渡り廊下を突っ切った先にある職員室の前で、大きな絵画が飾られようとしているのを目にした。昨日までのものとは違う印象的な色合いに思わず目を奪われた。
「あ!」
 これ…と、ふと足を止める。
「素晴らしいでしょ。県のコンクールで金賞をとったらしいわよ。さすが秋月(あきづき)くんね」
 振り返ると、(はく)ちゃんや(ゆめ)の担任の志木(しき)先生が輝くような笑顔をわたしに向けていた。二ヶ月ほど前に、白ちゃんの担任の先生が産休に入り、その代わりといって突然やってきた大人の色気が全開なとてもきれいな先生だ。
「白ちゃん、こんな絵も描くんですね」
 美術部の白ちゃんは、いつも風景画を得意としている。まわりの評価もとても良く、よくコンクールなどで賞をおさめている。天の才を持っているのではないか!と言われることもあるそうで、なぜかいつもわたしが鼻高々である。
 繊細な世界観はまるで本物の写真のようで、それでも壮大でこころ暖まる力強い印象の絵を描く白ちゃん。
 でも、この絵は違った。
「『きみと見た空の色』というタイトルだそうよ」
 赤々とした光が美しい世界を覆うようにして描えがかれていた。
 白ちゃんの描くものには珍しく、完成した風景画に燃えるような表現が加えられているようだ。
「こ、これが、空の色?」
 空の色と言われたら、わたしは小さな頃から青色のクレヨンを取り出す。
 白ちゃんの作品も描かれるほとんどの空という表現は海と絶妙なコントラストで彩られる鮮やかなコバルトブルーが印象的だったから驚いた。
 白ちゃんらしい天才による天才にしか理解できないセンスというべきところか。
「いつか、こうなってしまう日がくる。そう彼はこの絵を通して訴えたいのかもしれないわね」
「どういう意味ですか?」
「先生にもわからない。でも、秋月くんにとっては、なにかを大切な意味をもっているというのはたしかよね。なんだか、見ているとさみしくなるわ」
 先生は想いにふけるようにその絵を眺め、ふっと瞳を閉じた。
「じょ、情熱的って意味かもしれませんよ?」
「え?」
 思わぬ言葉が出て、自分でも耳を疑った。
「だ、だって白ちゃん、普段は明るい絵ばかりだし、どちらかというと見ているだけで元気をもらえるような作品が多くって、こ、これももっと白ちゃんが描きたかったであろう何か他に意味がある気がします。もっと明るい未来を示すような…む、むしろ本当は、いっつもわたしたちが目にする空の色のほうが偽りの色なのかも」
 最近の夏の暑さだって異常なほどだもの。
 …いや、あまりに支離滅裂だ。
 自分でない誰かが知ったように白ちゃんについて語るのはあまり気持ちのいいものではなかったから、ついムキになって言ってしまっただけだった。自分でも言いたいことの意味がわからない。これは途中で恥ずかしさでいっぱいになるやつだ。
「情熱的、ねぇ。たとえば、桃倉(ももくら)さんが彼に向けている熱い想いのような?」
 先生はクスクス笑い、わたしはきっとこの絵と同じような顔色になったに違いない。
「志木先生、からかわないで下さい」
 いつの間にか、呆れ果てたように眉間にしわを寄せた白ちゃんがわたしの後ろに立っていた。
「あらあら、ごめんなさい」
「…俺がいたの、絶対知ってましたよね」
 これでもかってくらい大きなため息を吐きつつも、白ちゃんはわたしの肩をつかみ、自分の背に誘導してくれる。不覚にもこんな状況でときめいてしまう自分に自己嫌悪する。こういうさりげない優しさが大好きだけど、大きな背中が今は直視できない。
「まさか、そんなことないわよ」
 先生は、わたしが逆立ちしても真似できないような魅惑的な笑みを白ちゃんに向ける。
「でも、本当にすてきな絵ね。つい見入っちゃったわ」
「ありがとうございます」
 それではおじゃま虫は退散するわね!と、また楽しそうに頬を緩め、先生は職員室に入っていった。
 とり残されたわたしと白ちゃんの間には、いつもとはまったく違う、とてつもなく気まずい沈黙が流れていた。
(せ、先生は白ちゃんの存在に気付いてたのね!)
 わたしはあまりのみっともなさに泣きたくなった。
 志木先生があまりにも理想的な女性すぎて、つい感情をあらわにしてしまった。
 バカみたいにつっかかって、本当、情けないほど子どもだ。
「ありがと」
「え?」
 意外な言葉に耳を疑う。
 今にも心とは裏腹にあふれてきた涙がその重さに負けてこぼれ落ちそうだったけど、そんなことはすっかり忘れてぽっかり口を開けたまま頭一個分背の高い白ちゃんを見上げてしまった。き、聞き間違えだろうか?
「絵、ほめてくれて。桃倉のように言ってくれたのは初めてだ」
 もっと明るい、そんな未来を表す絵。
 聞き間違いではない。
 大好きな声を何度も何度も脳内で繰り返す。
「も、もちろんよ!私が白ちゃんを想う気持ちはこのくらいじゃ足りないけどね!」
 もっともっともーーーーーっと激しく燃えるように赤々とした、まるで灼熱の炎のような赤色でも表現できないくらいの情熱的な色。
 すごくすごく嬉しくて、やっぱりわたしは白ちゃんの腕にしがみついてしまった。
 白ちゃんは、おい!と顔をしかめたけど、それでもいつもみたいに離そうとはしなかった。だからわたしは本当に幸せな気分になった。せっかくこらえた涙が止めどなくこぼれ落ちたけど、気になんてしていられない。
 このまま時間が止まればいいのにって本気で思った。