といっても、その話を誰かから聞いたのは、いったい何年前のことだったろう? ひょっとしたらもう、レンガ調のタイルを使ったコンビニなど、とっくに絶滅してしまっているのかもしれない。

「今晩は、オレミカズキ様。お待ちしておりました。ささ、こちらへ」
 そう言って出迎えてくれた初老の男は、現場作業後の僕に負けず劣らず、みすぼらしい身なりをしていた。
 寝起きみたいなぼさぼさの髪には白髪が混じり、立ちくらみの真っ最中というようなふらふらとした足取りで僕を案内する。
 なぜ僕の名前を知っているのか? それはあえて問わなかった。問えば動揺を悟られることに繋がる。
 城内は光源に乏しく、こもった空気のにおいがしたが、暗さゆえに不潔な感じはせず、余計なもののない通路はすっきりとしていて、まるでテーマパークのアトラクションの順番待ちをすいすいと通り抜けているかのような気分だ。
「オレミ様のお部屋は、『月の階』にございます。ささ、お早く」
 そのエレベーター乗り場は、あたかも壁の一部であるかのように巧妙に隠されていた。男がカードをかざし、割れるように扉が開いてようやく、そこがエレベーター乗り場であることに気付く。
 ひょっとしたら他にもエレベーター乗り場があって、僕はそれに気付かないまま通り過ぎてしまったのかもしれない。あれだけたくさんの塔があるのだ。エレベーター一基ではとても足りない。
 僕は後ろ髪を引かれる思いのままエレベーターに乗り込み、階数ボタンのないその内部を興味深く見回していると、男がやはり一枚のカードをパネルにかざして、箱は動き出した。
 ……動き、出したのだろうか? 音もなく、縦Gも感じられず、本当に動いているのか疑わしい。
 しかし僕がそうして疑っているうちに、箱は迅速に「月の階」へと僕らを運び、「さあ着いたんだから早く出て行っておくれよ」とでも言うようなため息めいた音と共に扉を開いた。
 いったいここは何階なのか。階数表示はない。外の景色も見えない。もしかしたら地下かもしれない。
 ビジネスホテルの廊下にも似た、機能重視の通路へと出る。地上か地下かはともかく、空調は隅々まで行き届き、暖かみのある明かりに照らされた赤い絨毯(じゅうたん)は、毛足の長さゆえか一歩進むたびに僕のぼろぼろの作業靴を強く押し返した。