「そういえば父さん、今日遺骨の受け入れしてたよね」

「納骨な」

「それってさ、この間までテレビに出てた事件の人の分もある?」

「強盗殺人のか」

 強盗殺人事件。

 二十一才の青年が、自分の勤める工場の社長と、その取引先の従業員三名を刺殺し、お金を持って立ち去った事件だ。

 特に工場の社長の遺体の損傷が激しく、強い怨恨を感じるものだったらしい。

 死刑囚は工場の社長から息子同然に可愛がられており、逮捕後も世間から激しいバッシングを受けていた。

「ああ。どうしてだ」

 すっと厳しい表情になるお父さんに、縁川天晴はとぼけた調子で返事をする。

「なんていうか、わりとテレビに出てたから、気になって」

 遠岸楽(とおぎしがく)死刑囚は、数ある強盗殺人の中でも、際立って狂暴だった。裁判所で暴れ、裁判が始まって早々弁護士に「俺を無罪にしなかったら殺してやる」と叫び、裁判がいったん中断するほどだった。

 彼の裁判が起きるたびに、ネットのトレンドではもう死刑でいいとの言葉がのぼり、担当弁護士には同情の声が集まった。彼の弁護から外すべきだと、署名運動も行われた気がする。

「どんなにテレビに出ようと、悪いことをしていようと、ほかの人と変えることなく弔うのが仕事だ。お前も、覚えておきなさい」

「うん」

 波紋のように緩やかな沈黙が広がる。縁川天晴は、静かに自分のいつもの場所であろう座布団の上に座った。すぐに慌ただしい足音が響き、彼のお母さんが「大変! 回覧板出すの忘れてた!」と、バインダー片手に入ってくる。すると、神妙だったお父さんの顔がさっと青くなった。

「いつから家にあった? かなり前に来てなかったか」

「もう、起きたことは仕方ない! 今度から気を付けます! 食べてからもっていきましょ。ごはん冷めちゃう」

 縁川天晴のお母さんはバインダーを棚の上にバンッとおいて、食卓を囲んでいた座布団の上に座った。やがておじいさんやおばあさんがゆったりとした足取りで食卓につく。お父さんも、「仕方ないか」と座った。

 いただきます、と誰かの号令に合わせるように、家族で手を合わせて食事を始めている。からんと軽い氷の音が響いて、まるでドラマのようなシーンだと見つめてしまった。

 家族で色の違う箸置きを使って、みんなで同じ食事を囲む。

 確かに、私も同じような団らんの中にいたことがある。もう思い出せないくらい、小さい頃だ。

 当たり前だった日常が、ドラマのように──非日常に見えていた。不鮮明な衝撃に戸惑いながら、私はただじっと家族の光景を眺めていた。


●●●


「じゃあ、俺はお風呂に入ってくるので、居間にいてください! お墓とか絶対行っちゃだめですよ!」

「うん。あと美容師さんにも言われただろうけど、今日染めたんだからシャンプー気を付けてね」

 縁川天晴(えんがわあまはる)は、お風呂に入っている間私をそばに寄せ付けない。

 高らかな宣言に相槌を打ちながら、タオルや着替えをもってお風呂場を目指す彼の背中を見送り、私は縁側にぺたりと座った。

 遠くに、墓地が見える。

 手前には枯山水や鹿威しが並ぶ雰囲気ある庭園で、湿った土や、瑞々しい緑の香りがする。

 私はふらふらと、何をするでもなく縁側で足をぶらつかせる。うしろの居間では、おじいさんとおばあさんがぼんやりテレビを眺めていた。二人とも耳が遠いらしく、大きめの音量で相撲番付が流れている。

 窓枠のふちには風鈴が飾られているけれど、無風だから音はしない。そばには蚊取り線香がくゆり、ただただ灰色の煙が夜空へとのびている。

 のどかだ。信じられないくらい。

「おい」

 ぼんやりとしていれば、後ろからおどろおどろしい声がした。振りかえれば、居間でテレビを眺める老夫婦の前に、遠岸楽(とおぎしがく)が立っていた。息をのむ私へと、彼は乱雑な足取りで近づいてくる。

「驚くな。じいさんとばあさんが気付くだろ。ちょっと面かせよ」

 居間にいれば、安全じゃなかったのか。

 私はおそるおそる立ち上がった。

「こっちに来い。じいさんとばあさんに気付かれなきゃ、それでいいから」

 遠岸楽はしきりにおじいさんとおばあさんを気にしながら、今いる縁側から地続きのまま、少しだけ身を隠すような位置で立ち止まる。

 どうやら私が幽霊状態であることに気付いてないみたいだ。女の人は私について、「もうすぐこちら側に来る」と言っていた。

 私の位置づけは、曖昧なのかもしれない。

「な、何ですか……」

 遠岸楽は、助けてくれた……と思う。

 ネットニュースならまだしも全国放映された彼の裁判のニュースは、彼を警戒するには十分すぎる内容だった。

 暴れだして、弁護士を脅迫する。

 法廷画家と呼ばれる人の絵を見たけれど、踊り狂っているとしか思えないほどだった。

 鬼気迫る表情に、皆彼が出所することになれば、またやると確信する目を向けていた。

「おまえ、俺のニュース見てたよな」

「確かに、見てましたけど……」

「なんてやってた? 被害者の奴らで知ってることあるなら、全部教えろ」

 そんなの、ニュースで見ていた私より自分のほうがよっぽど知っているんじゃないか。

 少なくとも被害者と遠岸楽は関わりあっていたはずでは。

 わざわざ殺した人間について無関係の他人に問う猟奇性に、自然と後ずさる。

 もう死にぞこなっている。死ぬことなんて怖くない。

 けれど質問の意図が読めず、不気味で離れたい気持ちになった。

「どうして……そんなこと……」

「あ?」

 じりじりと後ずさると、ふいに遠岸楽が眉間にしわを寄せた。彼の視線を追えば、廊下の途中の棚に、私がめりこむかたちで後ずさっていた。

「お前、死んでんの? 完全に生きてるもんだと思ってたけど……なんなんだよお前……は?」

 遠岸楽は不思議そうにしている。やはり、私が生きているように見えていたらしい。

「違います。私は死んで──」

「死んでないですよ。あかりちゃんは素晴らしいアイドルですが訳あって意識不明になってます。握手券もチケットも無い一般人がそれ以上近づかないでください」

 しゅっと、お風呂上がりのが縁川天晴が私の前に立った。タオルを武器にしようと構えている。遠岸楽はさらに目を丸くした。

「アイドルだぁ? じゃあお前も芸能人かなんかか?」

「貴方が納骨されたこの寺の息子です。今は生きています」

 遠岸楽は、疑うように私と縁川天晴を交互に見た。そして縁川天晴に狙いを定める。何かする気じゃないかと思わずかばおうとすれば、遠岸楽は私の予想に反してただ仁王立ちしただけだった。

「寺の息子なら、骨になって何日で俺は地獄に行くのか教えろ」

「はい?」

 突拍子もない質問に、私も縁川天晴も目を丸くした。遠岸楽だけがまじめに、当然だと言わんばかりに視線を鋭くする。 

「お前寺の息子なんだろ。死人に詳しいだろ」

「死人に詳しいのは解剖医の管轄では」

「じゃあお前解剖医に幽霊見えるかって聞くのかよ、ちげえだろ。勿体ぶってねえでさっさと教えろ、殺すぞ」

 さあ言えと、答えを欲しているのは明らかだった。縁川天晴の顔を見れば、やや疲れ気味に考え込んでいる。

「ふつうは、四十九日といいますが……もうそれを終えて」

「じゃあ、こうしてここにいるのが地獄ってことかよ」

「それはまた違うと思います。ここは現世ですし。もし教えが本当なら貴方は賽の河原を通るはずです。通りましたか?」

「通ってねえ。首つって気付いたらここにいた。水ものは畑しか見てねえ」

「じゃあ違うんじゃないですかね」

 あっけらかんと縁川天晴は切り捨てる。

「じゃあどうしろっていうんだろ。言え」

 遠岸楽は凄む。助けてもらったとはいえ、危険な人間だとただ判断することと同じくらい、彼を安全な人間と判断するには早い。

 でも、こうして死後の世界を寺の息子だからと年下の縁川天晴に問いかけたり、自分の望む答えが得られず困惑する様子は、裁判記録の凶暴性や邪悪さからは離れている。

「どうもなにも、まだ僕は生きてるんでわかりません」

「ハァ? つうかさっきから感じ悪いなお前」  

「貴方がアイドルに近づく不審な男だからですよ。どんな人間であろうと仕事でもないのにあかりちゃんを無粋に呼び出す輩は許せません」

「ハァ?」

「ハァハァ何なんですか、凄めば望むものが手に入ると思ったら大間違いですよ」

 縁川天晴はきっぱりと言い切ってしまう。やがて遠岸楽はばつが悪そうに縁側の奥へすっと消えていった。

「追い返した……?」

「でも、また来そうですよ、彼。そんな感じがします」

 私は遠岸楽が消えていった廊下を見つめる。すぅっと吸い込まれそうな暗闇が広がる。

 地獄に落ちるのはいつか。

 被害者についてのニュース。

 遠岸楽はしきりに気にしていた。被害者についてなんて、こうして死ぬ前から調べることもできたはずなのに。

 それとも、死んでから償いたい気持ちが芽生えた……?

 どうして、被害者のことをを知りたいんだろう。

「盛り塩しておきましょうか! 盛り塩! あとお札!」

 考えていると、縁川天晴は台所から袋いっぱいの塩を持ってきた。お寺についても仏教についても詳しくないけど、たぶん違うと思う。

「食用でもいいの?」

「分かりません! でも同じ塩化ナトリウムですし! こういうのはすぐ対処したほうがいいですから」

「いや、多分アリ避けにしかならないと思う」

 私は遠岸楽の質問の意図が掴めないまま、ひとまず塩を撒き散らそうとする縁川天晴を止めに入ったのだった。
 お寺の朝は早い。

 縁川天晴の部屋にうずくまるようにしてそっと夜が明けるのを待っていると、たいてい日が昇る前からお寺のほうでは弟子の人たちが起きだす。

 日が昇ってすぐ、毎日墓参りをしているらしいお年寄りの人たちがぽつぽつと墓地へ向かっていく。

 亡くなった人へおはようと声をかけ、そっと墓地を後にする人もいれば、今日することを報告する人もいる。

 ひしゃくで水をすくいながら、墓石を清掃し速やかに立ち去る人々を眺めていると、ふいに高い声が上がった。

「大変! お父さん、あっお弟子さんでもいっか、誰かー! ちょっと来てー!」

 私は声のしたほうへ駆け出す。音の響くことのない石畳を進んでいけば、縁川天晴のお母さんの姿があった。ちょうどお墓とお墓の通りをつなぐ砂利道に、おまんじゅうや線香、お花がぐちゃぐちゃにされてつぶれている。

 被害は通路だけで、まるで通路にお墓があって、荒らされ墓だけが逃げ出したかのような荒らされ具合だ。

 お弟子さんたちが お母さんの声でわらわらと集まって、黙々と清掃していく。やがてそのうちの一人が口を開いた。

「そういえば昨晩、なんとも不思議な人影を見ました」

 不審人物と捉えていい物言いに、お母さんは怯えた顔をする。

「えぇっ!? やあねえ、大きかった? 熊じゃない? 熊だったらどうしよう!」

 熊も怖いけど、人のほうが確率的に高い気がする。

 お弟子さんは首を横に振った。

「いえ、小柄でした。熊ではないと思います。限りなく人でした」

「人ねぇ、人ならまだいいけれど……でも怖いわね、熊だったら」

 お母さんは、熊への警戒を緩める気配がない。

 やがてお弟子さんとお母さんは清掃を終え、居住区のほうへ戻っていった。私はきれいに整えられた砂利道を見つめる。