「惚れ薬の効果がある涙なんて、相当に珍しい異能だな。だが、本当に噂通りなら、その力を使えばどんな相手でも惚れさせられるってことだろう? たとえば、今注いだ酒に涙を混ぜて飲ませれば、俺はお前に惚れちまうってわけか」


ニイッと口角を上げて笑った禅は、見せつけるように盃に口をつける。


「遊女として向かうところ敵なしってやつだな。異能を使えば、吉乃が遊女の頂点に立つのも夢じゃねぇってことだ」


惚れ涙の力を使えば、吉乃はあっという間に花魁の地位にもつける。

確かに、その通りかもしれない。

けれど吉乃はまつ毛を伏せると、手に持っていた黒千代香を静かに置いた。


「私は……遊女として、異能を使うつもりはありません」

「ハァ?」

「そ、その……もしも異能を使ったら、ズルをしているのと同じではないですか?」


吉乃の答えに、禅は信じられないといった顔をする。

この場に鈴音がいたら、鈴音にも『相変わらずの甘ったれね』と鼻で笑われていたことだろう。


「私は、自分の涙を口にした蛭沼様が目の前で変貌するのを見ました。そのときに、自分の力は安易に使ってはいけないものだと思い知ったのです」


絹と木綿については今のところ大きな問題は起きてはいないが、改めて考えるとふたりの心を惑わせてしまったことは心の底から申し訳なく思う。

なにより吉乃は帝都吉原を知れば知るほど、惚れ涙の力で花魁の地位につこうなどとは思えなくなった。


「私は紅天楼に来て、たくさんの姉女郎たちや、見習いの方々が、毎日必死にお客様と向き合っているのを見てきました。だから、やはり私だけ異能の力に頼るわけにはいきません。私は私の力で、前に進まなければならないと思うのです」


そう考えると自分はやっぱり、甘ったれなのかもしれないと吉乃は思った。

けれどこれが今の自分が出した答えなのだ。

異能の力に頼ってはいけない。頼りたくないと、強く思う。