「な、なんだと……!?」
「思ったほどの執念深さも強度もないな。残念だ。これではまた一瞬で片がついてしまう」
そう言った咲耶は腰に差していた刀を抜き、静かになにかを唱えはじめた。
すると銀と薄紅色だった咲耶の髪が黒く染まり、手にした刀が禍々しい空気をまとう。
「そ、それが鬼の邪気か!? なぜ、誉れ高き神である貴様が鬼の力を扱えるのだ!?」
「なんだ、長く生きているくせに知らないことばかりだな。俺は誉れ高き神だか、魂の半分は神堕ちし、鬼と化しているというだけの話だ」
魂の半分が神堕ちして鬼と化している──。
予想外の事実に吉乃が驚いているうちに、咲耶の刀がクモ婆を突き刺した。
「ギャアアアア!」
「恨みに心を食いつぶされたお前は、弱く醜い妖だ。地獄行きを覚悟しているのなら、望み通りこのまま本物の地獄へ送ってやろう」
言葉と同時に、クモ婆の身体が咲耶と同じ黒い靄に包まれた。
相変わらず咲耶の髪は闇を塗り付けたように黒いままで、瞳は血で染まったような紅色だった。
「ああああ、うう……」
クモ婆がうめき声を上げる。
(違う……これは私が望む結果じゃない!)
「お願い、待ってください!」
咄嗟に前に出た吉乃は、咲耶が刀を持つ手を掴むと、クモ婆にとどめを刺そうとした咲耶を止めた。
「吉乃……?」
「もう十分です! これ以上、クモ婆を苦しめないであげてください!」
吉乃の身体も咲耶がまとう黒い靄に包まれる。
それでも吉乃は咲耶から決して手を離さなかった。
クモ婆はもう虫の息だ。とどめを刺さずとも、しばらくは動けそうにない。
震える身体で必死に自分を止める吉乃を見た咲耶は、力が抜けたように構えていた刀を下ろした。
「今の俺に触れていたら、お前まで邪気にあてられてしまうぞ」
「それでも構いません! 私、言いましたよね!? もうなにもできないまま、後悔するのは嫌だって!」
大蜘蛛のときも、蛭沼のときも、がしゃ髑髏のときも。吉乃は怯えて縮こまり、咲耶に守られていることしかできなかった。
けれど、今は違う。
咲耶に対する想いもそうだが、たった今目の前で消されそうになっているのは、吉乃がまったく知らない相手ではない。
「確かにクモ婆は、許されないことをしました。でも、今の話を聞いたら……私はどうしても、クモ婆を責める気にはなれないのです!」
信じていた相手に裏切られ、深い恨みを抱いていたクモ婆。
だがクモ婆は吉乃を危険分子だと言いながらも、遊女として育てようともしていた。
もちろん、そのすべては吉乃の警戒心を解く下準備に過ぎなかったと言われればそれまでだ。
それでも今日まで吉乃に遊女としての知識や稽古をつけてくれたのは他でもないクモ婆で、彼女は根気良く吉乃に付き合い、優しい言葉をかけてくれた。