「うーん、病気だよって言われるのが嫌で病院から逃げてる、って言う方が正しいかしら」

 一気におばあさんが身近になるのを感じた。美桜も病院も病気も嫌いだ。熱が出ると母親の機嫌が露骨に悪くなる。自分のせいで仕事を休ませてしまうと思うとできるだけ健康でいようと、病気になっても気づかれないようにしようとそう思ってきた。

「私も病院嫌いだよ。でも酷くなってから行くともっと大変だから」
「そうね。わかってるんだけど、ついね」

 おばあさんの表情が苦しそうで美桜は自分の発言を後悔した。自分はさっきおばあさんが言ってくれた行きたくなければ無理しなくても言いという言葉に救われたのに。

「でも、嫌だったら逃げてもいいんだよ」
「え?」
「でしょ?」
「そうね」

 おばあさんの表情が和らぐのを見て美桜はホッとする。けれどこのときもっとちゃんと話を聞いて病院に行った方がいいと言えばよかったと、後悔する日が来るなんてこのときは思ってもみなかった。
 
 その日から、公園で過ごす時間は美桜にとって敬一が家を出るまでの時間つぶし、ではなくこの名前も知らないおばあさんと話をする時間に変わった。猫缶や猫用ドライフードを持ってきては、おばあさんは公園にいる猫たちに餌をあげる。美桜も一緒にあげさせてもらうこともあった。学校のことを忘れておばあさんと過ごすこの時間は楽しくて、いつまでも続けばいいと思う。けれど、楽しい時間がそう長く続くことはなかった。


 朝起きて学校に行く準備をする。もちろん行くことはないのだけれど、敬一の目があるのでそぶりだけ見せる。食欲はないけれどそれでも朝ご飯をなんとか流し込みあとは家を出るだけ、というタイミングで自宅の固定電話が鳴った。
 普段、鳴ることのない固定電話の着信音になぜだか嫌な予感がする。向かいの席で朝食を食べていた敬一が立ち上がり、電話に出た。

「はい、外崎です」

 敬一が話をしている隙に家を出よう。そう思い、残っていた野菜ジュースを飲み干すと美桜は席を立った。鞄を持ち、リビングを出ようとしたそのとき、後ろで敬一が驚いたような声を上げた。

「えっ、いや、その、本当にですか? 申し訳ないです。はい」