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「お疲れ、紬ちゃん」
4月17日。今日の授業が終わり、部活のある生徒は部活動へ、何もない生徒は帰ってゆく時間。職員室に戻ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
「お疲れ様です」
この職員室で私のことを「紬ちゃん」と名前で呼ぶのはただ一人、天海瑠璃子(あまみるりこ)先生しかいない。彼女は私の母親ほどの年齢のベテラン教師で、中学時代の恩師でもある。中学三年生の時、私は瑠璃子先生が担任をしていたクラスの生徒だった。教師になったのは、この瑠璃子先生に憧れたからと言っても過言ではないくらい、生徒想いの優しい先生だ。何の因果か、こうして今は同じ学校で教師をすることになっている。
「どう? 三年生の担任は」
「意外と普通だなって思ってます。三年になってもやる気のない生徒もいますしね」
「ふふ。そうでしょうね。紬ちゃんの時もそうだったわよ。まあ、あなたは真面目だったからあまり分からなかったかもしれないけれど」
瑠璃子先生が目を細めて昔のことを思い出していた。先生の言う通り、自分が中学生だった頃なんて、自分のことばかり考えて、周りなんか見えてなかった。将来の期待と不安でいっぱいで、今を過ごすのに精一杯。きっと今年の三年二組の生徒たちだって、あの頃の私と同じだろう。
「つくづく思うんですけれど、私、昔憧れてた先生みたいな人に、いつになったらなれるんだろうって、ちょっと不安になります」
自分でも不思議に思うのだが、瑠璃子先生の前では自然と弱音が出てしまう。
瑠璃子先生は、ふっと優しげに微笑み、私の肩に手を置いて言った。
「『檸檬』教えてた時のこと覚えてる?」
「『檸檬』……もちろんです」
先生が梶井基次郎の『檸檬』のことを言っているのだということはすぐに分かった。私は先生から聞いた『檸檬』の授業が大好きで、毎回その時間になるとどんなに眠くても頭が冴えて、先生の教えてくれる『檸檬』を心に刻んでいった。
「あの時、紬ちゃんの目がすごく活き活きしてて楽しそうだった。だから私も、担任をしていた紬ちゃんのクラスで授業をするのが楽しかったわ」
瑠璃子先生はいつも、私にひだまりみたいな温かな言葉をくれる。先生と話していれば、悩んでいたことがいつの間にかどこかへ行ってしまうのだ。中学の頃から、そんな先生が好きで、憧れだ。