「まったく、蛭沼様も身の程知らずだよなぁ。相手があんなに綺麗な遊女じゃあ、花嫁になんてなってもらえるはずがないよ」

「忽那様、一度、お休みになられた方が──」


完全に上の空になっていた吉乃の代わりに、白雪が忽那に声をかけた。

けれど、白雪の援護は一足遅かった。

忽那の声は、上司の蛭沼の耳に届いてしまっていた。


「おい、お前。今、なんと言った」


痩身(そうしん)の蛭沼からは想像もできないドスの利いた声が放たれ、部屋の空気が凍り付く。

そこでようやくハッと我に返った吉乃は、自分がとんでもない失態を犯したことに気がついた。

(いけない、忽那様のお相手を任されていたのは私だったのに……!)

忽那の酒の進み方が速いことも、酒に弱そうなこともわかっていた。

加えて、蛭沼の耳に届いてはマズイ失言が増えてきていたことに、吉乃も気がついていた。

だから今、吉乃が遊女としてやるべきことは、『少し酔いを醒ましましょう』とでも声をかけ、忽那を別室に連れ出すことだったのだ。

今日の主役はあくまで蛭沼。

ここで蛭沼が気分を害するのは駄目だ。なにより酒に酔った忽那と蛭沼の関係にヒビが入るような事態になれば、帝都吉原一の大見世・紅天楼の名折れだ。


「も、申し訳ありません。あの、私――」

「蛭沼様、私が至らぬせいで、大変申し訳ありません。お部屋を変えましょう。白雪、そちらのおふたりはあなたにお任せするわ」


と、吉乃の言葉を遮り、すかさず間に入ったのは鈴音だった。

見れば蛭沼は口から蛇のように長い舌を出し、酒に酔った部下を威嚇している。

人ならざる者は興奮すると、その本性を現すことが多い。

だから鈴音はふたりを離して、まずは落ち着かせるべきと判断したのだ。

そしてあとのことは白雪に任せると言い切り、遠回しに吉乃を糾弾した。