執筆開始から丸三日目。原稿を最後まで書き上げて、正人は疲労困憊で畳の上で横になった。今なら睡魔が来ても怖くない。勝てる……、勝てるぞ……! と密かに闘志を燃やして、正人は目を閉じた。
果たして、闘技場には女が居た。何時も通り正人を真正面に見て剣を構える女に、一歩進み出る。今日は勝てそうな気がする……! 正人はダダっと女の方に走り寄って、刀を斜めに振り下ろした。
ガキン!
女が驚いたような顔で正人の刀を受ける。そのまま一歩後退りし、ぐぐっと手に力を籠めて正人の剣を受け止めている。……なんだかいつもと違う。正人に力がみなぎっているような気がする。
これはいけるぞ! と正人の気分は高揚した。ぐっぐっ、と女と力比べをし、じりじりと女を闘技場の端に追いやる。そして力任せに合わせた刀を弾き飛ばすと、女が持っていた刀は空でくるくると回転しながら放り出され、闘技場の向こうの方に落ちて行った。女の刀が無くなったことで、正人の剣先が女の胸にずぶりと食い込む。めりっと肉を割く感覚が刀を通じて正人の手に届き、嫌な汗をかいた。
女は力なく倒れ込み、頼りなく呟いた。
「……負けた、わ……。……でも、次は負けない……。私は……、お前の、締め切り、だか、ら……」
最後は囁くように言って、女はこと切れた。川野にそっくりな女の最期を見て、ぞくりとする。
(いや、これは夢なんだ……。僕は締め切りに勝った……。これで締め切りが守れるぞ……)
正人は女の亡骸を前に、複雑な気持ちを抱いた。現実の川野を傷付けたわけじゃない。でも生気のない女の顔は、まさしく川野の顔で……。
(でも、こうしなければ締め切りを守れなかったんだ。川野さんに、迷惑を掛けなくて済む……)
正人は少しだけ安心して剣を置いた。
夢から覚めて、川野にメールで原稿を送付する。普段だったら川野は直ぐに返事をくれるのだが、今日は半日経っても返事が来なかった。流石に仕事の早い川野にしてはおかしいと思って、川野の終業間際に電話を入れてみると、電話に出たのは話したことのない男の人だった。
『申し訳ありません。本日川野はお休みをいただいております。急ぎの御用でしたらわたくし安藤が対応させて頂きますが』
川野が病気。風邪だろうか。まあ、人間だから24時間365日健康で居られることは珍しいだろう。正人はそう思って安藤に原稿を贈った旨を言付けした。正人は原稿をちゃんと受け取ってもらえた安ど感に包まれたが、ばたっと畳の上に横になると、ふと、夢で死んだ女のことを考えた。
(あの人、死んじゃったから、もう夢には出てこないのかな……)
流石に今朝の目覚めは悪かった。女がやさしい川野の顔をしているだけに、飛び起きた時に心臓がばくばくと走っていた。手にはじっとり汗を掻いていたし、夢の中の刃から伝わった肉を切る感触が蘇るようだった。あの女を殺したという事実が、川野の労いの言葉よりも大きく伸し掛かる。正人は沈鬱な思いのまま、締め切り明けの仮眠に身をゆだねた。