「やった、佐野!」
僕は自分の事のように喜ぶと、佐野ははにかんで照れていた。コートの向こうでもみんなが喜んでいた。
くノ一が頭巾に触れながらコートを出る。どうやらずれてしまって視界が悪くなっていた様子だ。
「広瀬君、私、今最高に楽しいと思った」
「ああ、この調子で頑張ろうぜ」
「あのね、広瀬君……」
佐野が何かを言おうしたが、試合はまだ続行だった。
「佐野、油断は禁物だ。ボールが来るぞ」
外に出たくノ一がボールを投げた。僕たちは無難に逃げ見送る。ボールは相手コートに入って石仮面が取った。
石仮面は手ごわい。僕たちは緊張しコートのギリギリまで逃げる。ボールが飛ばされるとまた反対側に逃げる。コートを端から端まで行ったり来たりしてしまう。僕たちがここでボールを取らないと、攻撃ができない状態だ。
そろそろ体の動きも鈍くなってくるのがわかる。そんな時、逃げ送れた佐野が外からの攻撃でボールに当たってしまった。
「あっ」と思ったときにはアウトだった。僕が残念がっていると佐野はにこっと微笑んだ。
「大丈夫。必ず勝てる。自分を信じて」
ボールに当たってしまった佐野だったけど、表情はとてもすっきりして清々しい。それなのに佐野の様子が変だ。なんていうのか、とても薄くなって透明感を帯びていた。
「佐野?」
佐野も自分の状態がおかしいことに気がついた。
「あれ、体が消えていく」
「佐野さん!」
ショーアも呼んだ。
佐野はショーアに何か言おうと口を動かすが、すでに声が出なくなっていた。
「佐野!」
僕は走って佐野の腕を取ろうとしたが、スカッと空振りした。そして佐野は完全に消えてしまった。
「そんな、佐野が消えた。佐野!」
僕は取り乱す。コートの向こうのみんなも様々に佐野の名前を呼んでいた。
「広瀬君、佐野さんは多分元のところへ戻ったんだと思う」
「戻った?」
「佐野さんだけふたつに分離したみたいになってたんだよね。それが正常に戻っただけなんだと思う。元の世界で広瀬君を待っていると思うよ」
「おい、いつまで試合を中断する気だ。まだ終わってないぞ」
石仮面が催促する。佐野が消えたことなど気にも留めていなかった。
「ああ、そうだ。まだだったな」
ショーアが答えた。そして僕に真剣な眼差しを向けた。
「広瀬君、この試合必ず勝って元の世界に戻るんだ。君たちは絶対に戻れる」
そうだ、戻らないと。ここで諦めたら僕は佐野に二度と会えなくなってしまう。僕は気持ちを入れ替えた。何が何でも勝ってやる。
佐野が消えたために、ボールはコートの中だった。僕はそれを拾い、赤のお面を狙った。視線を外さずじっと睨みこむ。自分の右手首が以前骨折していたことも忘れ、力いっぱいサイドスローさせ体を回転して低めに飛ばした。僕が狙ったのは足だ。
「当たれ!」
何事も投げやりだったのに、真剣になっていた僕がいた。
その僕の気迫はボールに乗り移り、上手い具合に変化球となって赤の仮面に命中する。
「やった!」
みんなも僕の名前を呼んで歓喜していた。
「佐野君。あとひとりだ」
ショーアが言った。
残るは石仮面だけとなった。
石仮面はひとりになっても動じることはなかった。とても冷静にコートの中で機敏に動く。
先ほど夢中で投げた右手首が、今になって鈍く痛み出す。しかしここで負けるわけには行かない。気にしないようにしていたが、真正面に来たボールを受け取った時、それは誤魔化しきれない痛みとなった。
必死になって投げるも、力が入らずふわっと飛んでいく。石仮面はそれを掴んだと思うや否や、すぐさま突進してきて動きの鈍くなった僕の足を狙ってきた。
ぶつかると思ったときはすでに遅かった。足に痛みを感じていた。
「あっ、広瀬君」
ショーアが嘆いていた。
「ショーアさん。すみません。あとよろしくお願いします」
僕はボールを持って素早くコートに出る。そして石仮面を狙わず、ショーアに高くパスした。僕の意図を読んだショーアはそのボールを掴んですぐ、石仮面目掛けてサイドスローする。
「ボクは絶対に君たちを守ってみせる」
ショーアが腹の底から叫んだ言葉に、石仮面の動きが止まった。不思議なほどそれは無抵抗でただ突っ立っていたように見えた。ボールは石仮面にぶつかり、その後床にバウンドしてからコロコロとどこかへ転がっていく。石仮面はまだじっとしたままでショーアを見つめていた。
僕はどういうことだろうと違和感を覚えるも、周りのみんなが素直に喜びショーアの元へと走っていく。僕もその後を追った。
「ショーアさんありがとうございます」
和泉が丁寧に礼をいい、他のみんなも感謝の気持ちを好き好きに言っていた。
「これで俺たちは自由だ。そうだろ、石仮面」
大志が叫ぶ。
石仮面が無言で大志の前にやって来た。
「な、なんだよ」
「ああ、いつだってお前は自由だ」
石仮面が大志を抱きしめた。というより、羽交い絞めだ。
「おい、やめろよ」
大志がジタバタしていると、佐野と同じように透明になって消えていった。
「大志!」
僕たちは驚き、また血の気が引いていく。やはりこいつらは僕たちを最初から殺すつもりだ。
だが、気づくのが遅かった。僕たちはすでに取り囲まれていた。
和泉はハゲの博士、コーセーは赤のお面、ミーシャは能面、そして僕はスクリームに捉えられた。彼らに体をがんじがらめに強く羽交い絞めされる。
気が遠くなるように体が急に軽くなり浮いていく。消えているのを実感していた。
暫くして手足の感覚が戻り、気がつくと僕は教室の黒板の前に立っていた。目の前にはおしょうや動かないクラスメートたちがいる。
「おい、みんな大丈夫か」
大志の声が聞こえた。
「えっ、どうなってんの?」
コーセーの声だ。
「えっ? 元に戻れたの」
和泉が呟く。
「ちょっと、何なのこれ」
ミーシャが自分の体を確認していた。
「僕たちは自分たちの恐れに勝ったんだ。僕たちが消えたんじゃなくて、あいつらが消えたんだよ」
少なくとも僕はそう解釈した。
「みんな、自分の席に座って。今ならきっと元に戻れるはず」
和泉が言った。
僕たちはそれぞれの席に向かう。
「おい、座る時はみんな同時だ、一、二の三で行くぞ。いいな。準備はいいか?」
大志が言うと、「オッケー」「いいよー」とみんな答えていた。
僕は隣の席の佐野を見る。佐野が一足先に帰っている事を強く願った。
「そんじゃ、みんないいか。一、二の三!」
大志の掛け声の後、僕たちは一斉に椅子に座った――。