私は石段に腰を下ろし、ぽつぽつと神様に会った日からの顛末を話した。

 家を引き払うことになったこと。
 父が遠くの大学進学を勧めてきたこと。
 ーー母の存在がどんどん、人生から消えていくのが辛いということ。

 神様は隣に座って真面目な顔をして、真剣に私の話を聞いてくれた。
 なんだか、とても落ち着く。
 私は自然と、誰にも言えなかった本音を吐き出していた。

「私もお父さんもすっかり、お母さんがいない暮らしに慣れちゃった。その上、家まで引き払って、バラバラに暮らしちゃうと……お母さんのことが消えてしまいそうで怖いの。お父さんが平気そうなのも、悲しいし……」

 母が死んですぐの一年は、悲しすぎてあまり記憶がない。ずっと灰色のような日々だった。
 二年目にようやく「悲しい」とか「寂しい」とかの気持ちが湧き上がるようになった。

 そして三年目、四年目。
 年月を追うごとに父との家事の分担も慣れて、二人の間で笑いながら食卓を囲む日も増えた。
 手付かずだった母の荷物は少しずつ、部屋の中で整理されていく。
 自分の悲しみが和らいでいくのに合わせて、だんだん母への気持ちまで、風化していくような恐怖を覚えてきた。

「大丈夫だよ、遥花」

 神様は私の涙を掬い取りながら、優しく、けれどはっきりと断言した。

「お父さんだって平気な訳ないさ。妻と遥花、二人が大事だからこそ、前を向くように促してるだけだ」
「なんで言い切れるの」
「神様だからさ」

 前髪の合間から覗く瞳は真剣だった。

「うん……今ならできるかな」

 桜色の混じった、ガラス玉見たいな綺麗な神様の瞳に、泣き顔の私が映っている。

「遥花、目を閉じて」
「え、」
「目を閉じて、俺の手を握って。額を合わせてほしい」
「う……うん」

 言われるままに手を握って額を合わせて、二人で目を閉じる。

 その瞬間。
 瞼の裏でさまざまな景色が、動画のように駆け巡っていく。
 10倍速よりずっと早く再生されていくのに、不思議とひとつひとつの場面を読み取ることができた。
 それはーー桜ノ端で出会った両親の、出会いから別れまでの幸福な走馬灯だった。
 
 二人は偶然桜ノ端で出会い、惹かれあい、デートを重ねて夫婦になった。
 私を身籠った母と寄り添う父。
 二人で必死に私を育てながら、3人で笑い合う楽しい日々。
 突然の母の急逝。
 葬儀が終わって空になった家を見て、泣きじゃくる私。
 私をきつく抱きしめた父は、涙を溢しながらも強い双眸で、運命に挑むような顔をしている。

 父は、その日以来、必死に私を守って生きてきた。
 堂々と定時上がりできるように仕事の成果を出し、あちらこちらから押し付けられる再婚の誘いを笑顔で固辞し、信頼できる女性の知り合いや相談窓口に、男親として困った時は相談をして。
 帰宅して家のドアを開く前。
 漂う私が作ったシチューの匂いに、涙を堪えてしばらく立ちすくむ日もあったようだ。

「お父さん……」