「吉乃さん。こちらは紅天楼で遣手――つまり遊女たちの監督的役割を務めている、女郎蜘蛛の妖・浮雲さんです」
「遣手? 女郎蜘蛛って……」
吉乃が蜘蛛という言葉にドキリとしたのは、自分を襲った大蜘蛛を思い出してしまったからだ。
「ああ、そうか。あんたは案内所の大蜘蛛に襲われかけたんだってね。帝都吉原に来て早々、災難だったねぇ」
「は、はぁ……」
「ここでは私のことは、クモ婆と呼びな」
「クモ婆?」
「ああ、遊女たちはみんなそう呼んでいるからね。しかし……ふぅむ。惚れ涙なんて、遊女としては最高の武器じゃないか。あんた、色々とツイてるねぇ」
再びニヤリと笑ったクモ婆の前歯は、一本が金色に光っていた。
(同じ蜘蛛でも、クモ婆は大蜘蛛と違って悪い人ではないのかも?)
「それで、あんたの名前は?」
「あ……はい。吉乃と申します。今日からよろしくお願いします」
疑心暗鬼になりながらも、吉乃はもう何度目かもわからない自己紹介をすると、慌てて深く頭を下げた。
すると、そんな吉乃をジロジロと見たクモ婆は、
「吉乃ねぇ。なかなか面白そうな子じゃないか。あんたの惚れ涙ってやつの効果、是非一度見てみたいもんだ」
そう言うと、目を糸のように細めてほくそ笑んだ。
「別に、減るものでもないだろう。なぁ、琥珀。大事な商売道具がどれだけ使えるものか、あんたも気になっているはずだよ」
クモ婆に声をかけられた琥珀は、一瞬、顔に戸惑いを浮かべて口ごもった。