とても、美しい人。

半面、どこか陰のある男の様子に、女は一抹の不安を覚えてしまう。


「約束だ。お前だけは、なにがあっても護り抜くと誓う」


桜吹雪が舞う幻想的な景色の中で、ふたりは互いを求めて手を伸ばす。

はらり、はらりと散る花びらだけが、運命の行く末を見守っていた――。





 


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  序幕

 
 
 

(いにしえ)より日本は、ふたつの世界で成り立ってきた。

人々が暮らす表舞台、〝現世(うつしよ)〟と、人ならざる者──(あやかし)や神、そして一部の選ばれし人のみが住まう、〝帝都(ていと)〟だ。

ふたつの世界は決して交わることはないと思われた。

人は人ならざる者の怪異的な力に怯え、人ならざる者もまた、人の未知なる知恵を恐れたからだ。

しかしあるとき、人ならざる者の中でも特に強大な力を持つ者が現れた。

それは、人ならざる者でありながら、人の女を花嫁として迎えた妖だった。


「人ならざる者の雄は、清らかな魂を持った人の女を(めと)ることで、より強い力を得ることができる」


ふたりの間に生まれた子も賢く雄弁(ゆうべん)で、帝都にて数多の輝かしい功績を残したという。

以降、人ならざる者の男たちの多くは、人の中から生涯の花嫁を探すことに躍起になった。

けれどそのうち、手当たり次第に人の女を攫う、人ならざる者が現れはじめる。

事態を重く見た現世と帝都の両政府は、〝とある場所〟以外での花嫁探しを禁ずる掟を定めた。

すべては安寧秩序(あんねいちつじょ)を守るため。

こうして、人ならざる者が、花嫁となる女を探すために訪れる場所として、苦界(くがい)と呼ばれる花街・遊郭、〝帝都吉原〟は創られた──。



 


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  出逢い

 
 



ときは大正――。ここは、浪漫(ろまん)華やぐ現世の闇が巣食う場所。


「さぁ、次の女、前へ出ろ」


抵抗できないように両手を後ろで縛られた女のひとりが前に出る。

彼女の身体検査が終わればいよいよ自分の番だと、吉乃(よしの)は無意識のうちに身構えた。

ここは、帝都吉原。

今、吉乃がいるのは現世から売られてきた女たちの運命を決める、案内所だ。

一般的な劇場ほどの広さの室内には約二十名の女が集められており、彼女たちは共通して、遊女になる宿命を背負っていた。


「こいつらの中に、帝都で名を馳せるお方の花嫁に選ばれる女がいるかもしれないっていうんだから、おかしな話だぜ」


女たちを見張っている人ならざる者のひとりが、(あざけ)りながら周囲を見回す。

 
 

「とはいえ、選ばれる女は、ほんのひと握りだろう?」

「当然さ。俺たち、人ならざる者には選ぶ権利があるからな。花嫁にするのは人の女なら、誰でもいいってわけじゃない」


帝都吉原は現世政府と帝都政府の公認で創られた、人ならざる者が人の女と触れ合える唯一の場所だ。

未だに理屈は解明されていないが、人ならざる者の男は人の女を生涯の伴侶として迎えることで、強大な力を得られると言われている。

そのため、帝都に住む人ならざる者たちの多くは、花嫁を見つけるために帝都吉原に通い詰めた。

ただし、花嫁にするのは誰でもいいというわけではないらしい。

魂が清らかで、なおかつ波長の合う相手こそが〝最愛の花嫁〟として見初(みそ)められ、大金を積まれて買われていった。

反対に魂が(けが)れていたり、誰とも波長が合わない女は人ならざる者に魂を喰われ続け、次第に心が弱って、いずれ身が朽ち果てるというわけだ。

魂の善し悪しや相性は、人ならざる者にしか判別ができない。

だから帝都吉原の遊女たちの多くは言葉の通り、花嫁探しという名目で、彼らの喰いものにされていた。

 
 

「遊女になったが最後。一度、帝都吉原の大門をくぐった女は年季(ねんき)が明けるか、花嫁に選ばれて身請けされなきゃ、外には出られねぇからなぁ」

実際、悲惨な現実に耐え兼ね、逃げ出そうとする遊女は後を絶たないという。

しかし仮に逃亡を図ったとしてもすぐに捕まるか、運良く大門の外に出られた場合も神威(かむい)と呼ばれる帝都政府お墨付きの精鋭軍に、捕縛されて終わりだ。


「俺ら、人ならざる者を恐れる女たちにとっちゃあ、ここは地獄──苦界で間違いねぇだろう」

「でも、中には率先して帝都吉原に来る物好きもいると聞いたぜ?」

「そういう女たちは、帝都の高貴なお方に見初められるために、あの手この手を使って成り上がろうとするんだから恐ろしいもんだ。ほら、例の──〝鈴音花魁(すずねおいらん)〟あたりは、良い例じゃないか?」


見張り役たちの会話を聞きながら、吉乃はそっとまつ毛を伏せた。

(花嫁とか身請けとか、成り上がりとか……私にはまるで関係のない話だなぁ)

自身の足元を見つめる吉乃の目に、光はない。

思い出されるのは現世での不遇な日々だ。

 
 
幼い頃に両親に先立たれた吉乃は養父母の元で育てられたが、五歳から十七歳になるまでの十二年間、それは酷い扱いを受けてきた。


『ああ、嫌だ。その恐ろしい目でこっちを見ないでちょうだい!』

『本当に気味が悪い。瞳の色が薄紅色だなんて、帝都に住む化け物みたいだ!』


吉乃は生まれたときから瞳の色が薄紅色だったせいで、周囲からは疎まれ、ずっと敬遠されてきたのだ。

養父母が吉乃を十七歳まで育てたのも、〝適齢期〟と言われる、人の女が一番高く売れる年齢で帝都吉原に送るためだった。

(でも、人ならざる者も、人らしい(ひと)を好むと言うし……。私は、遊女に不向きな気がするけれど)

とはいえ、ここに来てしまった以上、もう後戻りはできない。

先ほど見張り役が話していた通り、一度帝都吉原に足を踏み入れた女は、簡単に外に出ることはできないのだ。

 
 

「さぁて、あの女は、どこの見世(みせ)の所属になるかね」


見張り役のひとりが、面白そうに目を細める。

彼らの視線の先には身体検査を受ける、人の女がいた。

人の女たちは帝都吉原に売られてきたら、まずは案内所で特殊な身体検査を受け、人ならざる者から奉公先の見世を言い渡される決まりになっている。

健康的で知的かつ、優れた容姿をした女は帝都吉原でも格式高い大見世(おおみせ)へ。

その下は中見世(なかみせ)小見世(こみせ)とあり、最下級の遊女屋・切見世(きりみせ)に送られる場合もあると、吉乃は自分を売った養父母から教えられていた。


「ふむふむぅ〜。お前さんは、小見世の〝豆がら屋〟の所属に決まりですなぁ」


吉乃の前に立っていた女が所属の見世を言い渡された。

ハッとして顔を上げた吉乃は、肩を落として戻ってくる女を、ついまじまじと見つめてしまった。

(え……この子が、小見世なの?)

吉乃が見た女の顔は、この場にいる誰よりも整っているように思えた。

いわゆる器量良しなのに小見世行きとは、一体どういうことだろう。