僕は壁際に設置されたベンチに腰を下ろし、オオシマイヨの穿(は)いているピッタリとしたレギンスの上、拍を打つように揺れるスカートを眺めながら、昔一度だけ家に遊びにきた不愛想な少女の姿を思い浮かべ、それを目の前にいる彼女の姿と重ねる。
「でも学校は普通に通っていたんだね?」
「そうよ。カルトのコミューンだって学校だけは普通に通わせるわ。義務教育だもの」
「ここってカルトのコミューンなのか?」
「たとえよ。あと悪いけれど、昔のあなたのことは全然覚えてないわ。小学生のころは城に帰りたくなくて、毎日――それこそ日替わりで同級生の家に遊びに行っていたから。あなたのことはおろか、あなたの妹のことも覚えてない」
「妹のことも? きみはまだ、小学校の同級生を忘れるような歳じゃないと思うけど」
「……私はね、モニターに映る全ての人々に名前をつけて、毎日毎日観察しているの」
 ランニングマシンは電動式で、定期的にスピードを増減するのだが、彼女は顔色一つ変えることなくそれに対応し、それでいて呼吸も乱さずにしゃべり続ける。
「だから、最近会ってない人の名前なんて、忘れてしまっても仕方ないと思わない?」
「それじゃ、僕の名前が一番最新だ。何日ごとに会えば、忘れられずにいられるかな」
「毎日」と彼女は言った。その言葉には、妙な確信と少しの親しみが込められていた。
「オレミカズキなんて名前、毎日見なきゃ――いえ、聞かなきゃ、きっと忘れちゃう」
「一応、みんなからは『ミカズキ』って呼ばれてるけど。僕は好きじゃないんだよな」
「どうして?」「『三日月』というなら『ツ』に濁点だ。『ス』に濁点だと、変だよ」
 僕はほとんど間髪入れずそう言った。これまで幾度となく説明してきたことなのだ。
「要するに、誤謬(ごびゅう)のある感じが気になるのね? 監視塔員向きの性格だわ」
「言葉にすると、そういうことになるのかな。きみは自分の名前が好き?」
「好き……だったわ。ローマ字を習うまではね」
「ローマ字? ローマ字がなにか関係あるの?」
「あるの。私ね、ヘボン式ローマ字に直したとき、特殊な表記が含まれる名前が嫌いなのよ」
「ええと、『オオシマ』の『シ』が『si』じゃなくて『shi』になるのが嫌ってこと?」
「そういうことね。あと『オオ』の部分も、長音だから『o』が一つ消えたりするでしょ?」