「おお、その瓶の中に入っているのが惚れ涙か」
「はい」
「いいだろう。では、この盃にその涙を落とせ。鈴音は俺が酒と一緒に飲み干すのを、隣に座って見ていろよ」
「こ、琥珀さん、どうしてそんなことを……!?」
琥珀がなぜ簡単に蛭沼に惚れ涙を渡すのか理解ができない吉乃は、咄嗟に琥珀を止めようとした。
「大丈夫ですから、吉乃さんはそこで見ていてください」
けれど吉乃の静止を、琥珀は意にも介さぬ様子で振り払う。
そうして琥珀は蛭沼に命じられるがまま、蛭沼が手にした盃に小瓶の中の涙を落とした。
「ハハハッ、鈴音、俺の愛の深さを知れ!」
その盃を、蛭沼が豪快に呷る。
すると次の瞬間、蛭沼の身体が薄紅色の光に包まれて、長く伸びた舌が力なくダランと下がった。
「蛭沼様?」
声をかけたのは鈴音だ。
直後、異様な雰囲気をまとった蛭沼の手から、盃が落下する。
カラン、と乾いた音を立てた盃を横目に、鈴音が蛭沼に手を伸ばそうとしたら、
「あ……っ!」
「この醜女が! 高貴な身分であるこの俺に、気安く触れるな! 虫唾が走る!」
その手を蛭沼が勢い良く払いのけた。
「ひ、蛭沼様……?」
「なぜ、俺の隣にお前のような女が座っているのだ! この、身の程知らずが!」
それまで鈴音の気を引くのに必死だったのが嘘のようだ。
豹変した蛭沼は蔑むような目を鈴音に向けたかと思うと、不意にその目を吉乃へと移した。
「ああ、ああ……そうだ! 俺が真に欲していたのは、お前だったのだ!」
「え……」
「名を、吉乃と言ったか。ああ、愛しい吉乃。お前は俺の花嫁になるのだ。吉乃だけは、他の誰にも譲らんぞ」
吉乃を見る蛭沼の目は情愛に濡れている。
まるで、先ほどまで鈴音に向けられていた目――いや、それ以上に強い執着が表れていて、また吉乃の肌が粟立った。
(惚れ涙の力のせいだ……!)
完全に吉乃しか目に映っていない様子の蛭沼は、自分の前に座す吉乃を見て恍惚とした表情を浮かべていた。