「んじゃ頼むわ。まあやってくれたからって内申が上がるかどうかは別の話だけどな」
「え、せんせー酷くない?」

 敦斗が不服そうに岡崎に言う。その隙に美桜は頭を下げるとプリントを手に昇降口へと向かった。他のクラスもすでに帰りのHRが終わっていたようで昇降口はたくさんの生徒でごった返している。その隙間を縫うように自分の下駄箱に行くと、靴を引っ張り出し上靴を押し込みながら呟いた。

「全然、こっち見ないし」

 床に落とした靴が左右ばらけて落ちた。美桜は一切自分のことを見ようとしなかった敦斗を思い出す。くっきりとした二重、ビー玉みたいに丸い瞳、敦斗のそれが最後に自分を見たのがいつだったのか、もう美桜には思い出すこともできない。ただもう二度と、その瞳が美桜を映すことはないのだと、胸の奥が重くなるのを感じた。


 ――その日は朝から雨が降りどんよりとした空気が流れていた。いつも通り、八時頃登校した美桜はどこかクラスが静かなことに気づいた。どうしたのかと思うと、敦斗と心春の姿がなかった。だいたい美桜が来るよりも早く二人は登校していつだって騒いでいたから珍しいこともあるものだと思う。
 
 そんなことを考えていると心春が教室に入ってきたらしく、誰かの「心春ちゃん!」と呼ぶ声が聞こえた。いつもならそのまますぐに駆け寄るがなぜか誰も動こうとしない。どうしたのかと美桜が視線をそちらに向けると、心春の目が真っ赤で、泣きはらしたであろうことが一目見てわかった。どうやらクラスの女子もそんな心春に気付きどうするべきかと顔を見合わせ合っていたようだった。何かあったのだろうか。
 席に着いた心春の周りに一人また一人と女子が集まり「どうしたの?」「何かあったの?」なんて声をかけているのが聞こえる。けれど心春は首を振り机に突っ伏すばかりで何も言うことはなかった。
 
 そうこうしている間に予鈴が鳴り岡野が教室に入ってくる。敦斗の姿は今も教室にはなくどうやら休みのようだった。美桜と同じように思ったのか一番前の席の男子――蜂矢が岡野に尋ねる。

「せんせー。敦斗、休みですか?」
「……今日はホームルームの前にみんなに言わなければならないことがある」

 岡野は蜂矢の言葉を黙殺すると、教卓の前に立ち話し始める。いったいどうしたというのだろう。ふと視線を向けると心春は机に顔を伏せたままだった。