その特別番組の、さらに特別版。紫陽花の見える観光地で、憂鬱になりやすい梅雨こそ旅行へというコンセプトのもと、その撮影では私と、遥、そしてドラマの宣伝のためキャスティングされた後輩のアイドルの七星まつりと三人で出演することになり、私は進行役を担った。

 撮影自体は、なんの滞りもなく出来ていたと思う。

 でも、問題はそのあとだった。

 アイドル三人の中で、クイズを行い最下位だったらお土産や名物が食べられないという企画があり、番宣で来た後輩がたくさん映るため彼女の敗北はあらかじめ決まっていた。だからこそ休憩時、彼女だけお昼を食べることになった。

 撮影準備の待機もかねて私とも同行することになり、近くの和食屋さんに入ることになった。

 メニューを眺める七星まつりを見ながら、飲み物を選ぶ。年は二つしか変わらないといえど、七星まつりが私や遥に気を遣っているのは明白だった。

 私が飲み物を決めてしまったら、後輩を急かしてしまう。様子をうかがっていれば、遥はすぐフルーツジュースにするとメニューを置いて、七星まつりが慌てて蕎麦にしますと続いた。

 遥とはその日初めて関わったとはいえ、事務所も同じだしある程度の人となりは知っていた。

 朝レッスン室にいると、大体どちらかが事務員さんから鍵をもらって部屋を開けていたし、先生に無理を言ってボイストレーニングを追加してもらうと、あっちもいた。

 彼女のマネージャーはやる気のある人で、よく彼女のことを売り込んでいた。

 私が注文をお願いして、この空気がカメラの向こうに伝わってしまわないよう考え、後輩である七星まつりのパフォーマンスが下がらないよう、なるべく口数を増やすことに努めた。七星まつりは、笑っていたと思う。遥も、距離はあれど後輩に酷い態度をとることはなくて、安心していれば料理が運ばれてきた。

「うち、撮影禁止だから。それと、食事するときはスマホしまいな」

 店主のおじさんは料理をテーブルにのせると、厳しい顔つきで去っていった。もし現場から連絡が来てもいいよう、スマホは三人ともテーブルに出していて、ひとまずしまおうとすると遥が店主のおじさんのいなくなった方向をじっと見ていることに気付いた。

「あのおじさん、感じ悪くない? なんであんな最初からキレてんの?」

 遥は店主のおじさんの姿を探すように視線を動かした後、スマホをタップし始めた。

「嫌なそば屋って書こ」

「ど、どこに」

「ツイ」

 簡単な宣言に、心の奥がひやりと冷たくなった。遥のフォロワーは、96万人いた。そんな人が一斉に特定のお店のことを発信してしまったら、間違いなくお店に影響があるだろう。当時はそう思った。

「だって私たちは、こう……芸能界にいるわけだし、影響とかあるじゃん。こうやってお店のこと悪く書いて、お客さん来なくなったら、お店の人困るし」

「でも、うちらだってディスられることだっていっぱいあるし。お店やってんだからさ、仕方なくない? それに嘘書くのも違うじゃん」

 遥の目は、どこまでも真っすぐだった。嘘を書く。そんなつもりで言ってない。なにを言えば彼女を説得できるのか。言葉を選んでいるうちに、遥は出されたフルーツジュースを飲んで、机にがつんと置いた。

「っていうか、ちょっと入所先だからっていちいち言ってくるのウザいよ。二週間くらいしか変わらないじゃん。先輩面?」

 遥はお金を置いてお店を出た。七星まつりはおろおろしたまま私を見ていて、その場はそこで終わった。

 結論から言えば、遥はお店について書くことはしなかった。ただ、私への態度は決定的に変わった。仕事ではこれまで通りだったけど、レッスン室で一緒になると、露骨に避けられるようになった。

 でも止めなければあのお店に影響が出ていた。せっかく頑張ってお店を開いて、営業しているのを台無しにする拡散力──凶器を私たちは持っている。

 止めたことに後悔はしていない。ただ、もっと言い方があったと、今は思う。

 前はフォロワー数の多いことの影響力について思い悩んでいた。

 SNSのフォロワーの数が増えるたびに、何を呟いていいかわからなくなった。じわじわハードルが上がっていって、この表現は誰かを傷つけないか、こういう風に受け取られたらどうしようと悩んで、更新も減った。失敗するのが怖かった。間違えたくなかった。

 けれど、そもそもフォロワー数なんて関係ない。私はただ一人に言葉を伝える場で、失敗した。

 間違えたのだ。


●●●


「そんなことが……」

 雨宿りの出来る公園の東屋で、旅行ロケについて話をすると、縁川天晴は俯いた。

「旅行ロケで、私と遥に微妙な距離があったのは、そういう経緯があってのことなんだ。隣り合わないのは、もともと七星まつりを真ん中にする構図を求められてたのもあるけど……遥と話さないようにとか、そういうオーダーはされてない。あの切り抜きは私に原因がある」

 知ってほしいと思った。

 彼は私がリークしてないと心から信じているけれど、私は失敗をしているのだ。

 完璧な正解をすることができなかった。

 彼は私を肯定し続けていたけど、わたしにはその肯定を受ける資格がない。

「でも、あかりちゃんは悪くないですよ。実際そんな風に書かれたらお店なんてたまったもんじゃないですし……でも、それが原因……なんですかね」

「わからない。遥はもう一切関係なくて、本当に偶然、連続で炎上してるだけかもしれない」

「たしかに、あいつら、探偵ゲームしてるだけですもん。外れてもデメリットはないですからね。探偵とか警察なら、必ずデメリットが発生するのに、なにもない。ただ記事の感想書いてるだけだって建前もあるし」

 ぎりぎりと歯を食いしばりながら呪詛を吐く縁川天晴に、首を横に振る。そんな風にとらえてほしくない。私が悪いから、妄信をやめてほしい。

「……だから、私にも原因があるよ。あの動画は」

 もう少し、言い方があったはずだ。

 そんなことを書いたら、遥が危ないよとか。今後の仕事に響くかもしれないとか。もっと具体的に遥自身を思った言葉をかけるべきだった。あのとき私は、お店についてしか考えていなかった。

「ないですよ。あかりちゃんはストイックすぎて自分に原因がないか探るのが癖なだけです。僕は貴女のブログ2000記事を網羅し呟きはバックアップ保存、インタビューをすべて読み込み有料動画は約半分、無料動画はすべて20周はしています。絶対そうです」

 どん、と縁川天晴は自分の胸を叩く。叩きすぎたのか「いてて」と胸を押さえた。

「大丈夫?」

「大丈夫ですよ。それよりほら! 雨がやみましたよ!」

 明るい声色に、空を見上げる。確かに忌々しい雨は止んでいて、遠くの空は明るくなっている。

「そういえば、あかりちゃん夜中、ごそごそしてませんでしたか……?」

 雨上がりを感じさせる空とは対照的に、じろりと湿った視線を向けられ、私は「何も」と淡々と返した。

「本当に? お墓で見張りとか行ってませんか?」

「行ってないよ」

 本当は、行っている。

 でも通路が荒らされたあの日以降、なにか起きた様子は見られない。

 衝動的に嫌がらせをしてきたということなのか、烏か何かがお墓のお供えを食べ、放り落とした可能性も考えられる。

 でも、お饅頭もお花も手でわざわざ押し潰したような、すり潰したような跡があった。人影があったというお弟子さんの言葉からも、熊や猪、烏の可能性は低いと思う。

 となると、生きた人間か、そうじゃない人間だ。

 遠岸楽は塩に触れたとき、「バケモノがいるから何とかしなきゃ」という気持ちだったらしい。私が机を動かしたとき、縁川天晴を助けたいと思った。

 そして思い返せば、あの白いワンピースの女性も、出会った当初、私を助けてくれた。そして女性は大学生らしき男の人たちに向かって物を投げていた。

 もし「助ける」という意思によって、幽体が物へと干渉できるなら。

 考えていると、縁川天晴の足取りが止まっていることに気付いた。振り返れば彼は険しい顔つきで前を見据えている。視線を追うと、道の先に遠岸楽が立っていた。

「助けろ」

 遠岸楽はそう言って、鋭くこちらを睨み付けた。

「不審者が、毎日来てんだよ」

「え……でも、 も、 私が見張ってるときはみませんでしたけど……一体どこに」

 私が思わず口にすると、後ろで縁川天晴が「やっぱり見張ってたんじゃないですか! 嘘つき!」と大声を出した。

 「ひどいひどい」とわめく縁川天晴を一瞥してから、遠岸楽は私の前に立つ。

「不審者、とにかく薄気味悪い動きすんだよ。裏門から入ろうとしたり、周りうろついて帰ったり。この二日は墓地には入ってねえけど寺の周りの木の陰とかにいて、坊主たちも警備してるから坊主の気配悟るとどっか消えるんだよ」

 声色には、もどかしさややるせなさが含まれていた。

「街灯もろくにねえせえで、顔が拝めねえ。この手は懐中電灯も掴めねえ。助けろ」

 そして遠岸楽は意を決した様子で、言葉を振り絞る。

「お前らの力が、いる」


●●●


「蝉うるせえな。夜だろ? なんでこんな煩いんだよ」

 遠岸楽と協力して不審者の正体を掴むことになった日の夜。

 遠岸楽、縁川天晴、私の三人はさっそく墓地に集まった。

 作戦は簡単だった。私と遠岸楽が二手に分かれ不審者を探し、縁川天春に伝え、電話でお弟子さんに連絡してもらうという算段だ。

 でも。

「つうか、三人一緒に歩くってなんだよ。舐めてんだろ。効率悪いだろうが」

 遠岸楽は不機嫌そうに眉間にしわを寄せる。三人で墓地をパトロールすることを提案した縁川天晴は、ふんと鼻を鳴らした。

「夜に推しと男を二人きりにするオタクなんてどこ探したっていませんよ。貴方には助けてもらった恩もありますが、僕がお風呂に入っている隙にあかりちゃんを暗がりに連れ込んで話しかけたという蛮行に関しては別問題です」

「意味わかんねえ気持ち悪いな」

「オタクが気持ち悪いなんて氷河期の発想ですよ」

「オタクじゃねえよ、お前が気持ち悪いんだよ」

 二人の問答を聞きながら、私は墓地を探りながら歩いていく。

 生きていたとき、なるべく周囲に気をつけて歩いていた。行き過ぎたファンの中には何としてでも自宅を突き止めようと、出待ちして私の乗るタクシーを追ったり、おおよそ検討をつけて家を総当たりで探す、なんて人もいた。

 人に住所がばれるということは、自分の住んでいる周りの人に迷惑をかけてしまうことになる。人が隠れる場所は、大体決まっている。自分の役にしか立たないと思っていたことが、役に立つことは、少しだけ気が晴れる。

 私はじっと墓地の陰ひとつひとつを見つめた。月明りはないけれど、生きている人間なら僅かに残像のようなシルエットは動くし、目をこらせば気付く。

「あ」

 やがて私は、少し先のほうで、じっとこちらの様子をうかがう人影を見つけた。

「いた」

 呟くと、さっと二人が問答を止めた。

「そのままにして、貴方は──、もう仕方ないから、一人でしゃべってる感じでいて」

 私はそっと人影へと向かっていく。「危ないですよ」と後ろから声がかかるけど、縁川天晴が一人で話をしているようにしか見えないらしい人影は、戸惑いがちに身を乗り出した。

 その瞬間、縁川天晴が持っていた懐中電灯をつけ、思い切り人影に向ける。

「きゃっ」

 人影は──墓地に身を潜めていた女性は、突然まばゆい光源をあてられたことでしりもちをついた。二十代後半くらいだろうか。フォーマルなスーツ姿で髪をひとつにまとめた女性は、仕事帰りに見えても、墓荒らしには到底見えなかった。

「え……」

 私は、彼女の胸元に光るバッジを見つけて、愕然とした。

 この女性は、本来不審者とは対局の位置にいる。

 副業は出来ないはずだから、記者でもない。好奇心で死刑囚の墓を荒らせば最後、その人は間違いなく職を失うだろう。

 だってこの人は──。

「この人、弁護士だ!」

「弁護士!?」

 私の声に、縁川天晴は驚きながらこちらに駆けてくる。そして、私たちに協力を申し出るほど犯人を探していた遠岸楽の反応がないことに気付いた。遠岸楽を探せば、彼は愕然としながら、立ち尽くしている。

「そいつ、不審者じゃない。絶対に」

 ただ弁護士さんを見つめていた遠岸楽は、そこでようやく声を発した。

「え……」

「俺の、弁護をしてたやつだ」

 今すぐ消えてしまいそうなほど儚い声を発した遠岸楽は、それきり何かを口にすることなく、ずっと弁護士さんを見つめていた。


●●●


 あれから、弁護士さんはお寺の中にある客間へと通された。

 催しの準備をするときに使っているらしいそこは、夏だというのにひんやりと冷えた空気が広がっていて、凛と冴えるような部屋だった。