それ(・・)を自覚したとき、背中に冷たい汗が伝った。




なんてことない……、なんてことない、日常の風景。明るく華やかな理沙はひらひらと舞い踊る蝶を引き寄せる美しい薔薇だった。美しい蝶が、艶やかに咲く花にたどり着くのに、何の不思議もなかった。ただその光景を、愕然とした思いで見ていた佳乃が居た。

幼稚園のお遊戯で。
小学校の休み時間に。
中学校の裏庭で。
高校の後夜祭の時に。

ありとあらゆる場面で、理沙はその美貌と明るさで蝶を引き寄せた。そしてその度に理沙は佳乃にどうしたらいいかと選択を委ねてきた。幼稚園や小学生の時はまだ分からなかった。理沙と一緒に遊びたい気持ちが大きかったからだと思っていた。でも、中学や高校になると、流石の佳乃も自分の心の在りように気付かざるを得なかった。佳乃は動揺を押し殺し、付き合ってみれば、と軽く応えた。

理沙は思いを告げてくる男子と交際するようになった。その様子は他の学生が納得する姿で……、でも佳乃は、理沙の隣に立ち並ぶ男子たちを、憎んだ。憎んでそして、その場所を奪いたいと思った。誰にも渡したくない、自分だけが理沙の唯一として彼女の隣に立ち並びたいと、そう思ってしまった。そのことが……、何よりの間違いだと言うのに……。

中学一年の放課後の教室で理沙に男子に告白されたことを相談されたとき、ざあっと冷水を浴びせかけられたように体に悪寒が走った。自分の考えたことが恐ろしくて、体が震えた。何を、私は、間違ったことを思ってしまったのだろう……? 佳乃は自分の心を責めた。責めて責めて、そしてこの心は誰にも言わないと心に課した。こんなことを思っている人間が自分の親友だと知ったら、理沙が……、誰よりも傍に居たい彼女が、佳乃から離れて行ってしまうと、そう思った。

(言わない……。この想いは、闇に沈むの……。私が朽ち果てるその時まで、一緒に居て、そして何処にも出さない……)

言葉にしなくても、その枷は容易く佳乃を縛った。なにより、理沙の微笑みを曇らせたくなかったから。

理沙は明るい笑顔を、隣の男子に向ける。そのことが、辛く、苦しかった。自分は決して選ばれない。理沙に告白する男子たちとは、決定的に、違うから。
毎日が絶望の淵だった。いっそこのまま闇の底までたどり着けたらどんなにいいかと思った。それでも、理沙が振り向いたときに、彼女の笑顔を受け止める存在でありたい。その想いが、佳乃をその場に留めていた。

大輪の花に引き寄せられる蝶は沢山居た。理沙はその度ごとに佳乃にどうしたらいいかと問うた。佳乃が私情を交えることなく、良いんじゃない、と応えると、理沙は安心したように微笑んだ。佳乃の心の中に、自分は理沙が何もかもを頼ってくれる存在である、という、ただそれだけのプライドが生まれた。ただそれも、理沙の前に、佳乃が到底追いつかないような輝かしく新しい道が示されたことであっけなく砕けて散った。それならば、自分は。

「将来医者になるって決めたから」

決定的に、違う道を歩む。そして、理沙を想って、命をこの世に生み出していく。佳乃にとって、それが、理沙を想い続けるための、最後の免罪符のような気がした……。