「それじゃあ、そういうことだから。これからも稽古に励みなよ」
そうしてふたりは吉乃に背を向け、来た道を戻ろうとした。
「あ、待ってください。実は私も、琥珀さんにお話し……というか、お願いしたいことがあったんです」
と、思いついたように口を開いた白雪が、ふたりを引き留めた。
突然の伺いに足を止めた琥珀とクモ婆は、再び踵を返して白雪を見る。
「お願いですか?」
「はい。実は、今日このあと、吉乃ちゃんと花街に出掛けたいと思って」
「吉乃さんと花街に、ですか?」
「吉乃ちゃん、ここに来てから一度も見世の外に出ていないじゃないですか。毎日お稽古や勉強を頑張っているのに、ずっと見世の中に篭りきりじゃあ心労が溜まるばかりです」
それは白雪なりの、吉乃への気遣いと励ましだった。
遊女たちはお勤め時間以外であれば、帝都吉原の敷地内、通称・花街へ出掛けることを許可されている。
花街では目抜き通りである仲之町通りを中心に、食事処や甘味処にカフェー、洋服店や宝石店、八百屋や魚屋、酒屋に本屋に雑貨店など多種多様な店が軒を連ねていた。
「それに今日は、出店も出ている日ですし」
固定店舗には帝都のものだけでなく、現世の商品が入荷されることも多い。
さらに出店の営業日には、現世の人気商品を安く購入することもでき、喜ばれた。
遊女たちは休憩時間を使って花街に繰り出すと、そこで買い物を楽しんだり、甘味を食べたりして日頃の疲れを癒やしているのだ。
しかし吉乃に限っては、大蜘蛛や蛭沼の件もあり、未だに花街へ出ることは許可されていなかった。
「花街を知ることも、帝都吉原を知ることに繋がるかなと思うんです」
「しかし、吉乃さんは……」
言いよどんだ琥珀は、チラリと吉乃の顔色をうかがう。
琥珀の言いたいことはわかっている。
吉乃は蛭沼の一件で惚れ涙の力が大々的に帝都吉原に住む者たちに知られるところとなり、心無い噂を囁かれるようになっていた。