「クモ婆!」


自身の顔を心配そうに覗き込む吉乃を見たクモ婆は、突然キラキラと瞳を輝かせた。


「よ、吉乃? ああ、吉乃……。吉乃……っ」

「わ……わわっ!?」


と、クモ婆は、勢いよく起き上がったかと思えば、間髪入れずに吉乃の身体に抱きついた。

さっきまで虫の息だったのが嘘のようだ。吉乃は戸惑いながらも、恐る恐るクモ婆の顔を覗き込んだ。


「ク、クモ婆?」

「……離れろ」


だが、クモ婆が顔を上げるより先に、咲耶が苛立った様子でふたりを引き剥がした。

そうすればクモ婆は残念そうに眉を下げて、ちょこんと吉乃の前に畏まった。


「今、とても苦しかったのに、温かいなにかが口の中に入ってきたと思ったら、突然身体が楽になってね」

「……それも、惚れ涙の効果のひとつだ」

「そうなんですか?」

「ああ。〝涙は心を洗う〟。つまり惚れ涙が女郎蜘蛛の〝心身の傷〟を洗って癒したというわけだ」


まさかの効能だ。

でも咲耶はどうして惚れ涙の効能にまで詳しいのだろうかと、吉乃は思わず首を捻った。


「蛭沼のときは奴の心が醜すぎたせいで、逆に悪人としての本性を涙が暴いたようだったが……」


つまりクモ婆は、蛭沼のように根っからの悪人ではなかったということだろう。

(一か八かの賭けみたいな方法だったけど、悪い方向に動かなくて良かった……)


「今の話が本当なら、吉乃が私を助けてくれたんだね。でも私は、あんたにとんでもないことをしてしまったのに、どうして助けてくれたんだい?」


と、不意にクモ婆に尋ねられた吉乃は、今、咲耶に話したばかりの素直な想いをそのまま伝えた。

そうすれば、クモ婆は顔を歪ませながら肩を落して、


「本当にすまない、この通りだよ。もう二度と、あんたを危険な目には遭わせない。吉乃のおかげで目が覚めたんだ」


そう言うと、今度は深々と頭を下げた。

(本当に、惚れ涙の力ってすごい……)

クモ婆は先ほどまでの暴れようが嘘みたいに、吉乃に対して従順になってしまった。


「吉乃は私の命の恩人だよ。それだけじゃない、今の私はなぜか心がすっきりしているんだ」


――涙は心を洗う。

恨みに囚われたクモ婆の心が晴れたのも、惚れ涙の効果なのだろう。