昇降口に向かうため廊下を歩いていた美桜に声をかけたのは、担任の岡野だった。プリントの束を持っているのを見て嫌な予感がする。どうにかこのまま気づかないふりをして逃げられないだろうか。目が合わなければ、岡野の方を見なければ大丈夫。もしかすると後ろに誰かがいてその誰かに向かって話しかけているのかもしれないし。わざとらしく俯いて通り過ぎようとする美桜の行く手を阻むかのように岡野は立ち塞がった。渋々顔を上げると、そこには満面の笑みを浮かべてプリントを差し出す岡野の姿があった。

「これ、配るのを忘れてしまってな。どうせみんなまだ教室に残ってるだろ? 悪いけど、渡していてくれないか」

 プリントに視線を落とすけれど『保健室の利用について』と書かれていて、特に今すぐに配らなくても問題のないような内容に見える。美桜は露骨に顔をしかめるけれど、岡野は構うことなくそれを美桜に押しつけようとした。

「外崎もそろそろみんなと打ち解けなきゃいけないだろ? これを持って行ってついでにみんなが計画しているカラオケに参加してきたらどうだ?」

 まるでいいことを言っているような雰囲気で岡野は言う。実際、岡野にとってみればそれは親切で、なんて生徒思いの先生なんだろうと自画自賛しているに違いない。それがどんなに美桜にとって迷惑な話でも。なんと言えば断れるだろうか。今急いでいるんです。用事があって。早く帰らないといけなくて。いろんな言い方の練習を頭の中で繰り広げ、最終的に「早く帰らないといけないんです」に決め、口を開こうとしたとき、後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

「せんせー、どうしたの?」
「おお、細村。いや、今なこのプリントをみんなに配ってくれって外崎に頼んでいたところなんだ」
「あーそうなんすか」

 敦斗は美桜の方を見ることもなく、岡崎にへらっと笑うとプリントを手に取った。

「んじゃ、俺教室戻るし配っとくよ」
「お、そうか? でもなあ、先生はこれをきっかけに外崎にもみんなと仲良くなってほしくてな」
「まあそう言わないでよ。俺、こういうところで内申稼ぎたいんだからさ」

 へらへらと笑いながら敦斗はプリントを一枚引き抜くと美桜に差し出した。それを美桜が受け取ったのを確認すると敦斗はプリントの束をひらひらして見せた。

「ってことで、これ配っとくね」