「吉乃。お前ももう少し危機感を持て」
「は、はい。申し訳ありません」
「くれぐれも無茶だけはするなよ。安易に涙を流すのは絶対に止めろ」
咲耶は吉乃に改めて注意をすると、後ろ髪を引かれるように紅天楼をあとにした。
去っていく咲耶の背中に向かって、絹と木綿が「あっかんべー」と舌を出していたのは見なかったことにする。
「それで……咲耶様は、なんの御用でうちにいらしたんですか?」
尋ねたのは、それまでやり取りを静観していた白雪だった。
白雪の問いに下がっていた耳をピン!と立てた琥珀は、小さく咳払いをしてから仕切り直した。
「それについて、ちょうどおふたりにお話があったのです」
「私たちに話が?」
「ええ。急ではあるのですが、実は本日、帝都政府の官僚様方のために、うちの見世で酒席を設けることになりまして。主催者の蛭沼様が鈴音花魁の上客のひとりということもあり、特別に座敷をご用意することになったのですが、その座敷におふたりを上げようかという話になったのです」
琥珀の話を聞いた吉乃と白雪は、思わず顔を見合わせた。
「特に吉乃さんは突き出しまで残り二カ月半しかありませんし、少しでも経験を積ませた方がいいだろうと、浮雲さんとも意見が一致しました」
つまり楼主の琥珀と、遊女の総監督である遣手のクモ婆の決定ということだ。
ちなみに突き出しとは、遊女が本格的に客をとり始める日のことを指す。