第一章 リボン
駅を出て、数百メートルの一等地に曾祖父母の家はある。
「昔は駅前も、田んぼが広がる長閑な風景だったんだよ」
そんな話を、折りに付け聞いている。

今は車通りが激しく、昔の面影は無い。そこに10年程前まで4世代同居をしていた古い家がある。その昔は、小さな工場で作ったお菓子をスーパーに卸していた。だから、間口がやたらに広くて、引き戸を開けると土間が全開になるという独特の作りになっている。ここに、オート三輪を置いて有って配達につかっていたそうだ。

車庫に隣接した小さな倉庫と、その奥には20畳ほどの工場がある。使い古された大鍋などが今も埃を被って眠っている。そこを通り越して、奥のドアを開くと曾祖父母の自宅なのだ。

曾祖母(そうそぼ)は、(ゆう)が物心ついた頃には亡くなっており。写真はあるけれど、どんな女性だったのかいまいち覚えていない。彼女が亡くなってから、オートメーション化した郊外の工場に全てを移した。だから、ここは過去の遺物になっている。
どうやら、ここを壊してビルを建てて。1階を、お菓子の直売所にして。上を賃貸にして家賃収入を見込んでいるらしいと、悠は母に聞いたばかりだ。

まあ、そんなこんなで大掃除をしているのだが・・・。
入り口の引き戸を開いた瞬間、目の前に飛び込んでいた雑多な粗大ゴミに圧倒される。人1人通れるほどのスペースを残して、一応分別はしてあるようだが恐ろしい量のゴミが山積みになっていた。
「うわあ、良くここまでやったわね」
はんば呆れ顔で、ひとり言を言っていると奥から母の由季子が顔を出した。

「やっと来た!悠早く来なさい、おやつ食べてるから」
「ママ、口にクリームついてる」
多分、検品で跳ねられたスイスロールでも食べていたのだろう。
「やだあ、子供見たいわね。アンタの分、死守してるから食べられちゃうわよ」
手を引っ張って急がせる母に、彼女は苦笑いしていた。

工場を抜けて、ドアをくぐると、想像出来ないくらい広々とした和室に繋がるここが、古い家だ。縁側(えんがわ)でお茶をすする祖母と、既に食べ終わって座布団を四つ折りにして枕にしてゴロゴロする父の姿が飛び込んできた。祖父は、どうやらどこかに出掛けているらしい。

「やっときたのかい、悠。スイスロール食べないならアタシが食べるよ」
祖母のまち子は、既に手を伸ばして掴みそうな勢いで聞く。
「いいよ、小バア。あげるよ、お茶だけで良いし」
「なんだ、昔は私の分が無いって泣いたのに。色気づきやがって」
父の孝之が笑うのを、横を通り過ぎる時に軽く足蹴りしてまち子の横に座る。
「何か良い天気だね、ここ壊しちゃうの少し寂しい」
お茶を手にして彼女が言った。
「なに言ってるの、二郎さんは喜ぶだろうけれどね」
「俺も寂しい」
後ろから声が聞こえる。
「私も寂しけれどね、だから掃除してるんじゃ無い。ありがとうの気持ちを込めてねえ、お義母さん」
「まあね、だから悠も少し手伝った方が良いよ。気持ちの整理ができる」
「小バア、偶には良いこと言うじゃない」
「失礼しちゃうね、この子は。いつも良い事を言ってるはずだけどね」
全員の笑い声が重なる。

何気ない会話をしながら、ゆっくりと懐かしい室内を眺める悠。このお仏壇、いつも大ジイと一緒に、手を合わせて座ったっけ。そんなことを思いながら、仏壇を見ていた彼女は、なにかいつもと違う違和感を感じた。
「ん?」
立ち上がって、仏壇に近づく。
「悠どうかしたの」
「うん、お母さん。何だろう、何か違う気が」
立ったまま、仏壇を上からゆっくり下に向けて眺める。仏壇の中も手を伸ばして位牌を持ち上げたり、鈴を動かしたりしてみたけれどいつもと変わらない。
「変だな」
今度は座り込んで、仏壇の前にある経机の引き出しを空ける。もう中の物は、取り払われていて空だった。そして足元を見ると、黒い綴り紐で綴じられた厚紙の表紙の書類が置かれていた。表紙には『宮城二郎様 相続関係書類』と書かれている。
「これ、相続の書類なの」
手に取ると、先日届いて仏壇にあげていたのだと母が説明してくれた。開くと、そこには法定相続人の簡易家系図が書かれており。後ろには、古い戸籍から新しい戸籍まで沢山の戸籍が閉じられている。悠は、初めて見た古い戸籍に釘付けになる。
「へえ、こうやって戸籍も必要なんだ」
感心する彼女に、父が横から説明をする。
「法定相続人と言ってね、相続権がある人全員を漏らさ無い様に確認するために戸籍を取得する必要があるのだよ。古い戸籍に沢山の名前が載ってるだろう」
隣りに座って、説明する。
「ここに二郎さんと、奥さんのさかゑ(さかえ)さん。次の戸籍を見ると、小ジイの高志さんと、小バアのまち子さん。で、俺達がここにいるだろう」
「へえ、そうやって戸籍を何枚も辿っていくと、全員揃うわけね。面白い」
「人が亡くなったらね、生まれてから死ぬまでの戸籍を全部役所で出して貰って、遺産相続の為に提出するからこんな感じになるんだよ」
「面白いね。へえ、大ジイは2人兄弟なんだね。昔の人にしては珍しいよね」
そういう彼女に
「ああ、そう言えば二郎さんが言ってたわ」まち子が話し出す。
「二郎さんのお母さんは、30代で亡くなって。お父さんは再婚せずに男手1つで息子2人を育て上げたとか。昔の人は、奥さんが亡くなると直ぐ後妻さんを貰うのにね、余程奥さんを愛していたのかしらね」
頬を緩めながら、うっとりする小バアに悠は苦笑いする。既に休憩を終えたらしい由季子は、忙しそうにゴミ袋を外に運び出している。
「よっし、お父さんも休憩終わりだ。由季子、1人でやるな。手伝うぞ」
そう言うと、視線から消えていった。
「私はもう少し休憩するけれどね、悠も着いたばかりだからゆっくりするといいわ。読み終わったら、経机の下にでも置いておきなさい。それは持って帰るから」
小バアに「はーい」と答えると、指定された経机の下に視線を移す。
ここに書類が置いてあったから違和感が有ったのだと思っていた悠だがまだそこに、違和感を感じて屈んで確認し始めた。

「あっ、これ・・・」
彼女が気がついたのは、仏壇の下に小さな隠し戸棚の様な収納スペースがあり薄らとドアが開いていたことだった。
「ねえねえ。小バアちょっと来て!」
大声で叫ぶと、小バアがヨッコラショと重そうに腰を上げて「どれどれ」と彼女と同じ様に畳すれすれに顔を近づけた。
「扉だね、アンタさすがに目が良いわ。でも、そんなところに扉なんてあったっけね。ちょっと、悠。経机動かして」
言われるままに、立ち上がり経机を軽く横に動かす悠。すると、扉がよく見える様になった。20cm角くらいの扉がスライドして動く様になっているようだ。
「へえ、そんなところに扉なんてあったんだ。さかゑさん、何か隠してあったりして」
躊躇無く、扉を開ける小バアと。中から何か、オバケでも出て来そうで軽く後ろに体を引く悠。中は真っ暗で何も見えないというのに、平気で手を突っ込んでガサガサ探し物をする小バアの度胸に彼女はどきどきしていた。

「小バア、何かある」
「ちょっと待ってよ、右奥は何も無い・・・左奥も何もなし。手前右、無し。
手前左っと、なにか有る。何を立てかけてあるのヨイショッと。出てこないし綺麗にハマってる。悠ちょっと変わって」
良く分からないまま、手を引っ張られて暗闇に入れられそうになり
「ちょっ、待って。懐中電灯無いの」
「アンタはビビリだね、ちょっと待っててよ」
片付けの為に持ってきていたらしい懐中電灯が直ぐに出て来た。
「ほら、懐中電灯」
「サンキュ」
顔を畳みギリギリに擦りつける様にして、右手前を見つつ懐中電灯で照らした先に有った物は長細い箱の様な何か。収納の高さに合わせて作ったかのように、キッチリとはめ込んで収めてある木製の箱。
「なんか箱がある。小バア、ちょっとこの角度で持ってて」
何だい、人使いが荒いね!と文句言う彼女に懐中電灯を手渡してゆっくりと箱をスライドさせて扉の前まで持ってくる。
「これは、扉外さないとでないよね」
「上手くはめ込んだもんだね」
感心するまち子に頷くと、扉を外し。ゆっくりゆっくりと、手前に箱をスライドさせた。ほとんど遊びが無いくらいで、少しでも斜めになると動かないというギリギリ具合。
すうーっと、滑らせて何とか木製の箱を取り出す事が出来た。

「これは、文箱だね」
悠には全く分からなかったが、祖母であるまち子にはすぐ分かったらしい。
「鎌倉彫の文箱かしら、お洒落だね」
何彫りでも、どうでもいいのだけれど中味が気になる悠。
「ねえ、早く開けようよ。小バア」
「仕方無いねえ、良い物なら箱だけ欲しいよアタシは」
「ハイハイハイ、了解。それは後でね」
「しかし、埃っぽいね。取りあえず、これで拭きなさい」
濡れ雑巾でザッと小綺麗に拭き清められて、やっと開封の儀となった。

既に、まち子さんは中味には興味が無いらしく。「箱だけちょうだいよ」と、庭に出て行ってしまった。
部屋には、悠1人。何か、ドキドキしてしまう・・・と思いつつ箱に手を掛ける。少し、引っかかる手応えがあって蓋が開いた。

何十年振りに日の目を見るのだろうか、中に光が差し込むと手紙の様な物が何通か。そして、リボンが無造作に入っているのが見えた。
日中とはいえ、既に空き屋のこの家は電気は通っていない。彼女は明るい窓際に箱を持って移動することにした。

手紙に見えた物は、何か和紙の様な薄い紙で1度折りたたんだような跡が沢山ついている。山谷と延々紙を折りたたみ、キュッと1回捻って結んだ跡だろうか。
小筆で書かれたような、崩し文字の様なパッと見読めない文字が走り書きされている。
「うーん、これなんだろう。読めない」
顔の斜め上に持ってきて、両手で広げて読もうとゴローンと縁側に横になる。
「悠、何をやってんの。女の子がこんな所で」
後ろに、いつの間にか母の由季子が立っていた。
「あ、お母さん。これ、読める」
差し出された手紙らしき物を、由季子は受け取って軽く首を傾げる。
「孝之さーん、ちょっと来て」
どうやら読めないらしく、夫に声を掛ける。
「どうした、何か面白い物でもあったか」
「面白い物かどうか分からないけれど、これ悠が見つけたみたい」
「ふーん」
彼はそれを受け取ると、やはり頭の上に紙を掲げて首を傾げた。

それを見ていたのか、庭から大笑いが聞こえてきた。
「あんた達、さすが親子だね。似た様な文の見方して。小ジイが迎えに来たよ、そろそろ帰る支度しなさい」
庭の方から、小ジイともう一人年配の男性が入って来た。
「あ!悟伯父(さとるおじ)さん!」
「おお、悠。元気だったか、久しぶりだな。所で、何をやってるんだ皆で」
小ジイより、一回りは上だろうというふっくらとしたご年配のこの方が悟だ。亡くなった大ジイこと二郎さんの兄さんの子供。要するに、小ジイのいとこになる人で昔は一緒にお菓子を作っていたので悠も良く知っている。
「あ、そうだ!伯父さんなら、これ読めるんじゃない。仏壇に入ってたの」
縁側に腰を下ろした彼に、手渡すと肩越しの覗き込む。
「ほお、ほほお。これ、お前どこに有った」
満面の笑顔で問う
「えっと、仏壇の中にあった・・・あの箱の中」
箱を指差して示す
「なんだ、懐かしいな。あの箱、まだ有ったのか」
そう言うと、手紙の文字を指差しながら読み上げはじめた
ゐく(いく)殿 
ひとめお逢いせし時より、お慕いしており候 磯吉
ま、磯さんの恋文だな」
「嘘、エモい。所で、磯さんとゐくさんてって誰」
「俺の爺さまと婆さまだな、要するに二郎さんの両親だ」
「へぇ、ひいひいお祖父ちゃんと祖母ちゃんか。じゃあ、こっちは」
同じ様に箱に入った、今度は綺麗な和紙に万年筆で書かれた物を渡す。
「わたしくしも愛慕を寄せておりて候
だな、ゐくさんからの返答だろう」
「ねえ、伯父さん。それってどう言う意味」
「まあ、ダイレクトに言えば、私も貴女が好きですって返事だな」
「いやあん、なんか恥ずかしい」
「だから、仏壇にかくしてあったんだろ。出すな」
そういうと、悟は大爆笑した。
「他にも、色々あるだろ。リボン入ってなかったか」
「まって、伯父さん。箱持ってくる!リボン有ったよ」
悠は、急いで箱を手にしたのだった。