「ちょっと、みんなそこにいるの? 私よ、和泉よ。開けて」
ドアを激しく叩きながらその向こうで叫び声が聞こえる。
「和泉、本当に和泉なの?」
ミーシャが素早くドアのところへ走り鍵に手を触れた。
「ミーシャ、気をつけろ。何かの罠かもしれない」
同じく駆け寄ったコーセーは慎重に対応する。
「もう、私よ、私。和泉だってば。和泉貴子よ」
「和泉は自分の下の名前が嫌いなはず。そんな滅多にフルネームを言わないわ」
ミーシャが違和感を抱いた。
「もう、本当に和泉よ。どうすれば信じてくれるのよ」
僕もドアの前に近づいた。
「本当の和泉なら僕の質問に答えられるはず。小学六年生の時に僕に頼みごとをしたけど、それはなんだった?」
「その声は広瀬ね。ええ、覚えてるわよ。私をモデルにして漫画を描いてよって頼んだわ」
周りのみんなは僕を見ていた。僕は「うん」と頷くとやっと信用した。
ミーシャが鍵を開け、引き戸を引く。そこには腕を組んでちょっと立腹している和泉が立っていた。
「ん、もう。なんですぐに信用してくれないのよ」
膨れた顔で中に入った。コーセーは廊下をキョロキョロと確認しながらドアを閉めてすぐに鍵をかけた。
「ごめん、ごめん、ちょっとみんな怖い目に遭ってるから、用心深くなっちゃってさ」
ミーシャが答える。
「怖い目に遭った? 一体何が起こったの?」
僕たちはまた一から時系列に報告する。まずは僕が佐野と教室を飛び出した後のことを話し、その時に出会ったショーアを紹介する。もちろん自殺したことは伏せておいた。
「ショーアさんね。私は和泉です」
きっちりしている和泉はショーアに向かって挨拶をしていた。
「イズミさんですね、どうも初めまして」
ショーアも丁寧に受け答えしていた。
そこから美術室で殺人鬼に襲われた事を話し、和泉は驚き、佐野に近寄って「大丈夫だった?」と心配していた。
次にミーシャが職員室で起こった事を話す。時々コーセーも補足していた。能面の女と赤いお面の男に攻撃されて逃げ出し、その時に鉢合って合流して保健室に隠れている事を話した。
「それで和泉は大丈夫だったの?」
ミーシャが訊いた。
「私は大丈夫だったけども、ちょっと奇妙な事があったわ。音楽室でくノ一がピアノを弾いていて、ハゲのカツラを被った女性の博士に質問された」
和泉は起こった事を正直に話しているのかもしれないけど、聞いている僕たちは混乱した。
「ちょっと待って、何の話?」
ミーシャが露骨に顔を歪ませていた。
「だから――」
和泉自身も訳がわからなかったのだろう。目の前に現れたくノ一とハゲの女性博士のキャラクターが濃すぎて、説明したところでそれを直接見ないことには理解しがたい。
「とにかく、私が出会ったものは、みんなが出会った怖い人たちと同じようなものでしょ。たまたま攻撃してこなかっただけで」
「お笑い系ってことか」
コーセーが言った。
「じゃあ、そのお笑い系は和泉にとって何の恐れがあったのだろう?」
僕が訊いた。
「恐れ? どういう意味?」
和泉は首を傾げる。
僕は普段恐れていることがここでは実体化することを説明する。
「心に抱いているコンプレックスが自分の目の前に現れるってこと?」
和泉はそう言って考え込んでいる。何か心当たりがあるようだ。納得した時口を開いた。
「確かにそれはあったかもしれない。博士に質問されることで気がついた事があったから」
詳しいことまでは教えてくれなかったが、博士にされた質問で自分を見つめ直すきっかけになったと言った。
その時、和泉ははっとして目を見開いた。
「そうだ、大事な事を言わないと。あのね、元の世界に戻る方法が分かったの」
「えっ! ちょっとなんでそれを最初にいわないのよ」
ミーシャが責め立てた。
「だって、色んな事がありすぎて、私も気が動転してたの。それと、大志が捕まって今、体育館にいるの。それも助けに行かないと」
「えっ、大志が捕まった? それってやっぱりオレたちが出会ったような奴らによって?」
コーセーがびっくりして身を乗り出した。
「みんなとにかく落ち着いて。最初からきっちり話すから、ちょっと黙って聞いてくれる? 質問は私が話し終わるまで禁止」
和泉も相当混乱していて、苛立っている様子だった。
「コーセーとミーシャが教室から出て行って消えた後に、授業をサボって保健室で寝ていた比呂美が教室の後ろのドアから入ってきたの」
「比呂美が……」
ミーシャが言った後、和泉はじろりと睨んだ。ミーシャは慌てて口を手で押さえていた。それからは誰も何も話さず、和泉の話を食い入るように聞いていた。
僕も最初は落ち着いて聞いていたけど、途中からドキッとして思わずショーアと目が合ってしまった。
佐野が竹本にこの学校で自殺した生徒がいないか訊いていた下りのところだ。幽霊がいるかいないか、そういうものを佐野は探していたみたいな話だ。
記憶を失っている佐野もまた衝撃を受けて動揺していた。自分でもなぜそんな事を訊いていたのか思い出せないから余計にこんがらがっているのだろう。
大志は油断して教室から出ると消え、だけど竹本は何度も普通に教室を出入りできた。竹本の行動がかなり鍵となり、そこから仮説が生まれる。
「ここが大事なんだけど、この世界で自分が変わるような事を体験して考え方を改めれば、それが戻る鍵になるってことなの。そして再び教室に戻って自分の席につけば元の世界に戻ることができる……」
竹本は和泉の目の前でそれを実行し本当に動かなくなったといっている。
その後僕たちを探しに和泉は教室を飛び出した。そこからはさっき話した音楽室の出来事だった。
上手い具合に僕たちはここで和泉と合流できたわけだが、一通り話を聞いた後、やっぱり僕は混乱する。
なぜ佐野は自殺した生徒がいないか訊いていたのだろう。学校で幽霊を見ていたのだろうか。まさかそれがショーアのことなのだろうか。僕は佐野をちらりとみたけど、佐野はじっと下を向いて何かを考えている様子だった。
「以上、これがここに来るまでの経緯。では質問があるならどうぞ」
意外にも最初に手を挙げたのは佐野だった。少し遠慮がちにおどおどとしている。
「理夢、何か思い出したの?」
和泉が期待した。
「私は何か学校の問題に気がついていたの? 例えば、虐めがあったとか、学校に来なくなった生徒がいたとか、そういうことを探していた?」
みんな一瞬考え込んだ。ずっと何も話さなかった佐野が発言したことは、彼女自身記憶が刺激されたのではと思えてならない。
「よくわからないけど、私にはドリームキャッチャーの事を訊いた事があった。理夢は学校でそれを探していたけど、理由を訊いても教えてくれなかった」
和泉は佐野の様子を注意深く見ながら答えていた。その時の佐野は何かを感じ取ったように一点をじっと見つめて真剣になっていた。
「そういえば、教室でドリームキャッチャーを見た事があると言っていたけど、それはどこで見たんだい?」
あの時、もっとそれについて詳しく訊けたのに、僕はこの世界を作ってしまったと責められると思って佐野の手を引いて教室を飛び出してしまった。
「あれは、家に手紙が送られてきたの。そこにドリームキャッチャーの絵が描かれていた……」
そこまで言った時、佐野ははっとしていた。
「記憶が戻ったの、理夢?」
和泉は顔を明るくし、ミーシャも同じように期待を込めた目を向けていた。
「和泉、ミーシャ、私はあなたたちの友達だよね」
佐野は目を潤わせてふたりに訊く。
「もちろんよ」
「当たり前じゃない」
聞きたかったふたりの答えに佐野はほっと一息ついた。
「ありがとう」
佐野の目から涙が溢れ出す。
「どうしたの、理夢?」
「なんで泣くんだよ」
和泉とミーシャが理夢に近寄り肩を抱いたり、頭を撫でたりしていた。
「嬉しいの。それを聞けて」
一体佐野は何を思い出したのだろう。佐野が落ち着くまで和泉とミーシャは温かく見守り、暫く好きにさせていた。
しんみりとしていたその時、校内放送のチャイムが響いた。軽やかな音なのに、僕たちは一瞬にして体が強張り身構える。
「この放送を聞いている諸君へ、胡内大志からの伝言です。『早く助けに来てくれ』だそうです。以上」
最後チャイムが締めくくった。
「あっ、大志! あいつ捕まってたんだっけ」
コーセーが言った。
「だけど、どうやって助ければいいの? 相手は自分たちの恐れが実体化したものといっても、みんな大人だよ。素手で戦って勝てる相手じゃないよ」
ボクシングの構えのようにファイティングポーズを取るミーシャ。コーセーにパンチを入れるフリをしていた。
「このまま放っておいて、オレたちだけ元の世界に戻るとか……」
コーセーは軽いノリで言っただけだろうが、冷たい視線が集まってしゅんとする。でも僕も同じ事を思っていた。
人一倍プライドの高い大志。一時僕の存在が許せないときがあった。表面上何もないフリをしていてたけど、僕の絵が賞を獲った時、大志は面白くなさそうに僕を見る目が冷めていた。他の人が誘えば僕の側にやってきたけども、大志ひとりでは絶対僕の側には寄らなかった。
僕の漫画は見る事があっても、先入観が先にあって絶対にいい評価をいれるものかと、最初から認めない態度を示していた。
嫉妬があると人は上から目線で物事を批評する。例えそれが優れていたとしても、絶対認めず、最後まで作品を読まないで簡単に悪い評価にしてしまう。わざと星ひとつをつけるような感じだ。まるで自分の方が上だと知らしめたいかのような態度を取るのだ。
こいつには負けたくないと思えば思うほど、相手がちやほやされると益々許せなくなってしまう。直接大志に嫌がらせを受けたわけではないけども、大志が僕を嫌っているのは分かっていた。
そんな奴を助けに行く? それこそなんで僕が? という感じだった。
「コーセーも、もしかして、大志のこと嫌いなのか?」
僕はつい聞いてしまった。
「おいおい、なんてことをオレに訊くんだよ。あれは冗談だよ、冗談」
ごまかそうとして笑うコーセー。そういう態度が中途半端でずるい。
「嫌いだから助けないとかそういう問題じゃないだろ。この世界にみんなで入ってしまった以上、ここを出るときはみんなで一緒に出ないと。元の世界に戻ってから思う存分嫌えばいいだけだよ。置いていったら後味悪いよ」
ミーシャらしい。僕はクスって笑ってしまった。
「そうだよな。嫌いだからって放っておくわけにはいかない。お陰で大志を助けなくっちゃって気持ちになったよ」
「おいおい、広瀬こそ大志が嫌いなのか?」
コーセーは僕の発言に驚いていた。
「それは元に戻ってから言うよ」
僕の言葉にコーセーも笑っていた。僕たちはお互いの本音を感じ取っていたのがおかしかった。
「ちょっと、もうあんたたち、大志がいないからって好き勝手言って。確かにイラッとする奴だから、ちょっと察するけどもさ」
「和泉、それフォローになってない。余計に大志がダメな奴に聞こえる」
ミーシャが突っ込んだ。
「あの、大志……君って、結局どういう人なんですか?」
やり取りを聞いていたショーアが大志に興味を持ち出した。
「明るいんだけど、目立ちたがりやで見栄を張ってる奴かな。だけど、それが悪いばかりでもない。コミュニケーションを取るのは上手いと思う」
ミーシャが言うとその後和泉が続けた。
「確かに目立とうとはするけども、クラスの盛り上げ役でもあるかもね。おしょうは大志のそういうとこ好きそうだし」
「おしょうは大志を上手くコントロールしてると思う。自尊心を持ち上げて満足させて、あまり無茶しないように抑えているように見える。」
コーセーが言った。
「そうそう、ああいうタイプは認めてもらえるまでしつこいところあるもんね」
ミーシャは同意していた。
「みんな、大志君のことよく見てるんだね。それだけじゃなく、ボクの目から見たら君たちとても息のあった仲のいい友達に見える」
ショーアの言葉は僕たちには意外だったのだろう。側にいるもの同士顔を合わせあって、お互いそうなのか尋ねあってるようだ。
僕は、佐野以外、大志、コーセー、ミーシャ、和泉は苦手だと思っていた。でも今はこんな世界に閉じ込められて、確かに仲間意識が芽生えているように思う。
「さてと、大志に会いに行くだけでも顔を出すか。ひとりできっと不安だろうし。危なかったらまた逃げればいいし」
コーセーはドアに向かった。
「そうだな。とりあえずどんな状況か見に行こう」
僕もその後を追った。みんなも僕たちの後をついて来る。佐野はショーアを気遣って何かを話していた。ふたりが急に親密になったみたいな様子に僕はちょっと妬けるけど。
廊下に出てコーセーは僕に話しかける。
「なあ、こういう時ってさ、スタンドあったらいいと思わないか。オレはやっぱりスタープラチナかな。オラオラオラオラとかやってみたい」
「何言ってんだよ、こんな時に漫画ネタかよ」
『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるキャラクターだ。スタンドは超能力を持つ守護霊みたいなもので、それらを使って敵と戦う。
「こんな時だからだよ。広瀬だってヘブンズドアがあったらいいって思うだろ。あれはお前にピッタリのスタンドだ」
あれは漫画家のキャラが持つスタンドだ。分かっているけど僕は何も言わなかった。
「なあ、広瀬。また漫画描けよ」
コーセーはついでと言わんばかりにさらりと口にした。
「手に力が入らなくてもう描けないんだ」
「別に力を入れなくったって、描ける範囲で描けばいいじゃないか。最初はちょっとしたイラストでもいい。とにかく絵を描けよ。本当は描きたいんだろ」
コーセーは僕に真剣な目を向ける。
僕は右手首を支える。他人にはわからないだろう。見た目は治っていても機能が半分に減ったということを。
鉛筆を持って絵を描こうとしたとき、手が震えた。以前のようにすっと線が引けなくなっていた。どれほどショックだったか。描こうと思えば思うほど上手く行かず苛々し、それ以上に心に怒りが湧いて正気を失い、いつも黒く塗りつぶすだけで終わってしまう。
僕が何も言わないでいるとコーセーは僕の肩を軽くポンと叩いた。
「無事元に戻れた時に考えてみてくれ。今は大志のことをなんとかしなくっちゃ」
「ああ、そうだな」
僕は軽く受け流した。
「あんたたちさっきから何話してるのよ。いい作戦でもあるの?」
和泉が問いかけた。
「いや、特にこれといって」
コーセーが答えると、ミーシャは軽く頭を小突く。
「頼りにしてるからね、コーセー」
「ええ、へへへへ、参ったな」
ミーシャに頼られて嬉しい反面、なんの対策もないのでヘラヘラとするコーセー。
僕が後ろを振り返れば、少し距離を取って佐野とショーアが話をしながら歩いていた。何を話しているんだろうと思ったが、ふたりの邪魔をするようで声をかけられなかった。
そのうち体育館の入り口に近づき、そこで能面の女と赤いお面の男が待ち構えているのが目に入る。
僕たちは一気に緊張し体が強張った。
ドアを激しく叩きながらその向こうで叫び声が聞こえる。
「和泉、本当に和泉なの?」
ミーシャが素早くドアのところへ走り鍵に手を触れた。
「ミーシャ、気をつけろ。何かの罠かもしれない」
同じく駆け寄ったコーセーは慎重に対応する。
「もう、私よ、私。和泉だってば。和泉貴子よ」
「和泉は自分の下の名前が嫌いなはず。そんな滅多にフルネームを言わないわ」
ミーシャが違和感を抱いた。
「もう、本当に和泉よ。どうすれば信じてくれるのよ」
僕もドアの前に近づいた。
「本当の和泉なら僕の質問に答えられるはず。小学六年生の時に僕に頼みごとをしたけど、それはなんだった?」
「その声は広瀬ね。ええ、覚えてるわよ。私をモデルにして漫画を描いてよって頼んだわ」
周りのみんなは僕を見ていた。僕は「うん」と頷くとやっと信用した。
ミーシャが鍵を開け、引き戸を引く。そこには腕を組んでちょっと立腹している和泉が立っていた。
「ん、もう。なんですぐに信用してくれないのよ」
膨れた顔で中に入った。コーセーは廊下をキョロキョロと確認しながらドアを閉めてすぐに鍵をかけた。
「ごめん、ごめん、ちょっとみんな怖い目に遭ってるから、用心深くなっちゃってさ」
ミーシャが答える。
「怖い目に遭った? 一体何が起こったの?」
僕たちはまた一から時系列に報告する。まずは僕が佐野と教室を飛び出した後のことを話し、その時に出会ったショーアを紹介する。もちろん自殺したことは伏せておいた。
「ショーアさんね。私は和泉です」
きっちりしている和泉はショーアに向かって挨拶をしていた。
「イズミさんですね、どうも初めまして」
ショーアも丁寧に受け答えしていた。
そこから美術室で殺人鬼に襲われた事を話し、和泉は驚き、佐野に近寄って「大丈夫だった?」と心配していた。
次にミーシャが職員室で起こった事を話す。時々コーセーも補足していた。能面の女と赤いお面の男に攻撃されて逃げ出し、その時に鉢合って合流して保健室に隠れている事を話した。
「それで和泉は大丈夫だったの?」
ミーシャが訊いた。
「私は大丈夫だったけども、ちょっと奇妙な事があったわ。音楽室でくノ一がピアノを弾いていて、ハゲのカツラを被った女性の博士に質問された」
和泉は起こった事を正直に話しているのかもしれないけど、聞いている僕たちは混乱した。
「ちょっと待って、何の話?」
ミーシャが露骨に顔を歪ませていた。
「だから――」
和泉自身も訳がわからなかったのだろう。目の前に現れたくノ一とハゲの女性博士のキャラクターが濃すぎて、説明したところでそれを直接見ないことには理解しがたい。
「とにかく、私が出会ったものは、みんなが出会った怖い人たちと同じようなものでしょ。たまたま攻撃してこなかっただけで」
「お笑い系ってことか」
コーセーが言った。
「じゃあ、そのお笑い系は和泉にとって何の恐れがあったのだろう?」
僕が訊いた。
「恐れ? どういう意味?」
和泉は首を傾げる。
僕は普段恐れていることがここでは実体化することを説明する。
「心に抱いているコンプレックスが自分の目の前に現れるってこと?」
和泉はそう言って考え込んでいる。何か心当たりがあるようだ。納得した時口を開いた。
「確かにそれはあったかもしれない。博士に質問されることで気がついた事があったから」
詳しいことまでは教えてくれなかったが、博士にされた質問で自分を見つめ直すきっかけになったと言った。
その時、和泉ははっとして目を見開いた。
「そうだ、大事な事を言わないと。あのね、元の世界に戻る方法が分かったの」
「えっ! ちょっとなんでそれを最初にいわないのよ」
ミーシャが責め立てた。
「だって、色んな事がありすぎて、私も気が動転してたの。それと、大志が捕まって今、体育館にいるの。それも助けに行かないと」
「えっ、大志が捕まった? それってやっぱりオレたちが出会ったような奴らによって?」
コーセーがびっくりして身を乗り出した。
「みんなとにかく落ち着いて。最初からきっちり話すから、ちょっと黙って聞いてくれる? 質問は私が話し終わるまで禁止」
和泉も相当混乱していて、苛立っている様子だった。
「コーセーとミーシャが教室から出て行って消えた後に、授業をサボって保健室で寝ていた比呂美が教室の後ろのドアから入ってきたの」
「比呂美が……」
ミーシャが言った後、和泉はじろりと睨んだ。ミーシャは慌てて口を手で押さえていた。それからは誰も何も話さず、和泉の話を食い入るように聞いていた。
僕も最初は落ち着いて聞いていたけど、途中からドキッとして思わずショーアと目が合ってしまった。
佐野が竹本にこの学校で自殺した生徒がいないか訊いていた下りのところだ。幽霊がいるかいないか、そういうものを佐野は探していたみたいな話だ。
記憶を失っている佐野もまた衝撃を受けて動揺していた。自分でもなぜそんな事を訊いていたのか思い出せないから余計にこんがらがっているのだろう。
大志は油断して教室から出ると消え、だけど竹本は何度も普通に教室を出入りできた。竹本の行動がかなり鍵となり、そこから仮説が生まれる。
「ここが大事なんだけど、この世界で自分が変わるような事を体験して考え方を改めれば、それが戻る鍵になるってことなの。そして再び教室に戻って自分の席につけば元の世界に戻ることができる……」
竹本は和泉の目の前でそれを実行し本当に動かなくなったといっている。
その後僕たちを探しに和泉は教室を飛び出した。そこからはさっき話した音楽室の出来事だった。
上手い具合に僕たちはここで和泉と合流できたわけだが、一通り話を聞いた後、やっぱり僕は混乱する。
なぜ佐野は自殺した生徒がいないか訊いていたのだろう。学校で幽霊を見ていたのだろうか。まさかそれがショーアのことなのだろうか。僕は佐野をちらりとみたけど、佐野はじっと下を向いて何かを考えている様子だった。
「以上、これがここに来るまでの経緯。では質問があるならどうぞ」
意外にも最初に手を挙げたのは佐野だった。少し遠慮がちにおどおどとしている。
「理夢、何か思い出したの?」
和泉が期待した。
「私は何か学校の問題に気がついていたの? 例えば、虐めがあったとか、学校に来なくなった生徒がいたとか、そういうことを探していた?」
みんな一瞬考え込んだ。ずっと何も話さなかった佐野が発言したことは、彼女自身記憶が刺激されたのではと思えてならない。
「よくわからないけど、私にはドリームキャッチャーの事を訊いた事があった。理夢は学校でそれを探していたけど、理由を訊いても教えてくれなかった」
和泉は佐野の様子を注意深く見ながら答えていた。その時の佐野は何かを感じ取ったように一点をじっと見つめて真剣になっていた。
「そういえば、教室でドリームキャッチャーを見た事があると言っていたけど、それはどこで見たんだい?」
あの時、もっとそれについて詳しく訊けたのに、僕はこの世界を作ってしまったと責められると思って佐野の手を引いて教室を飛び出してしまった。
「あれは、家に手紙が送られてきたの。そこにドリームキャッチャーの絵が描かれていた……」
そこまで言った時、佐野ははっとしていた。
「記憶が戻ったの、理夢?」
和泉は顔を明るくし、ミーシャも同じように期待を込めた目を向けていた。
「和泉、ミーシャ、私はあなたたちの友達だよね」
佐野は目を潤わせてふたりに訊く。
「もちろんよ」
「当たり前じゃない」
聞きたかったふたりの答えに佐野はほっと一息ついた。
「ありがとう」
佐野の目から涙が溢れ出す。
「どうしたの、理夢?」
「なんで泣くんだよ」
和泉とミーシャが理夢に近寄り肩を抱いたり、頭を撫でたりしていた。
「嬉しいの。それを聞けて」
一体佐野は何を思い出したのだろう。佐野が落ち着くまで和泉とミーシャは温かく見守り、暫く好きにさせていた。
しんみりとしていたその時、校内放送のチャイムが響いた。軽やかな音なのに、僕たちは一瞬にして体が強張り身構える。
「この放送を聞いている諸君へ、胡内大志からの伝言です。『早く助けに来てくれ』だそうです。以上」
最後チャイムが締めくくった。
「あっ、大志! あいつ捕まってたんだっけ」
コーセーが言った。
「だけど、どうやって助ければいいの? 相手は自分たちの恐れが実体化したものといっても、みんな大人だよ。素手で戦って勝てる相手じゃないよ」
ボクシングの構えのようにファイティングポーズを取るミーシャ。コーセーにパンチを入れるフリをしていた。
「このまま放っておいて、オレたちだけ元の世界に戻るとか……」
コーセーは軽いノリで言っただけだろうが、冷たい視線が集まってしゅんとする。でも僕も同じ事を思っていた。
人一倍プライドの高い大志。一時僕の存在が許せないときがあった。表面上何もないフリをしていてたけど、僕の絵が賞を獲った時、大志は面白くなさそうに僕を見る目が冷めていた。他の人が誘えば僕の側にやってきたけども、大志ひとりでは絶対僕の側には寄らなかった。
僕の漫画は見る事があっても、先入観が先にあって絶対にいい評価をいれるものかと、最初から認めない態度を示していた。
嫉妬があると人は上から目線で物事を批評する。例えそれが優れていたとしても、絶対認めず、最後まで作品を読まないで簡単に悪い評価にしてしまう。わざと星ひとつをつけるような感じだ。まるで自分の方が上だと知らしめたいかのような態度を取るのだ。
こいつには負けたくないと思えば思うほど、相手がちやほやされると益々許せなくなってしまう。直接大志に嫌がらせを受けたわけではないけども、大志が僕を嫌っているのは分かっていた。
そんな奴を助けに行く? それこそなんで僕が? という感じだった。
「コーセーも、もしかして、大志のこと嫌いなのか?」
僕はつい聞いてしまった。
「おいおい、なんてことをオレに訊くんだよ。あれは冗談だよ、冗談」
ごまかそうとして笑うコーセー。そういう態度が中途半端でずるい。
「嫌いだから助けないとかそういう問題じゃないだろ。この世界にみんなで入ってしまった以上、ここを出るときはみんなで一緒に出ないと。元の世界に戻ってから思う存分嫌えばいいだけだよ。置いていったら後味悪いよ」
ミーシャらしい。僕はクスって笑ってしまった。
「そうだよな。嫌いだからって放っておくわけにはいかない。お陰で大志を助けなくっちゃって気持ちになったよ」
「おいおい、広瀬こそ大志が嫌いなのか?」
コーセーは僕の発言に驚いていた。
「それは元に戻ってから言うよ」
僕の言葉にコーセーも笑っていた。僕たちはお互いの本音を感じ取っていたのがおかしかった。
「ちょっと、もうあんたたち、大志がいないからって好き勝手言って。確かにイラッとする奴だから、ちょっと察するけどもさ」
「和泉、それフォローになってない。余計に大志がダメな奴に聞こえる」
ミーシャが突っ込んだ。
「あの、大志……君って、結局どういう人なんですか?」
やり取りを聞いていたショーアが大志に興味を持ち出した。
「明るいんだけど、目立ちたがりやで見栄を張ってる奴かな。だけど、それが悪いばかりでもない。コミュニケーションを取るのは上手いと思う」
ミーシャが言うとその後和泉が続けた。
「確かに目立とうとはするけども、クラスの盛り上げ役でもあるかもね。おしょうは大志のそういうとこ好きそうだし」
「おしょうは大志を上手くコントロールしてると思う。自尊心を持ち上げて満足させて、あまり無茶しないように抑えているように見える。」
コーセーが言った。
「そうそう、ああいうタイプは認めてもらえるまでしつこいところあるもんね」
ミーシャは同意していた。
「みんな、大志君のことよく見てるんだね。それだけじゃなく、ボクの目から見たら君たちとても息のあった仲のいい友達に見える」
ショーアの言葉は僕たちには意外だったのだろう。側にいるもの同士顔を合わせあって、お互いそうなのか尋ねあってるようだ。
僕は、佐野以外、大志、コーセー、ミーシャ、和泉は苦手だと思っていた。でも今はこんな世界に閉じ込められて、確かに仲間意識が芽生えているように思う。
「さてと、大志に会いに行くだけでも顔を出すか。ひとりできっと不安だろうし。危なかったらまた逃げればいいし」
コーセーはドアに向かった。
「そうだな。とりあえずどんな状況か見に行こう」
僕もその後を追った。みんなも僕たちの後をついて来る。佐野はショーアを気遣って何かを話していた。ふたりが急に親密になったみたいな様子に僕はちょっと妬けるけど。
廊下に出てコーセーは僕に話しかける。
「なあ、こういう時ってさ、スタンドあったらいいと思わないか。オレはやっぱりスタープラチナかな。オラオラオラオラとかやってみたい」
「何言ってんだよ、こんな時に漫画ネタかよ」
『ジョジョの奇妙な冒険』に出てくるキャラクターだ。スタンドは超能力を持つ守護霊みたいなもので、それらを使って敵と戦う。
「こんな時だからだよ。広瀬だってヘブンズドアがあったらいいって思うだろ。あれはお前にピッタリのスタンドだ」
あれは漫画家のキャラが持つスタンドだ。分かっているけど僕は何も言わなかった。
「なあ、広瀬。また漫画描けよ」
コーセーはついでと言わんばかりにさらりと口にした。
「手に力が入らなくてもう描けないんだ」
「別に力を入れなくったって、描ける範囲で描けばいいじゃないか。最初はちょっとしたイラストでもいい。とにかく絵を描けよ。本当は描きたいんだろ」
コーセーは僕に真剣な目を向ける。
僕は右手首を支える。他人にはわからないだろう。見た目は治っていても機能が半分に減ったということを。
鉛筆を持って絵を描こうとしたとき、手が震えた。以前のようにすっと線が引けなくなっていた。どれほどショックだったか。描こうと思えば思うほど上手く行かず苛々し、それ以上に心に怒りが湧いて正気を失い、いつも黒く塗りつぶすだけで終わってしまう。
僕が何も言わないでいるとコーセーは僕の肩を軽くポンと叩いた。
「無事元に戻れた時に考えてみてくれ。今は大志のことをなんとかしなくっちゃ」
「ああ、そうだな」
僕は軽く受け流した。
「あんたたちさっきから何話してるのよ。いい作戦でもあるの?」
和泉が問いかけた。
「いや、特にこれといって」
コーセーが答えると、ミーシャは軽く頭を小突く。
「頼りにしてるからね、コーセー」
「ええ、へへへへ、参ったな」
ミーシャに頼られて嬉しい反面、なんの対策もないのでヘラヘラとするコーセー。
僕が後ろを振り返れば、少し距離を取って佐野とショーアが話をしながら歩いていた。何を話しているんだろうと思ったが、ふたりの邪魔をするようで声をかけられなかった。
そのうち体育館の入り口に近づき、そこで能面の女と赤いお面の男が待ち構えているのが目に入る。
僕たちは一気に緊張し体が強張った。