「や、やっぱり私には選べません」
「なんでだよ?」
「だって……だって、私は──」
言いかけて、言葉を止めた。
脳裏を過ったのは、咲耶の優しい笑顔だった。
(咲耶、さん……)
吉乃は思わず、胸元に手をあてて咲耶を想う。
今日も着物の下にはとんぼ玉を入れた巾着袋を首から下げて忍ばせてあった。
この二週間、吉乃は水揚げのことを考える度に咲耶のことを思い出していた。
自分を抱きしめる温かい腕。
何度も自分を助けてくれた咲耶のことを……。
いけないと思っていても、咲耶を想って胸を熱くせずにはいられなかった。
(ああ、やっぱり私は咲耶さんのことが──)
吉乃は、どうしようもなく咲耶に惹かれている。
(でも、そう思うことは許されない)
吉乃は遊女になるのだ。
この期に及んでも、咲耶のことを考えてしまう自分が嫌になった。
禅に対しても失礼極まりないことだ。
今は禅のことだけを考え、禅に身を委ねるべきなのに、吉乃の心の中には咲耶への想いが溢れていた。
「吉乃。いい加減、観念してこっちを向けよ」
けれど、そう言った禅が堪りかねたように吉乃に顔を近づけたら、
「ふ……へえええぇぇぇぇ〜」
突然、気の抜けたような声を出して、禅はバタリと畳の上に倒れ込んでしまった。
「ぜ、禅さん!?」
驚いた吉乃は慌てて禅の身体を揺り動かした。
すると、どういうわけか、禅はグーグーと鼾をかいて気持ちよさそうに寝入っていた。
「人のものに手を出そうとするからだ」
「え──」
次の瞬間、艶やかな声と同時に、部屋の中に桜の花びらが舞う。
驚いた吉乃が振り向くと、窓際に座ってこちらを見る咲耶と目が合った。
「さ、咲耶さん!? どうしてここに──」
思わず声を上げた吉乃は狐につままれたような顔をする。
対する咲耶はゆっくりと吉乃に向かって歩いてくると、そうすることが当然のように吉乃の身体を抱き上げた。
「俺以外の男に、吉乃の水揚げなどさせてなるものか。こいつが吉乃の唇に触れることを考えたら気が触れそうだ」
「え……」
「吉乃は俺のものだと、吉乃が生まれる前から決まっていた。吉乃の身体も心も魂も、桜色の唇も――すべて、俺だけのものだ」
そうして咲耶は吉乃を抱きかかえたまま紅天楼から姿を消すと、鳥居の中の桜の木の下まで飛んできた。