*  *  *

『ん……おまたせしました』

 数分後、フェントが持ってきたのは、かなり大判の本だった。小柄な彼女が抱えると、上半身がほとんど隠れてしまい、まるで本に足が生えてヨタヨタとこちらに近づいてくるように見えた。

「わわっ、すみません! そんな大きいなんて!?」

 アツシは慌てて駆け寄るが、小柄な彼の体格からするとまだこの本は大きい。マコトが間に入って本を受け取る。大柄のマコトが持っていてもなお、それは大きく感じられた。

「でけえな。この世界の辞書ってのは皆こんなサイズなのか?」
『はぁ……正しい決まり事はありませんが、知識の源泉とも言える書ですから、どれもこれくらいの大きさかと』

 ん? フェントの言葉のつながりがよくわからなかった。知識の源泉だと、サイズも大きくなるのか?

 オレは、隠れ里で毎晩書き連ねていた異日辞典を思い浮かべた。始めは木の板切れに、村に人と仲良くなってから脱穀した後のペタフの繊維で作った藁半紙に書いている。
 その束はオレの肩に届くほどの量になっているけど、いつかは一冊の本にしなければいけないと思っている。そのサイズは手の平に収まるくらい……扱いやすいサイズでなければと思っていたけど……

「ああ、そういうことか」

 そこまで考えて合点がいった。オレがイメージしているのは元の世界の辞書だ。手のひらに収まる大きさにするために、めちゃくちゃ小さい文字で印刷されている。
 でもこの世界にそんな小さな文字を印刷できる機械は多分無い。手書きであの爪の先くらいしかない文字を書いていくのも無理だろう。となると、自然とサイズは大きくならざるを得ない。

「よっと」

 マコトは長机の上に、その巨大な直方体を置く。

「で、アツシ。この辞書をどうするんだ。文字が読めないことには使いようが……」
「はい。 辞書にはルールがあります。これはどんな世界でも同じはずです」
「は?」
「まぁ僕らは、リョウさんが投影してくれるから、そのルールがなくてもやってこれましたが……ゲンさんの辞書、普通に使うことは出来ないと思います」
「順番だ……」

 オレは言う。自分の辞書の弱点は自分が一番良くわかっている。あの辞書は欠陥品だ。誰でも使える形にするには、文字や版の大きさ以上に重要なことがある。

「オレの辞書は、五十音で並んではいない。投影で直接アタマに叩きこまなければ、あんな辞書使えないよ」
「あ、そうか。インデックスがないのか、ゲンさんの辞書って」

 ハルマが納得して、手を叩いた。

「新しい言葉を覚えるたびにページを足していったからな。知らない言葉を探すには特定の順番である必要がある。たぶんそれは、この世界のルールでも同じだ」
「そうです、そういう事です!!」
「お手柄だぞアツシ! 冴えてるな!?」
「はははっ、僕はまだ中学生ですからね」
「は? どういうことだ?」

 アツシは苦い表情を浮かべて説明する。

「国語や英語の授業で紙の辞書を使わされるんです。時代はスマホや電子辞書なのに、未だにペラペラって……必要なのはわかりますけど、ちょっとウンザリしてました」

 そういう事か。キーボード入力で検索すれば欲しい言葉が見つかる電子辞書では、インデックスは必要ない。それに慣れきった人間には、今のアツシのような発想は難しいかもしれない。授業で紙の辞書の使い方を覚えさせられる中学生ならではのアイデアだった。

「うん、思った通りです! 最初のページ、頭文字は同じ文字が続いています。コレが”あ”や”a"でしょう。同じように頭文字をさらっていけば、この世界で使われている文字の中で、少なくとも一種類は全文字を拾えるはずです!」