二人の成婚を祝う船上パーティは豪華なものだった。
僕はもう一生、ここまで贅を尽くした船を見ることはないだろう。
手すりから客室から甲板まで、あちこちに二人の未来を祝う金と紫のリボンと薔薇が飾られ、花吹雪が舞う。
両国の来賓たちは優雅な衣装を纏ってオープンデッキに参列し、若い二人の人生の船出を祝った。
「あなた方は自分自身をお互いに捧げると誓いますか。良いでしょう……それでは誓いの口付けを」
二人が見つめ合い、そっと唇を触れ合わせる。
真昼の空に鐘の音が鳴り響き、王子と姫、二人は拍手の嵐に包まれた。
その後客室で始まった披露宴の片隅で、アリアはじっと石像のように壁際に佇んでいた。
陽の光の下でも青ざめてみえる顔をして、アリアは以前よりずっと痩せた身体に包み紙のような薄く瀟洒なドレスを着ている。
ーー側室にもなれない、手切金で突き放されることもない、王子が飽きた愛玩人形。
彼女はなにも見えないような昏い眼差しで、ただパーティの進行をぼんやりと見つめていた。
まるで溺死した幽霊や、人を溺れさせる水底の人魚のようだ。
やつれても生気を無くしても、アリアはこの場の誰よりも美しかった。
凪の海は闇色に染まり、空に花吹雪のような星が煌めいて、夜が深けても、披露宴は燈明の光を強くして続いていく。
客室内にはシャンデリアの煌めきが眩ゆいばかりで、時折、空で花火が炸裂する。まるで王子16歳の海難事故の不幸を吹き飛ばすように、明るく賑やかな夜は続いていく。
踊り子たちは薄絹を纏って妖精を模して踊り、甲板では無礼講で酒を傾ける水夫たちが賑やかなダンスを踊る。
紳士淑女も無礼講と言わんばかりに、皆思い思いに熱烈に体を重ねてダンスをした。
アリアは部屋の隅のソファに小さく座り、忘れられた人形のように哀れな様子だった。
そんな彼女の様子が王子の目に入ったらしい。
唐突に、酒が入って陽気になった王子が声を張り上げた。
「アリア! 君も踊りたまえ!」
王子が手を叩いて彼女を指名する。
客船内の好奇の視線が一気に、彼女へと降り注がれた。
アリアは困惑するような、すがるような表情で、ただ王子を見つめている。
「君の踊りは妖精をも惑わすと評判じゃないか。僕たち夫婦の祝いの門出に、ぜひ踊ってくれ」
アリアの唇は震えていた。
残酷なことに、周りの人々も口々に彼女に踊れと囃し立てる。
アリアは覚悟を決めるように立ち上がると、足音も立てず、静かにホールの中心部へと出てくる。
彼女は昏い瞳をしていた。まるで死に向かう兵士のような顔だと、僕は思った。
全体を見回し、そして新郎新婦ーー特に王子をじっと見つめ、手足をダンスの形にする。
柔らかく膝を曲げ、そして足を柔らかく伸ばす。顔をあげーーアリアは王子を見て笑った。
ぞくり。僕はその横顔に電流が走った。
アリアの舞踏は美しく、壮烈だった。
長い豊かな赤毛が舞う。伸びやかな手足にシャンデリアの輝きが映る。
彼女は挑むような笑顔で踊っていた。宝石のような青い瞳は波の飛沫のようで、微笑んだ唇は鮮烈な紅だった。
いつの間にかみんな静まり返った。
自然と、ヴァイオリンが彼女に合わせて即興の音を奏でる。彼女は爪先で床を叩いた。手を叩き、笑顔で、細い指先を翻して宙を舞った。
結婚祝いの舞踏というにはあまりにも鬼気迫った、しかし誰も目を逸らせない舞。
誰よりも彼女は美しかった。
僕も観客も、涙を流していた。
笑い物にしようとしていたはずの王子でさえ、滔々と涙をこぼし続けていた。
踊りが終わった彼女に、僕は水の入ったグラスを渡した。
彼女は疲れ切った笑顔で飲み干スト、再び抜け殻のようになって、ふらふらとホールを後にした。
「アリア……」
僕は彼女の背中を見ながら、もうなにも言えなくなっていた。
アリアは命を賭けて王子に尽くしていたのだ。
王子を愛して愛し抜いて、辛い城でも耐え抜いていたのだ。
そして最後にーー客船の中の観客全ての前で、全ての心に焼き付くような舞踏を魅せたのだ。
「強い人だったんだ。アリア」
僕は恥ずかしくなっていた。
僕は王子に寄り添い続けた、彼女を本当の強さに気づいていなかった。美しさに惹かれて酷い立場に同情していたばかりだった。
実の所僕は、彼女に告白しようと思っていた。
王子に「お下がりをもらった」と思われてもいい。アリアに侮蔑の目で見られてもいい。嫌われてでも彼女を一生守っていきたいと思った。
この子は、幸せになるべき女の子だから。
「違うんだ。アリアは、そんなんじゃ幸せになれない」
僕は手を握りしめた。
アリアは絶対、幸せになるべき女の子だ。
けれどそれは、浅ましくうわべだけで恋した僕なんかに与えられる幸せじゃダメだ。
彼女は彼女として、自分で幸せにならなければ。
ーー僕はその後も忙しなく働き続け、気がつけば夜になっていた。
新郎新婦は豪華な天幕に覆われた寝室で、今は初めてのひと時を過ごしている。同じ船で夜を過ごす来賓全てが二人の初夜の証人というわけだ。
僕は北極星を見上げながらやる気のない巡回をしていた。全身の漲る感情というものが全て、アリアの血気迫る舞踏に吸い取られてしまった気分だ。
アリアは今、どうしているのだろう……
物思いに耽りながらデッキの方へと向かおうとした時。
波のさざめきとは違う、女のはっきりとした声が聞こえてきた。
「王子を殺して帰っておいでなさい。魔女の短刀で刺して血を浴びれば、あなたは人魚に戻れるわ」
僕はもう一生、ここまで贅を尽くした船を見ることはないだろう。
手すりから客室から甲板まで、あちこちに二人の未来を祝う金と紫のリボンと薔薇が飾られ、花吹雪が舞う。
両国の来賓たちは優雅な衣装を纏ってオープンデッキに参列し、若い二人の人生の船出を祝った。
「あなた方は自分自身をお互いに捧げると誓いますか。良いでしょう……それでは誓いの口付けを」
二人が見つめ合い、そっと唇を触れ合わせる。
真昼の空に鐘の音が鳴り響き、王子と姫、二人は拍手の嵐に包まれた。
その後客室で始まった披露宴の片隅で、アリアはじっと石像のように壁際に佇んでいた。
陽の光の下でも青ざめてみえる顔をして、アリアは以前よりずっと痩せた身体に包み紙のような薄く瀟洒なドレスを着ている。
ーー側室にもなれない、手切金で突き放されることもない、王子が飽きた愛玩人形。
彼女はなにも見えないような昏い眼差しで、ただパーティの進行をぼんやりと見つめていた。
まるで溺死した幽霊や、人を溺れさせる水底の人魚のようだ。
やつれても生気を無くしても、アリアはこの場の誰よりも美しかった。
凪の海は闇色に染まり、空に花吹雪のような星が煌めいて、夜が深けても、披露宴は燈明の光を強くして続いていく。
客室内にはシャンデリアの煌めきが眩ゆいばかりで、時折、空で花火が炸裂する。まるで王子16歳の海難事故の不幸を吹き飛ばすように、明るく賑やかな夜は続いていく。
踊り子たちは薄絹を纏って妖精を模して踊り、甲板では無礼講で酒を傾ける水夫たちが賑やかなダンスを踊る。
紳士淑女も無礼講と言わんばかりに、皆思い思いに熱烈に体を重ねてダンスをした。
アリアは部屋の隅のソファに小さく座り、忘れられた人形のように哀れな様子だった。
そんな彼女の様子が王子の目に入ったらしい。
唐突に、酒が入って陽気になった王子が声を張り上げた。
「アリア! 君も踊りたまえ!」
王子が手を叩いて彼女を指名する。
客船内の好奇の視線が一気に、彼女へと降り注がれた。
アリアは困惑するような、すがるような表情で、ただ王子を見つめている。
「君の踊りは妖精をも惑わすと評判じゃないか。僕たち夫婦の祝いの門出に、ぜひ踊ってくれ」
アリアの唇は震えていた。
残酷なことに、周りの人々も口々に彼女に踊れと囃し立てる。
アリアは覚悟を決めるように立ち上がると、足音も立てず、静かにホールの中心部へと出てくる。
彼女は昏い瞳をしていた。まるで死に向かう兵士のような顔だと、僕は思った。
全体を見回し、そして新郎新婦ーー特に王子をじっと見つめ、手足をダンスの形にする。
柔らかく膝を曲げ、そして足を柔らかく伸ばす。顔をあげーーアリアは王子を見て笑った。
ぞくり。僕はその横顔に電流が走った。
アリアの舞踏は美しく、壮烈だった。
長い豊かな赤毛が舞う。伸びやかな手足にシャンデリアの輝きが映る。
彼女は挑むような笑顔で踊っていた。宝石のような青い瞳は波の飛沫のようで、微笑んだ唇は鮮烈な紅だった。
いつの間にかみんな静まり返った。
自然と、ヴァイオリンが彼女に合わせて即興の音を奏でる。彼女は爪先で床を叩いた。手を叩き、笑顔で、細い指先を翻して宙を舞った。
結婚祝いの舞踏というにはあまりにも鬼気迫った、しかし誰も目を逸らせない舞。
誰よりも彼女は美しかった。
僕も観客も、涙を流していた。
笑い物にしようとしていたはずの王子でさえ、滔々と涙をこぼし続けていた。
踊りが終わった彼女に、僕は水の入ったグラスを渡した。
彼女は疲れ切った笑顔で飲み干スト、再び抜け殻のようになって、ふらふらとホールを後にした。
「アリア……」
僕は彼女の背中を見ながら、もうなにも言えなくなっていた。
アリアは命を賭けて王子に尽くしていたのだ。
王子を愛して愛し抜いて、辛い城でも耐え抜いていたのだ。
そして最後にーー客船の中の観客全ての前で、全ての心に焼き付くような舞踏を魅せたのだ。
「強い人だったんだ。アリア」
僕は恥ずかしくなっていた。
僕は王子に寄り添い続けた、彼女を本当の強さに気づいていなかった。美しさに惹かれて酷い立場に同情していたばかりだった。
実の所僕は、彼女に告白しようと思っていた。
王子に「お下がりをもらった」と思われてもいい。アリアに侮蔑の目で見られてもいい。嫌われてでも彼女を一生守っていきたいと思った。
この子は、幸せになるべき女の子だから。
「違うんだ。アリアは、そんなんじゃ幸せになれない」
僕は手を握りしめた。
アリアは絶対、幸せになるべき女の子だ。
けれどそれは、浅ましくうわべだけで恋した僕なんかに与えられる幸せじゃダメだ。
彼女は彼女として、自分で幸せにならなければ。
ーー僕はその後も忙しなく働き続け、気がつけば夜になっていた。
新郎新婦は豪華な天幕に覆われた寝室で、今は初めてのひと時を過ごしている。同じ船で夜を過ごす来賓全てが二人の初夜の証人というわけだ。
僕は北極星を見上げながらやる気のない巡回をしていた。全身の漲る感情というものが全て、アリアの血気迫る舞踏に吸い取られてしまった気分だ。
アリアは今、どうしているのだろう……
物思いに耽りながらデッキの方へと向かおうとした時。
波のさざめきとは違う、女のはっきりとした声が聞こえてきた。
「王子を殺して帰っておいでなさい。魔女の短刀で刺して血を浴びれば、あなたは人魚に戻れるわ」