「吉乃は俺の花嫁だ。貴様が触れられることは二度とないと思え」

「ぐ、うぬぬ……っ。己ぇ! 立場が下の分際で、この俺に刃を向けるとは何事だ!」


蛭沼は最後の力を振り絞ったように吠えた。

しかし咲耶は少しも動じる気配はなく、床に這いつくばる蛭沼に、蔑みの目を向けていた。


「こうなっては貴様も終わりだ。俺から冥途(めいど)の土産にひとつ、いいことを教えてやろう」

「いいこと、だと?」

「なにも騙し騙されの世界は帝都吉原だけではないということだ。貴様が官僚という立場を使い、随分と悪行を働いていたことは――今回の任を依頼してきた〝政府の上の者〟から聞かされていた」


咲耶の言葉に、蛭沼だけでなく吉乃も驚いて目を見張った。

(もしかして……。咲耶さんは本当は、蛭沼様の護衛ではなく別の人からの命令でここに来ていたの?)


「ま、まさか……お前たちは、共謀していたのか!?」

「貴様が紅天楼の花魁・鈴音に入れあげていることは広く知られた話だったからな。今宵の酒席の話を聞かされたあと、俺から見世に協力を要請したというわけだ」

「複数人の酒席が不自然な形にならないように、鈴音さん以外の遊女をつけることを決めたのはこちらの判断でしたが」


咲耶の話に琥珀が補足する。


「神威の将官である俺の本当の任務は、貴様の取り調べを正当に行うために、ここで問題を起こした貴様を連行することだったのだ」

「紅天楼には蛭沼様以外にも官僚のお客様がたくさんいらっしゃいますし、見世の楼主として皆様に恩を売っておいて損はありませんから」


ニッコリと笑った琥珀も咲耶の協力者だった。

琥珀は蛭沼を見限り、この先の太客となりうる者たちを手玉に取ることを選んだ。

惚れ涙を躊躇なく渡したのも、蛭沼に問題を起こさせるための一手だったのだ。

種明かしをされてしまえば、如何にも帝都吉原一の大見世・紅天楼の楼主らしい世故(せこ)に長ける選択である。